Bookshelf

黒に染まる私

喰らい尽くすような激しいキスをされて、上手く息が出来ず酸欠になりそうになる。離してほしいと視線で訴え、男の胸を押して離れようとするが、関係ないとばかりにさらに深くまで舌を絡めてきた。

ーーその瞬間、脳内を一気に駆け巡る記憶。それはこれまで生きてきた記憶ではなく、私が私になる前の、前世の記憶。

思い出したのは、前世の私がただの一般人で、裏の世界など縁のない生活を送っていたこと。…それだけでなく、一時期かなりのめり込んだ漫画の中にこの男がいたということ。…そして、目の前にいるバーボンという男は潜入のための彼の仮初めの姿だということを。…なんだ、そうか。私は…愛されていたわけじゃなかったのか。…一気に冷めた。

「…っ!…うっ…どうしたんです…?」

絡んでいた舌を噛んで離れれば、痛みに口を押さえながらもこちらを心配してくれる彼。…その優しさは…組織でコードネームを与えられた私から情報を取るための…作り物の優しさ。ハニートラップなんてくだらない。感情なんていらないと生きてきたのに…なのに、何故だろう涙がポロポロとおこぼれ落ちていく。止めたくても止まらない。震え出しそうな体を必死でこらえた。一般人だった前世のいらない感情まで戻ってきてしまったのだろうか。

そんな私を、宥めるように優しく、あたたかな手で抱きしめてくるこの男は敵なのだ。いくら前世がただの一般人だとしても、この世界での私は真っ黒。先を考えても闇しかない。
『っ…普通の女にっ生まれたかった…!』「っ…」


ーーーーーー

《っ…普通の女にっ生まれたかった…!》

彼女の一言に一瞬息が止まる。いきなり…なにを言いだすのか。

感情を押し殺したように淡々と組織の任務をこなす彼女は、組織でも信頼の厚いコードネームを持ちの幹部である。そんな彼女がいつもの冷静さを欠いて、感情の波に押しつぶされようとしている。…この瞬間に何があったか知らぬが、その崩れたペースをより乱し、情報を吐かせるなんていうのは簡単だ。…いつもなら。

脆く崩れそうな彼女を見て、俺は行為を続けるでもなく、言葉を重ねて情報を吐かせるでもなく、無意識に抱きしめていた。今にも消えてしまいそうな彼女が何処にもいかないように。ぼろぼろに崩れてしまいそうな彼女を支え、優しく包むように。

彼女の震える体と固く握りしめている手のひらに、自分の体温を移すようにそっと寄り添った。

ーーー

パァンッ

『…っジン!』

僅かに逸れたものの利き腕から流れてくる血を押さえながらキッと目の前の男を睨む。

『…一体どういうつもり!?』

薄暗い倉庫に呼び出されたかと思えば、いきなりジンは撃ってきた。

「はっ、…テメーが暗殺すべき相手をこっそり逃しているらしいと、そう報告が入った」
『そんなことあるわけ…っ』

「とぼけても無駄だ、キティ、…テメーが逃した相手に裏切られるたぁ情けねぇなぁ」

ひぃっと声をあげたのは、ウォッカに、銃を向けられている男。ーー昨夜の暗殺対象者だ。

「まさかと思って調べてみりゃ、過去の暗殺命令もことごとく改竄してるようじゃねぇか。…なぁキティ。」
『…っ…昨日は私だけじゃなかったわ。嵌められたのよ!…その情報も偽物だわっ』

「あくまでしらを切るつもりかキティ」
『…騙されたことは情けないと思ってる』

「ふん、まぁいい。お前と組ませた奴はすでにあの世だ。」
『…あらそう、それは安心したわ』

「騙されたかどうかはこの際どうでもいい。どちらにせよ任務を遂行できないクズに用はねぇ」
『っ…』
「あばよ、キティ」

そう言って引き金をひくジンの腕を、死んでたまるか、と素早く蹴り上げた瞬間、パァンと銃声が響く。それにより唯一上に掛かっていた電球がパリンと割れた。薄暗かった倉庫は闇に包まれる。ーーチャンスだ。

一瞬でそう判断し半開きになっていた扉を開けて飛び出した。

追いつかれないようにと必死に走るが、倉庫から出てきたジンはこちらに向かって何度も銃を撃ち込んでくる。角を曲がる瞬間に何者かに腕を引っ張られる感覚と左ふくらはぎに感じる激痛。くそっ、弾が当たったか…っ。

「大丈夫ですか!?」
『…っバーボン…』

いつもよりどこかお堅いスーツ姿の彼はネクタイをしゅるりと解いて私の足にきつく結びつける。応急処置だと分かるが、組織の裏切り者と判断された私をなぜバーボンが助けたのか。…まさか知らないなんてことはないだろうに。

目の前の彼を睨むが彼は眉間にしわを寄せながら私が走ってきた道を見ている。

そこに私がここまで乗ってきた愛車が一瞬横切った。はっ…一体誰がと考えているうちにそれを追うように黒のポルシェが続いて去っていった。

『…どういうこと…?』
「僕の部下が囮となって逃げ回ってくれます」
『部下…?』
「えぇ」

言っていることが分からず彼を見つめると、彼も真剣な表情で私を見る。

「あなたは、一度も暗殺をした事がありませんね?」
『っそれを聞いてどうする気?』

「…まぁ聞くまでもなく、裏は取れています。ーーあなたを守りたいんだと伝えたら、あなたに救われた方々が色々喋ってくれました。」

もちろん組織に差し出したりはしません。安心してください。と言う彼の言葉がうまく脳内で処理されてくれない…どうして助けたのか、守りたいってどういう…

「最初は情報欲しさにあなたに近づきました。ですが、近づけば近づくほど、あなたが分からなくなった。…冷徹な仮面を被ってはいたが、この組織にいるべき存在では無いと僕の第六感が告げたです」
『…そんな理由で…?』

「えぇ、そんな理由です。…先程も言った通り裏も取れました。あなたの両親は確かに組織の構成員で、あなた自身ここに身を置くしか生きる道は無かった。必死で生きるために犯罪を犯した事もあるが、人を殺すことだけは頑なに避けてきた。」

「救われてきた方々はみんな口を揃えて言っていました。ーーあなたに幸せになって欲しいと。」
『…幸せになんて無理よ。殺してなかったとしても私自身はもう黒に染まっている』
「…っそんな事ない!」

苦しそうにそしてどこか悲しそうな表情に、私の心臓がどくどくと音を立てる。この間前世の記憶を思い出してから心が言うことを聞いてくれない。…こんな所で涙を流すべきじゃないのに。

「あなたの心は黒になんか染まっていない!…俺が君を連れだすから、手を取ってくれ」

いつも見ていた彼とは纏う雰囲気が違う。組織なんて似合わないくらい真っ白な人。そして太陽みたいな人。

『…いい、のかなぁ』

えぇ、と優しく微笑む彼の手を取った。



ーーーーーー
「本当の名前を教えてくれるか?」
『…苗字、名前』
「良い名前だ。俺は降谷零、改めてよろしく」
『…っはい』
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -