ホームルームが終わり、帰る用意を始める生徒たち。自らもゆるゆると立ち上がり鞄を持つと、後ろから銀髪の女子が姿を現した。

「焦凍…今日、忙しいか?」
「…別に」
「そうか…」

牡丹らしくない態度に、焦凍は内心首を傾げた。

「あの…焦凍は虫は苦手か?」
「特にはねぇな」
「そ、それはあれか? ご…ゴキブリでも大丈夫…か?」
「………」

牡丹の個性があれば虫なんかすぐに始末できるだろう…というのは心の内にとどめておき、あまりに小動物のような振る舞いをする牡丹に珍しいな、と思う焦凍。

「…もし大丈夫なら、助けて欲しい…私の家に、来て欲しいんだ」
「…分かった」
「え、いいのか!?」
「ああ」

正直、そんな態度で来られたら断れるはずがない。

「そうと決まれば早く帰ろう!」
「………」

走りださんばかりの勢いの牡丹を待っているのはゴキブリだと思うと内心複雑だ。

―――

「ここが私の家だ!」
「入んのは初めてだな」
「私の家に入ったのは焦凍が初めてだ」

ガチャ、と鍵を開け、泥棒にでも入るような仕草で家に入る牡丹。

「い、一応凍ってはいるんだ…処理が出来なくて」
「なんだ、そんだけか」

気付けば焦凍の背中にぴたりとくっつく牡丹。こんなに密着したのは初めてだな…なんて思いながら、焦凍は歩を進める。

「そこを左…台所だ…逃げてたらどうしよう」
「…俺が捕まえるんだろ」
「焦凍、私を救えるのは焦凍だけだ」
「こんな時に言われてもな」

言われたとおり、左に曲がると台所に入った。ガスコンロの横、白い壁に一点黒い物が見える。…あれだ。

「と、溶けてる!!」

ゴキブリが触覚を動かすが速いか、パキィ!! と音を立てて凍った。今のは焦凍じゃない、牡丹だ。

「…一人でできるんじゃねぇか」
「ち、違うんだ。この後の処理を焦凍にしてもらいたくて…」
「じゃあこれ取るぞ」
「わああぁ!! そんな乱暴な!」

壁に凍りついたゴキブリを何のためらいも無く剥がす焦凍に、驚いて尻餅をつく牡丹。

「………」

意外すぎる。震えてる。涙目になってる。スカートが意味をなしてない。可愛い。

色々考えた後、誘惑を断ち切り焦凍は牡丹を通り過ぎて外に凍りついたゴキブリを放った。だいぶ弱っているようだったので、もうじき死ぬだろう。

「大丈夫か? 腰抜けてんじゃねぇか」
「ぬ、抜けてない…」
「どうだか」
「一人にするなんて酷いぞ! 怖いじゃないか!」
「…ゴキブリは一匹見たら五十匹いると思えって言うな」
「…引っ越しを検討しよう」

手を差し出し、牡丹を立たせようと思ったが、なかなか手を出さないので腕を掴んで立たせた。バランスの覚束ない牡丹の背中を支え、ソファまで連れていく。

「ありがとう。本当に助かったよ」
「大したことはやってない」
「お礼と言ってはなんだが、夕飯を食べて行かないか? 何が食べたい」
「牡丹が作るのか?」
「もちろん! 一人暮らしだからな、自分で作るよ」
「じゃあ牡丹の得意なもんがいい」
「得意か…難しいことを言うな。ハンバーグはどうだ?」
「それは牡丹が食いてぇもんだろ」
「察しがいいな…」
「それでいい。俺も手伝う」
「いいのか? 嬉しいよ!」
「………」

ぱっとソファから立ち上がる牡丹の後ろに尻尾が見えそうだ。

銀色の長い髪を上で括り、丁寧にまとめる牡丹。綺麗な項だな、と焦凍は手を洗いながら牡丹を盗み見た。

「私だけの時は半分豆腐を入れるんだが…焦凍はどうしたい?」
「任せる」
「じゃあ豆腐が無いから肉100%ハンバーグだな」
「なんで聞いたんだ」

玉ねぎを取り出しながら鼻歌を歌う牡丹。何故かはわからないが、本当に楽しそうだ。

「じゃあ焦凍はキャベツの千切りを頼むよ」
「…案外料理向きの個性だな」
「ああ、それは私も思うよ! 水道代が普通の暮らしより随分安い」

キャベツを受け取りながら、焦凍は釜の中で米が水に浸されているのを見た。水道は触っていない。牡丹の個性で水を操っているのだ。

「中学生で一人暮らしなんて親は随分心配してんじゃねぇのか」
「ああ、両親はいないんだ…」
「!」

聞かない方が良かったか、と顔を上げると涙を浮かべる牡丹が目に入った。

「…泣いてんのか」
「ん? ああ! これは違う!」

落ち込んでいるのかと思えば、顔を赤くする牡丹。

「これは玉ねぎのせいだ!」

手元を見れば微塵切りにされかかっている玉ねぎ。

「玉ねぎが無いと泣けねぇ女か」
「それも違うぞ! 玉ねぎが無くても泣く時は泣く!」
「そん時は、」

タン! と包丁の音がやけに響いた。

「俺が慰めてやるよ」
「…ありがとう」

目を潤ませて微笑む牡丹は絵になるが、如何せん原因は玉ねぎだ。

「…さっきの話の続きだが、両親はいないんだ」
「………」
「今は祖父母の仕送りで暮らしている。何の仕事をしているのか教えてもらえないが、祖父母のおかげで不自由ない一人暮らしをさせてもらっている」
「………」
「両親は私が物心つく前に亡くなっていて…だから、何も覚えていないんだ」

その横顔は、あまりにも感情を写していなかった。事実をありのまま話している、ただそれだけにしか聞こえない。

「会ってみたいとは思うが、会えないからな。悲しいと思うことすら無い。腹を痛めて産んだのがこんな娘だと親は悲しむかもしれないが…」
「別にいいんじゃねぇか」
「そう思うか?」
「少なくとも俺はな」
「焦凍ははっきりと言ってくれるな。助かるよ」

ボールに細切れの玉ねぎを投入し、卵とミンチ肉を入れる。

「悪いが、混ぜてくれないか」
「…冷てぇな」
「わかるよ。個性を使って温めるのはダメだぞ?」
「わかってる」

キャベツの千切りとその他諸々で簡単なサラダを作り、フライパンを用意する。

「上に何か乗せるか? 目玉焼きとかチーズとか…」
「いつもは?」
「乗せてない」
「じゃあ何も無しでいい」
「わかった」

混ぜている途中にパン粉を投入される。更に冷たくなった。

「…さっきの話の続き、聞かせろ」
「私の事か?」
「ああ」
「えーっと…そうだな、幼稚園と小学校は祖父母の家から通ってたんだが、ある日突然思い立ってな。中学からは違うところで一人で暮らしたいと駄々をこねたんだ」
「困った孫だな」
「全くだ。相当手を焼いただろうな。中学生で一人暮らしなんて、普通ならさせない」
「………」
「私の生い立ちがあったからだろうな。最終的には二人が折れた。私は晴れて転校、焦凍に出会う…と。そんなところだ」
「結構だな」
「結構だよ。だが案外充実しているんだ」
「そりゃあ良かった」
「焦凍のおかげだ」
「何もしてねぇよ」

焼くぞ、と一言。肉の焼けるいい音がフライパンから響く。

「皿を二枚、適当にいいのを見繕ってくれないか」
「………」
「ありがとう」

うさぎとひよこが描かれた皿。かわいい趣味してんな、と思いながら焦凍は皿を二枚差し出した。

「することがないから、しばらく休んでてくれていいぞ」
「わかった」
「え!? 違う! 何か違う!」
「…何だよ」
「ちょっと待ってくれ! せめて蓋をしてから…」
「じゃあ早く蓋しろ」

休んでていい、と言われた焦凍は、牡丹の腰を持って有無を言わさず一緒に連れて行こうとしたが牡丹に止められる。フライパンに蓋をするがはやいか、焦凍は牡丹を半強制的にソファに座らせ、自身はその太腿に頭を預けた。所謂膝枕だ。

「焦凍…?」
「そんな不安そうな顔すんな」
「だが…状況がよくわからないんだ」

どうしたらいいかわからない、という表情で焦凍を見る牡丹の後頭部に手を伸ばし、手探りで髪をまとめているゴムを外せばパサリと銀の髪が落ちた。そのまま、髪を少し耳にかけて色白な頬に手を添える。

牡丹はこれまでに見たことないほどの頼りなさげな、弱々しい表情で焦凍の行動一つ一つに耐えようとしていた。

「嫌なら嫌って言えよ」
「…拒むとは、違うんだ」
「?」
「穴があったら入りたい…そんな気持ちだ」
「よくわかんねぇな」

恐る恐る、焦凍の髪に指を通す。壊れ物を扱うようなその仕草に、焦凍はある確信を抱く。

「牡丹は…」
「うん?」
「人に触るのが怖いんだろ」
「!」
「手の平の方で直に触んのが、特に苦手なんだろうな」
「な、どうしてわかる」

離そうとした手をすかさず掴み、手の平をまじまじと見つめる焦凍。

「や、やめろ」
「個性ならちゃんと使えるじゃねぇか。何を怖がってんだ」
「そう…だな。だが簡単に人を殺せてしまうようなものだ。念には念を入れておくに限る」
「…そんなんじゃいつまで経っても嫁に行けねぇぞ」
「元より繋がりは少ない。端から嫁に行く気はあまりないし………痛いぞ焦凍」

体を起こし、ぐにいいぃとその女らしい頬を思い切りつねる。よく伸びる。

ピリリリリリ!

「ほら、焦凍! タイマー!」
「………」
「睨まないでくれ…焦げてしまうぞ」

逃げるように台所へ向かう牡丹を睨み、焦凍自身も牡丹を手伝うため立ち上がった。

―――

「さ、仕上げはこれだ!」
「意外に子供だな」
「いや、一人で食べる時は遊びがないとつまらなくてな…」

ハンバーグに刺さったのはお子様ランチで使うような爪楊枝に国旗がついたものだ。

どの国がいい? とずいと色とりどりの国旗を目の前に並べられる。その中に、異彩を放つ旗が一つ。

「…これ」
「ん? それは私の手作りだ! …わかってたのか?」
「さあな」

訝しみながらも、ハンバーグに旗を刺す牡丹。人がいるということもあってか、牡丹は楽しそうに夕飯を並べて行く。

「私の手料理…というほどではないが、家で誰かと食事をするのは初めてだ。とても嬉しい」
「俺で良けりゃいつでも行く」
「え! いいのか?」
「ああ」
「そうか、その方が作り甲斐がある!」
「………」

満面の笑みで話す牡丹を見て、本当に楽しそうだな、と思った。

「さ、座ってくれ! 食べよう!」

時々牡丹が犬のように見えることがある。今もその時だ。

「いただきます!」
「…いただきます」

暫しの沈黙。

「…美味いな」
「当然だ! 焦凍が捏ねてくれたからな」
「嬉しそうだな」
「誰かと食べる食事は美味しいからな!」

牡丹のテンションが高めだ。

―――

食事が終わって片付けが終わると、何故かガトーショコラが出てきた。

「甘い物…は苦手か?」
「これ作ったのか」
「ああ! 昨日作ったんだが食べ切れなくてな」
「食う」
「良かった」

食べながら、メレンゲの質感が面白くて…と、調理中の写真を何枚か見せられた。確かに、泡とは思えない形を保っている。

そこで、かしこまったように座り直した牡丹は、とんでもない提案をした。

「今日、泊まっていかないか?」
「…は?」

さすがの焦凍も、時が止まった。


12150118















―――
アトガキ

今回随分長めです

急展開ですみません

あと言うの遅いと思いますが、時々焦凍はキャラが崩れます。
牡丹の事好きすぎて。

項→うなじ
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