「キ」
「きー」
「レ」
「れー」
「ネ」
「ねー」
「ン」
「んー」
「コ」
「こ!」

俺の膝の上に対面で座っている牡丹は俺を見上げ、満面の笑みで反芻する。

「きれねんこ!」
「…よし」

俺の名前を呼べるようになった牡丹の頭を撫でる。嬉しそうに手に頭を押し付けてくるのが面白い。

この数時間でわかったことは、牡丹は会話をするには少し差し支えがあるということだった。こちらの言っている事は理解出来るが、それを発音することができない。…というよりは発音の仕方がわからないようだ。簡単な挨拶と自分の名前、教えた単語は舌足らずではあるが声に出来る。

加えて読むことは出来るが書くことが出来ない。書き方がわからないようだ。つまり牡丹には、自分を表現する方法が無い。

一つ一つ教えてやれば、すぐに出来るようになるのは牡丹の順応力の高さだろうか。

「これ?」
「…スニーカー」
「すにーかー」

玩具を見つめる子供のように、スニーカーを見つめる牡丹。

「昼飯持って来たぞー」
「遅い」

不要な本をフリスビーの要領で覗き窓に投げ入れる。本が当たったとは思えない音の後に看守のくぐもった呻き声。牡丹は何が起こったのかわからないようで、不穏な音に首を傾げている。

「…ほらよ」

ドアからはじき出されたそれは、ハエでもたかりそうな生魚だった。

「……」
「お前が半壊させたせいでマシな食料が無いんだよ!」
「牡丹、魚」
「さかなー」

明らかに嫌そうな顔をしている。確かに、あんな生臭いものを好んで食べる奴はいないだろう。

「買ってこい」
「はあ!?」

ドアの前に移動して覗き窓から看守を睨みつけ、マジックハンドで攻防戦を繰り広げる。

「わかった、わかったから離せ…!!」
「……」

ぜぇはぁと息を着く看守を見下ろし、あと10分だと言い捨てる。ふと服の裾を引っ張られていることに気づき振り向くと、牡丹が後ろにいた。

「かんしゅ?」
「……」

なんかイラついたので無言で肯定。

「かんしゅ、にんじん」
「…食べたいのか?」
「うん!」
「〜っ、しゃーねーな…」

ドア一枚挟んだ向こうでどんな顔をしてるかは知りたくもないが、無性に腹が立ったのでマジックハンドを突き刺しておいた。

「さっさと行ってこい」
「いってぇ!」

看守の声が遠ざかるのを聞いてからベッドに戻った。膝の上に牡丹を座らせ、目の前に雑誌を広げる。

「こ」
「こー」
「う」
「うー!」
「きゅ」
「きぃゆ?」
「きゅうり」
「きゅーい!!」

そんな満面の笑顔で振り返られると訂正しづらい。単語にした途端発音出来るというのはなかなか不思議なことではある。

雑誌の文字を辿り、声に出して読んでいく。発音の上達が見て取れるので面白い。

「おなか、すいたー!」
「そうだな」

用意しておいた目覚まし時計に目をやった瞬間ジリリリリと鳴りだす。と、同時に看守が息を切らせて覗き窓に現れた。

「ほらよ!! これで文句ねえだろ!」
「遅い」

ドアから人参ステーキを吐き出すと同時に、目覚まし時計をドアに投げつけた。何でだああぁと喚く看守がうるさいことこの上ない。

「にんじん!」

牡丹は既にテーブルについて準備万端だったが、ナイフとフォークが逆だ。

「牡丹、逆だ」
「ん?」

後ろから牡丹の手を握り、持ち替えさせて人参を切る。ナイフとフォークを使ったことがないようで、ぎこちなく切り分けていたが人参を口に放り込んでやると破顔した。

なかなか悪くないなと思い、次々に放り込んでいるうちに完食してしまった。俺に向かって拙くありがとーと礼を言い、ごちそうさまでしたーと手を合わせる牡丹。

「きれねんこ、きれねんこ」
「?」

ナイフとフォークをしっかり持って、俺の分の人参ステーキを切り出す牡丹。一口大に切れたところで、その人参は俺の口に向けられた。

「あー!」

…食べろと。

こんなにいい笑顔を向けられてしまっては、その思いを無下にすることも出来ない。口を開け、待ってましたとばかりに差し入れられた人参を咀嚼する。

「…美味いな」
「!」

良かったと言いたげに笑う牡丹は、また一生懸命切り分けて俺の口に運ぶ。一口食べさせる毎にいい笑顔を向けてくるので、結局俺はこの昼飯を牡丹の手で終えることになった。

20140514















―――
アトガキ

やっと本編です。
前と比べるとガラッと変わってしまったような気がしますが、キャラは変わってないつもりです。





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