身を尽くし
朔さんはあまり笑わない人なのだと思っていた。けれど遠目から誰かと話している朔さんを見かけるとき、朔さんはいつだって笑っていた。
朔さんが笑わないのは俺に対してだけだった。俺が話し掛けても朔さんからは素っ気ない返事しか返ってこなかった。朔さんの顔にはあからさまに、おまえのことが嫌いだとはっきり書かれていた。
理由は、知らなかったが。
「……朔さん、飲み過ぎでは」
空腹に酒を入れるのは良くないと言ったその口で、料理が来る前にすでに3杯も飲んでいる。明らかに酔っているというのに朔さんは運ばれてきた4杯目のカクテルに手を伸ばそうとしていたので、カクテルを取り上げて代わりに水を持たせた。
「それを飲んだらもう帰りましょう。こちらは俺が飲みます」
「……まだ帰らない」
「朔さん、」
「だって、おまえに言わないといけないことがあるんだもん」
喋り方が舌ったらずなだけでここまで印象が変わるのか。顔どころか耳まで赤くして、朔さんはふにゃふにゃした笑みを浮かべた。朔さんが俺に笑顔を向けるなんて素面ではあり得ないことだ。酒とは恐ろしい飲み物である。
「…言わなければならないこと、とは」
「うーん、どれから言おうかなあ。そうそう、わたし昨日、おまえのこと嫌いって言ったでしょ?」
まさかのチョイスに朔さんから取り上げたカクテルに口を付けていた俺は思い切り噎せた。
たしかにずっと、朔さんが俺を嫌っていたことには気付いていた。気付いていたのにずっと知らないフリをしていたのは、嫌われている理由が分からなかったことと、それでも尚、俺自身が朔さんのことが好きだったからだ。
「ずっと嫌いだと思ってたんだけど、違ったみたい」
咄嗟に言葉が出ない俺を気にすることなく、朔さんは手に持った水をぼんやりと見つめながらポツポツと話し始めた。俺が入隊する前から射手を続けることに限界を感じていたこと。だが、射手をやめたいとなかなか言い出せなかったこと。
「射手をやめるための理由が欲しかった。だから私はおまえとの模擬戦で惨敗したことを理由にして、射手をやめることにした」
模擬戦をする前から俺には敵わないと思っていた、と朔さんは言った。初めて聞く話ばかりで頭が追い付かない。それとも頭の中で整理できないのは、俺も少し酔っているからだろうか。
「だけど負けたらやっぱり悔しかった。トリオンとかセンスとか才能とか、おまえは私が欲しかったもの全部持ってたし、私に圧勝したのに全然嬉しそうじゃなかったし。当たり前だ、みたいな冷たい顔で私を見てて、本当に悔しくて仕方なかった。それがいつのまにか嫌いに変わってて…」
「……っ、それ、は…すみませ」
「でもね、だからおまえのこと、嫌いじゃないよ。ごめんね、勝手に射手をやめるための理由に使って、そのくせ勝手に嫌いになって」
朔さんは俯いたまま目元を拭った。拭っても拭っても、朔さんの涙は止まらない。
「……朔さん、泣かないでください」
「っ、泣いて、な」
朔さんがどうして射手を辞めたのか、俺は長い間知らなかった。風間さんたちや東さんは知っていたようだったが聞いても教えてはくれなかったし、もちろん朔さん本人も、一度も俺のせいだと言わなかった。
「俺は朔さんにセンスや才能がなかったなんて、一度も思ったことはないです」
「……っ、いや、そんなお世辞は」
「朔さんは自分に厳しい人だからそう思ったのかもそれませんが、俺にとっては尊敬すべき先輩でした。だからあなたが突然射手をやめたときは驚いたし、今でも勿体ないと思っています」
朔さんが物言いたげな様子で顔を上げる。にのみや、と俺を呼んだ朔さんの声は、今まで呼ばれた中で一番優しかった。
「にのみや、もう一つ言いたいことがあるんだけど」
「はい」
「昨日の返事。おまえのこと、ちゃんと好きだよ」
目を真っ赤に腫らしながら、朔さんはそう言ってにこりと笑った。
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