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■ 幼い夢が目覚めるとき

空には三日月が浮かんでいる。森に入ったばかりの頃はまだお昼過ぎだったはずなのに、もうすっかり暗くなってしまっていた。

「こんなところで何をしているんだい?」

黒いコートを肩から羽織った彼は私と視線を合わせるように地面に膝を付く。ずっと一人ぼっちだった私はようやく誰かに出会えたという事実に安心して必死に事情を説明した。森には入るなって言われてるのに、怒られちゃうかな。そう思ったのは一通り話し終えたあとだった。

「そうか。大事なものなんだね」
「うん。おばあちゃんが作ってくれたの」

彼は怒ったりなんてしなかった。それどころか一緒に探そうと、擦り傷だらけで歩くのもつらかった私を抱き上げてそう言ってくれたのだ。

「子どもだから、こんなに奥には隠さないと思うが……」
「でも、村の近くは全部見たの!」
「それじゃあもう少し奥の方を見てみようか。
僕は赤司征十郎だ。君は?」
「縹木かえでです」

いい名前だね。赤司さんはそう言って優しく微笑んだ。彼の笑顔はいわゆるマセガキだった私を虜にするには十分な威力を持っていた。
赤司さんは私を抱えたまましばらく森の中を歩いてくれた。どうしてそんなところにあったのか。私のウサギのぬいぐるみは森の奥の、大きな木の上で見つかった。

「あそこにある……ほら」
「ほんとだー!でもあんなに高いところにあったら取れないよ…」
「大丈夫、僕が取ってくるから。ここでじっとしてて」

赤司さんが私を地面に下ろして頭を撫でる。人間とは思えない跳躍力であっという間に登ってしまった赤司さんがぬいぐるみを手に取ったそのとき。

「まさかここまで上手く行くとはな」

誰かに腕を掴まれる。おそるおそる見上げると、彼はニタリと笑った。
牙が見えた。普通の人間ではありえないほど、鋭くとがった牙だった。

「うまそ」

そう言って舌なめずりをする男が私の首に顔を埋める。私の抵抗など物ともせず、男の舌が私の首筋を舐め上げた。怖い、こわい、コワイ。誰か助けて、誰か、

「……っ!」

私を捕まえていた男が吹き飛ばされる。その拍子にふらりと傾いた体を、誰かが後ろから抱きしめた。
土煙の向こうで吹き飛ばされた男がゆらりと立ち上げる。それを見て再び覚えた恐怖にガタガタと震え始めた私を抱き上げた赤司さんは驚くほど無表情だった。

「君は今見たことを忘れる。そして、」

「次に僕が起こすときまで、しばらく眠っているんだ」

途端に重くなる瞼。最後に見た赤司さんの目には、怒りと悲しみが浮かんでいた。


誰かに呼ばれた気がして目を開くと、空にはきれいな三日月が浮かんでいた。いつの間に眠ってしまっていたのだろう。ちくちくと痛む手足を見下ろせば、暗闇でも分かるほど擦りむいて傷だらけになってしまっていた。
宝物のウサギのぬいぐるみは見つからないし家には帰れないし。怖くて寂しくてとうとう泣き出してしまった私は誰かに涙を拭われる感覚にゆっくりと顔を上げた。
男の人がいた。黒いコートを肩にかけた、血だらけの男の人。
一目見て恐怖を感じた私は悲鳴も上げることすらできずその場にへたりこんでしまった。それでもその人は無言のまま私の足元に膝をついてケガを治してくれた。
最初は怖い人だと思ってたけど、意外と優しい人なのかも。お礼を言おうとそっと視線を上げると、彼の傍らには私が迷子になるきっかけを作ったウサギのぬいぐるみがいた。

「それ……」
「…ああ。君の?」

そう返した彼はとても寂しそうな顔をしていた。
もしかしてこの人、ウサギのぬいぐるみが好きなのかな。欲しかったのに持ち主が見つかってしまって、悲しいのかな。

「ううん、私のだけどいらない。お兄ちゃんにあげる」
「だが…これは大切なものなんだろう?」
「でもお兄ちゃんはケガを治してくれたから、お礼にあげる。大事にしてね」
「……ありが、とう」

彼は私を抱き上げると、村まで送ってあげると言ってくれた。すっかり安心した私は彼の腕に抱かれながらいろんな話をして、彼は優しく微笑みながら聞いてくれて。

「…家はここ?」
「うん、ありがとうお兄ちゃん!」
「もう森に入ってはいけないよ。危ないからね」

私を家の前で降ろした彼は私の頭を優しく撫でた。そして森へと歩き出した彼を、私は思わず引き止めてしまったのである。

「あの…!あの、また会える…?」
「…君がそう望むのなら」
「本当?約束してくれる?」
「そうだな…。君が大きくなったら必ず迎えに来よう」

約束だと、そう言って彼は私の額に小さくキスを落として今度こそ森に入っていった。
血よりもずっと鮮やかな赤色が見えなくなるまで、私は彼の後ろ姿を見送った。





なんて大事なことを忘れていたのだろう。また会えるかと聞いたのは私で、赤司さんは約束を守ってくれただけなのに。赤司さんが私を自分の屋敷に連れて帰ったのは生贄にするためなんかじゃなくて、子どもの戯言に付き合うためだった。
私は最低なヤツだ。黄瀬さんから赤司さんのことを知ってあげてって言われていたのに、私はこれっぽっちも知ろうとしなかった。

「……あかし、さん」

血の気のない顔。固く閉じられた瞼。私が何度名前を呼んでも、赤司さんは返事をしてはくれなかった。
目から零れ落ちた涙が頬を伝ってシーツに染み込む。赤司さんはもう、あの日のように私の涙を拭ってはくれなかった。

「………っ、」

赤司さんの枕元に置かれたウサギのぬいぐるみも、私が花束のお礼に書いた手紙も、枯れていたはずなのに摘みたてのように咲き誇っている花も。全部全部、赤司さんが私のことを想ってくれていた証だった。

title/サンタナインの街角で


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