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■ 殺人鬼だと名乗るのは

一ヵ月くらい我慢できると思った。
あの屋敷に住んでいた吸血鬼たちは最初は怖かったけれど話してみたら意外といい人たちで、ぶっちゃけてしまうと信用していたのだと思う。特に赤司さんは自分が不利になるような条件を提示して、とても優しくしてくれたから。
だからあの自我を失くしたような目をした赤司さんが怖かった。そのあとに湧き上がった感情は悲しさだった。
あの優しさはすべて嘘だったのか、本当は私の血が欲しかったのか。
私は本当に、生贄だったのか。

「ふ、う……」

目から零れ落ちた涙が地面に落ちる。屋敷を飛び出してから何時間も経った。村に帰ることはおろか屋敷に戻ることすら叶わない。道が分からないのだ。完全に迷子になってしまった。
私はこれからどうなってしまうのだろう。このまま森をさ迷って飢え死にしてしまうのか、それとも。

「ひっ、」

乾いた喉からひきつった声が漏れる。恐れていた事態が起きてしまった。
森に住んでいるのは何も吸血鬼だけではない。オオカミやクマなどの人を襲う生き物だっているのだ。
暗闇の中でギラギラと目を輝かせる何かに足が竦む。後退りすることもできず立ち尽くす私が瞬きをした瞬間、離れたところにいたはずのオオカミは目の前にいた。そして。

「きゃ…!」

オオカミが飛び掛かる。私は重力に逆らうことなく地面に仰向けに倒れた。オオカミの爪が肩に食い込んで、痛みと恐怖でぼろぼろと涙が零れ落ちる。ああ私、このまま喰い殺されるんだ。何も考えられない。痛い、怖い、誰か助けて。固く目を瞑って必死に助けを求める。オオカミの荒い息が聞こえる。
ああ私、死んじゃうんだ。

「やめろ」

刺すような声が聞こえる。オオカミが悲鳴のような鳴き声を上げて私の上から転がり落ちた。
誰だろう…もしかして、

『君が大きくなったら必ず迎えに来よう』

あの人が来てくれたんだ。昔みたいにまた、私を助けてくれるんだ。
安心して力が抜ける。重たいと訴える瞼をこじ開けて、オオカミから私を守るようにこちらに背を向けた彼を見つめた。彼が振り返る。忘れてしまった顔を見ることができるかもしれない。でもそれは一瞬のことで、私は結局彼の特徴さえも記憶することなく再び目を閉じた。
気のせいだろうか、どこかでみたことのある赤を見た気がした。


***


あたりにかえでの血の匂いが充満している。先ほどとは比にもならない濃くて量の多いそれに再び意識を持っていかれそうになりながら懸命に堪えた。またあんな過ちを犯したりしない。それに、それよりももっと大事なことがあるのだから。

「…随分と久しぶりじゃないか」

威嚇もせず、かと言って僕を恐れるような素振りさえも見せず。ただただ不気味なほど大人しく僕を見つめるオオカミから視線を逸らすことなくそう呟くと、次の瞬間そこには心底楽しそうな笑みを浮かべた黒髪の男が立っていた。

「おいおい、久しぶりの再会なんだからもっと嬉しそうにしろよ」
「できればお前とは二度と会いたくなかった」

吐き捨てるようにそう言えば、何が楽しいのか花宮はくつくつと喉を鳴らしてニタリと口角を上げる。人の笑い方でここまで気に障るのは後にも先にもコイツだけだろう。コイツは僕をイライラさせる天才だ。

「お前がオレの食事を邪魔したのは後にも先にもあのときだけだと思ってたけど?」
「女子ども見境なく食事の対象にするお前が悪いんだろう」
「ふはっ、そうかよ?オレが他の女を食っても何も言わなかったクセに、その女には随分と執着するんだな」
「…この子は僕のだ。血が欲しいなら他をあたれ、花宮」

物欲しそうな目でかえでを見つめるその汚らわしい視線から彼女を守るようにコートを掛けて抱き上げる。血の誘惑に一瞬頭がくらりとしたけれど、かえでを抱く手に力を込めることでどうにか堪えた。
そんな僕を見つめた花宮がべっと舌を出す。それから血の付いた指先を僕に見せ付けるようにべろりと舐めた。

「わりーな、味見しちまった」
「っ、失せろ…!」

ぎりぎりと歯軋りをしながら吐き捨てる。僕の能力に掛かった花宮は一瞬苦々しい顔をしたけれど霧になって消えた。花宮の気配は感じない。大丈夫、かえでも食われたわけではないし、早く屋敷に連れて帰って手当てをしてやらないと。

『蜘蛛には気をつけろよ』

去り際の花宮の声が、屋敷へと歩き始めた僕の頭にいつまでもこびり付いていた。

title/秋桜


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