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一人でももう息継ぎができるよ

 変わった亀の兄弟たちは、彼らと同じく変わった鼠の先生に育てられていた。
 私を拾った後、亀の兄弟たちは鼠の先生に、私を飼わせてほしいとお願いし、鼠の先生は暫し思案してから快く了承した。小さな生き物を育てることによって、亀の兄弟たちに情操教育をさせようという狙いがあったらしい。
とにもかくにも、私はこの変わった家族の一員に、「ペット」として加わることになる。―――このポジションが、徐々に変化していくことになろうとは、私も皆も、この頃は夢にも思っていなかった。


******


 スプリンターは座布団に座しながら、机の上に置かれた水槽を見つめていた。正確には水槽の縁にしがみ付いている金魚を見つめていたのであるが、驚いたことにこの金魚は、あるはずのない瞼をぱちぱちとさせ、すっと息を吸い込んだかと思うと、小さな声でスプリンターに向かって語りかけたのである。

「一体どうしたの? 私、皆と一緒に遊びに行きたかったのに」
「すまんなヴィヴィ、今日はお前と2人きりで、話がしたくてな……」
「お話?」

 流暢に話す金魚を目の当たりにしても、スプリンターは別段驚いた様子は見せなかった。彼女が――金魚の性別は雌だった――どうして、このようになってしまったのか、理由を推察できていたからだ。初めて彼女がこの下水道の住まいにやってきた日、彼の息子の一人が指に怪我を負った。原因は金魚を入れていたガラスの容器だった。息子たちが見せたそれは、縁が割れて鋭利なぎざぎざを作り出しており、そこに僅かではあるが付着した血が、容器の内側、つまり金魚の入った水の中に向かって赤い一筋を描いていた。その際は特に気にとめることはなかったが、時が経つにつれ金魚の体に変化が起こっていることに気がついた時、スプリンターはその光景をはたと思い出したのである。
 彼や息子たちが、施設で飼育されていた折に、身体に注入された『ミュータジェン』という物質が―――息子たちの血中に残留しており、それがあの思わぬ事故によって彼女の体内に取り込まれ、影響を与えたのではないか。聡明な彼はそう解釈していた。それと同時に、彼女が自身の家族の中で置かれている立場を、改めることが必要であるという判断も下していたのであった。

「お話って何?」
「お前の今後についてだ」
「……どういうこと?」
「お前自身も気が付いている通り、お前はただの金魚ではない。我らと同じミュータントだ。こうして儂と会話することもできるし、水の中でなくとも呼吸ができる。顔つきも変わってきた。恐らくはこれからも、何らかの変化がお前の体に生じてくるだろう」

 ヴィヴィは瞼をぱちぱちとさせながら、自分に語りかけるスプリンターを見上げた。

「私、変化なんて怖くない」
「それは頼もしい。しかしな、君の体が変化することが分かった以上、このままの状態ではいけないと儂は思うのだ」
「このままって?」
「お前を息子たちのペットとして扱うことだ」
「……駄目なの?」
「ああ、駄目だ」

 スプリンターの返事に、ヴィヴィはショックを受けたらしい。小さな瞼がついた目が伏せられた。そんな彼女の姿を見、今度はスプリンターが瞬きを繰り返した。

「どうしたのだね」
「……こんな身体にならなければよかった」
「なぜそのようなことを言うのだ」
「だって、私、もう皆のペットじゃないんでしょう。もう、家族じゃあないんでしょう。こんな身体になっちゃったんだから。だったら私、普通の金魚のままでよかった」
「待て、待つんだヴィヴィ。お前は大きな誤解をしている」
「誤解?」

 再び顔を上げたヴィヴィに向かって、スプリンターは大きく頷いた。

「儂はお前をペットとして扱うことはやめるとは言ったが、お前を家族として扱わないなどとは一言も言っておらんぞ。お前は今まで通り私たちの家族だ。しかし、これからはペットではなく、亀たちと同じように儂の子どもとして接するつもりなのだ」
「子ども!凄い!!」

 すっかり機嫌を直したらしいヴィヴィは、水槽の縁から身を乗り出した。それが余りにも勢いづいていたため、危うく水槽から転落しそうになったが、スプリンターが手を添えたために、そうはならなかった。

「じゃあ私も、ドナ達と同じように忍術の稽古をするのね!」
「ヴィヴィは忍術を学びたいのかね」
「勿論! 私も皆の役に立ちたい!」
「役に立ちたい、とは?」
「だって私、自分で言うのもなんだけど何もできないんだもの。水換えはレオがやってくれないとできないし、ご飯だってラファが用意してくれないとダメだし、ドナが見てくれないと体調管理だって難しいし、マイキーは、その……ええと、とにかく今の私は全然、役に立ってないの!」
「成程……しかし儂としては、お前には別のことをしてもらいたいのだがね」
「別のことって?」
「亀たちの支えになることじゃ」
「だから、それは忍術を覚えて……」
「何も忍術を学ぶことだけが全てではないぞ」

 髭を指で梳きながら、スプリンターは話を続けた。

「お前と同じように、亀たちもどんどん成長する。その過程で、時には互いに衝突し合うこともあるだろう。全てが今まで通りと言う訳にはいかない。いつまで儂が、ついていられるかもわからぬし―――」
「先生、そんな怖いこと言わないでよ!」
「すまんな。しかし、残念ながらこればかりは避けられぬことだ……だが、そういう時にこそ、お前の存在が重要なのだよ、ヴィヴィ」
「ううん……よく…わからない」
「今はそれでもよい。だがヴィヴィ、お前は、自分のことを『役に立たない』と思っているようだが、それはお前の思いこみにすぎないのではないのかね。まあ、これもいずれわかるじゃろうが―――」


******


 あれから十年くらい、年月がたった。「お父さん」の言う通り、私の身体はゆっくりと変化を続け、あの頃と比べたら、少しは身の回りのことができるようになった。しかし依然として、水換えもご飯も、健康管理も、移動も自分一人ではままならなかった。
 役に立っている、という実感は、残念ながら少しも感じたことはなかった。寧ろ状況は、悪化しているのではないかとすら思えた。そして、そんな私とは正反対に、亀の兄弟たちは、恐ろしいくらいに成長を続けていた。
 仕方のないことだと割り切り、何ともないように振舞いつつも、どこか焦りを感じずにはいられなかった。

(了.2015/10/16)

(since 2014.08.26 Komamaru)

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