「最近ロッタが冷たい」
寒さもいくばくか和らぎ、辺りを真白に染めていた雪も所々になり始めた、ある日の昼下がり。 開店もしていない店に、連絡もなしにやってきた客人…もとい旧知の友人は、本来であるならば品物を渡す目的で作られた筈のカウンターに肘をつき、前置きも何もなしに呟いた。
「そんなことを言うためだけに、開けてもいない店にわざわざ来たのか?」 「……カミルも冷たい」
正午をとっくに過ぎた、午後のティータイムに相応しい時間帯。 「開店時間も営業日も店主の気紛れで決まる仕立て屋」でお馴染みのカミルの店にやって来たのは、「吸血鬼と噂される程の古城に住まう容姿端麗な英国紳士」と名高いアデルその人。 カミルの呟きに一瞥くべると、明後日の方向を見ながら、アデルが小さい声を出す。この場合「ぼやく」が正しいだろうか。
「――はいはい、聞いてあげるから。何があった?」 今日ほど、この男が扱いづらいと思ったことがあっただろうか。いや、いつもどこか掴み所がなく何でも柔らかな笑みで受け流しているこの男は、昔から手強かった。 今ではかなりまるくなったが、初めて会った時はどこか人を寄せ付けない、今とは違う雰囲気を纏っていた。 この男を変えるきっかけはもう覚えていない。 ただ、ここまで表情豊かになったのはきっと、あの小さな仔猫との出会いが関係しているんだろう。 カミルは小さく微笑むと、両手に持ったカップを1つ、アデルの前に差し出す。ほろ苦い香ばしいコーヒーの香りが鼻腔に広がった。 それに一度口を付けると、アデルは言葉を紡ぎ始める。
「……最近二人の様子がおかしいんだ。毎朝嫌でも起こしに来ていたロッタが近頃来なくて、昼過ぎに自然に目が覚めるまで寝させてくれるんだ。嬉しい筈なんだけど何だかしっくりこなくて…。それで、お腹が空いているだろうと思って簡単なスイーツを出すと、まじまじとそれを見つめて溜め息をつくんだ。味には自信があるから不味いとかじゃないと思うんだけど…飽きてきちゃったのかな…。夜は夜でジルと二人で部屋に篭って出てこないし……近頃夜のティータイムは一人なんだよ…。……いつも僕にくっついていたのに……どうしたのかな…反抗期かな…だとすると、ジルもなのかな」
重症、だ。
元々口数の多い方ではなかったが、アデルがここまで一気に捲し立てたところなど、カミルは見たことがない。二人に遠ざけられてることが、余程堪えているらしかった。 そもそも、カミルには二人のその行動理由に大方の予想はついている。むしろそれ以外にあり得ない。
さて、今日は何の日だったか。 「…………。」
秘密にしようと奮闘している二人の為と、そんなことにも気付けないアデルに呆れ、カミルは声が出なかった。
「…カミル?」 何も話さないカミルを不審に思ったアデルが、覗き込むように上目遣いでこちらを見やる。少年とも青年ともつかない容姿のその瞳には、今は不安の色が滲んでいた。
「――ああ。いや、気にすることじゃないと思うよ。――全くね」 「そう、かな…?」
嘘偽りない言葉で伝えるが、アデルはまだ不安なようだ。
「そう、だ。ほら、いつもの余裕のあるフォード卿はどこにいったんだ?」 「余裕なんて、持ってた覚えはないよ?」
カミルの言葉に、この日初めて、アデルが笑みを浮かべた。 それを見て、カミルも内心ホッとする。ハーフパンツのポケットに手をやり、中からシガレットケースを取り出す。タバコを一本口に加えると、カウンターに置かれていたマッチで火を起こし、タバコの先に火を付けた。 途端、室内に広がる甘い香りと白い煙。 「――まったく……あの二人のことは信じているんだろう?」 「…………。」 煙を目で追っていたアデルは、カミルの言葉に一瞬だけ目を見開くと、すぐに穏やかな表情に変わった。
「――うん、そうだね」 コーヒーを口に運ぶアデル。その姿は、数刻前の人間と同一人物とは思えないほどに、落ち着き払っていた。 それを見て、カミルは小さく肩を竦める。
「なら、もう此処にいる必要はないな?」 「ん。帰るよ」 「そうしてくれ。この貸しは高くつくぞ?」 「ふふ…、何がいい?」
カミルは一瞬だけ考えると、口角を上げてアデルに告げた。
「そうだな……、チョコレート以外ならなんでも大歓迎だ」
† † †
カミルの店から出たアデルは、元来た道をゆっくり歩く。カミルに全て打ち明けたお陰だろうか、来るときよりも足取りが軽く感じられた。 二人のことは心から信頼している。アデル自身が裏切らない限り、あの二人が離れていくことなどありはしない。 アデルにとってそうであるように、二人にとってもアデルはかけがえのない存在であるはずだから。
「無断で出てきちゃったからな…ロッタ怒ってるかな…」 言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうに呟くアデル。 そして、ゆっくりと扉に手をかけた。
――キィ 廊下に響く扉の音。 それと同時に、廊下の向こうから徐々に近付いてくる音があった。 近付くにつれてその音は大きくなる。 擬音を付けるならばそう、「ダダダダダッ」だろうか。
「マスターっ!!」 「わっ」
姿が確認できる距離になった途端。持ち前の跳躍力で主に飛び付いたのは、猫耳二股尾の持ち主、シャーロット。 辛うじて受け止めたアデルの胸に、シャーロットは力の限りしがみつく。
「ロッタ…?」 「マスター急に居なくなるから…っジルさんと城中探してもいないし……どこかに消えちゃったのかと…っ置いていかれちゃったのかと……っ」
シャーロットの言葉に、後ろを着いてきていたジルを見ると、ジルもまた複雑な表情をしていた。 心配を、掛けていたらしい。 それも半泣きになってしまうほどに。
本当に、自分は何を不安になっていたのだろう。 「――ごめんねロッタ、それにジル。ちょっとカミルの所に行ってたんだ」 「…カミルさんの…?」 「うん、ちょっと……世間話をしに、ね。黙って出ちゃってごめんね」 シャーロットの頭を緩やかに撫で、ジルに笑みを向け、宥めるように優しく語りかける。
「……置いてっちゃ、嫌です…」 「僕が君たちを残して居なくなる、なんてことは有り得ないよ」 「……絶対ですよ?」 「ん。絶対だ」
シャーロットが胸から離れ、真っ直ぐに金と銀のオッドアイをアデルに向ける。 正面からその視線を受け止めると、アデルは再び微笑んだ。
「――そうだ。お詫びのしるしに、何か作るよ。リクエストはあるかい?」
軽い提案のつもりだった。 アデルがそう告げた瞬間。シャーロットの耳や尾がピンと立ち、ジルも何処か緊張した顔付きに変わった。 二人の視線は、真っ直ぐアデルに注がれている。いつものスイーツを要望される時とは違う目。
「……あれ?どうかした?」 アデルはその端正な顔に、困惑の表情を浮かべ、首を傾げた。
† † †
「ここで待っているように」そう二人に念を押され、アデルは一人、いつもの暖炉の傍で椅子に腰掛けていた。その二人はといえば、揃って部屋を出たきり、まだ戻ってきていない。
「――マスターっ」 扉を開けて二人が戻ってきた。先程と特に変わっていないようだが…いや、シャーロットが両手を後ろにやり、明らかに何かを隠しているようだ。 ジルとシャーロットが目配せをし、どこか恥ずかしそうに、それでいて期待に満ちた瞳でアデルを見る。 「はいっ」 「…………?」
後ろに隠していた「何か」をシャーロットが差し出す。 それは、綺麗にラッピングされた箱。 アデルは差し出されたままに、受け取った。
「……えーと、僕に?」 「そうですよっ」 「二人から?」 「はい、私とジルさんからです」 「そう……」 「アデルさん?」
反応の無いアデルを不思議に思ったジルが、様子を伺う。 受け取ったアデルは、箱を見つめたまま、珍しく眉根をひそめている。
「……何で僕に?」 「「……っ?!」」
アデルの放った強烈な一言に固まる二人。 しばらくの間、誰も動けず、誰も言葉を発することは出来なかった。
「……え、えーと…アデルさん?」 「ん?」 「今日が何の日か知ってますか?」 「……誰かの誕生日だっけ?」
むしろその逆です。とジルは心の中で突っ込む。 「……。っと、アデルさん本当に今日が何の日かわからないんですか?」 「わからないから聞いたんだけど…?」
いじけたように返すアデル。わからないというのは、本当のようだ。 シャーロットはと言えば、博識と信じていた主のまさかの発言に呆然としている。
「――今日は、バレンタイン、ですよ」 「バレン、タイン…」
ジルの言葉を反芻し、再度手元の箱を見、二人を見たアデルは、ようやく理解したようだった。 「…あ。あー、そっか。それで」 「なかなか気付いてくれないから、はらはらしましたよ」 「マスターがご存じないなんて…」 「あはは…、開けてもいいかな?」 「もちろん」 「どうぞ!」
苦笑しつつも、箱の包みを丁寧に開けていく。そして、蓋を開けると中には大小様々な大きさのチョコレートが。見たところトリュフチョコだろうか。アデルにとっては然程難しくないものだが、普段料理をしない彼らにとっては苦労したことだろう。 それこそ、アデルに知られないよう、寝ている間や夜中に二人で試行錯誤を続けていたのではないか。
「――ん、とっても甘くて美味しいよ」
一粒手に取り口に運ぶ。 口内に入れた瞬間、それはほどけるように溶けた。 「…マスターの作るものに比べれば、まだまだですけどね」 「アデルさんの足元にも及ばない…」 「僕にとってはどんなものよりも、素晴らしくて美味しくて、これ以上のものはないくらいだよ。――ありがとう」
チョコレートのように甘い微笑。 シャーロットとジルは、自然と頬が緩むのを感じた。
「――さて、それなら僕は君たちの為に夕食を作ろうかな。デザートはフォンダン・ショコラにしようか」 「フォンダン…?」 「わぁ!楽しみですっ」
アデルの提案に、首をかしげるジルと、目を輝かせて喜ぶシャーロット。 それを見て、アデルは更にその微笑を深くするのだった。
sweet sweet valentine... |
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