既婚者松川 | ナノ
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師走、年末であるということもあり、店内は非常に混雑していた。店員は空元気なのか妙にテンションが高く、なんとなく恐ろしいと思えるほどだ。以前と同じメンバーで、わいわいと賑やかに職場の愚痴と少し込み入った話を声高らかに暴露しあう。あまり品はなかったが、そんなにおかしいことをしている訳でも言っている訳でもないのに、各々が手を叩いて元気よく笑っていた。松川のことしか見えていない、この女以外は。

純粋に、嫉妬していた。何気なしに腰を下ろしたが、自分が座っている位置は松川と最も離れている。長方形のテーブルに、6人が3人ずつ、向き合うように座っている。個室であるそこの奥になまえ。そこと1番離れた、個室の出入り口付近に松川。何より勘にさわるのは松川の隣にいる、営業部唯一の女なのだ。その女と松川の距離感に、なまえはもう、少々カチンときていた。甘えた声、松川の逞しい腕にひっつく身体。わざとらしい上目遣い。松川も松川で、元々来る者拒まず的なところがある為か、特に嫌がるそぶりも見せず、ごくごく自然に対応をしている感じだ。この男は当たり障りない対応が上手いのだ。

「松川さんてぇ、奥さんだけなんですかぁ、」

どきり、とする。松川はこんな問いに、どうこたえるのだろうか。なまえは自分が質問されている訳でもないし、自分たちのことが公になっている訳でもないのに、なぜか目を伏せてしまう。一方松川はそんな問いにも特に狼狽えることもなく、淡々と言葉を返した。この辺りの反応はさすがとしか言いようがない。

「そりゃあねぇ。日本の法律が許してくれないから」
「でも、松川さんって本当にないんですか、そういうの」
「なに、そういうのって」

今度は酒に強い、なまえと同じ部署の女が、まだしっかりとした口調と瞳でそう問う。男は心底突かれたくないところを突かれているだろうに、にこやかに笑って、まったくもって平気な様子だ。

「絶対モテるじゃないですか。背も高いし、顔もかっこいいし、仕事もできるし」
「あらっ、なに?褒められてる?飲めばいい?一気?」

松川は半量程が残っている生ビールのジョッキを持ち、くいと喉に流し込む。言ってしまえば、褒められることに慣れきっている男にとっては、くすぐったくもなんともない言葉だ。

「いや本当に、冗談じゃなくて。私、松川さんが結婚してなかったら好きになってますもん」
「わかります〜、わかる!松川さんに遊ばれたい!」
「あはは、そんなことしないよ。遊びで女の子と付き合ったことなんてないもん」

嘘だぁ、と。松川の言葉に女性陣は大批判である。勿論、なまえも同じことを一瞬思ったが、そもそも自分と松川は“付き合っている”訳ではないのだ。そんなにいい関係ではないのだ。

「嘘じゃないよ。意外と真面目だよ、俺」

松川のその言葉に、説得力なんてものは微塵もなかった。なまえの方もやるせなくなり、手元にあった甘ったるいアルコールをこくりと喉に。熱くなりだす頬を、つめたい手のひらで包み冷やそうとするが、酔いがまわるのがいつもより早く、じんじんと熱いままだ。正面に座る営業部の男に心配もされるが、当たり前に大丈夫だと答えその後も数杯グラスを空けた。なるべく、松川の話が耳に入らなければいいと思っていたが、それらは遠慮なしに鼓膜を震わせる。

「でもぉ、確かぁ、まだお子さんもいないんですよねぇ」
「うん、ほら、それは俺1人の問題じゃないからね。授かりものだから」
「言われません?孫の顔がみたい〜って、親御さんから」
「奥さんの親御さんはよく言ってるかな。早くって言われてもねぇ、こればっかりは」

アルコールのせいではない吐き気に、なまえはうんざりしていた。前とは、違う。松川に抱かれる前とは全然違う自分の中で渦を巻くどす黒い嫉妬心に、もう嫌気がさしていた。あんなに丁寧に、優しく抱いてくれるのに、自分は彼の1番ではない。むしろ自分は、2番ですらないのだ。お情けで、セックスフレンドになってもらっているのだ。順位なんてつくはずがない。
松川の奥さんが、羨ましい。羨ましいなんてぬるい言葉ではない。羨ましくて、のたうちまわりのどを掻き毟るほど、羨ましい。どんなに羨んだって、手に入りっこないのだ。高級ブティックのショーウィンドウに胸を張って飾られているバッグは紙幣をかき集めれば手に入るが、松川は絶対に手に入らない。揺るがない事実は、しっかりと理解はしている。してはいるが、飲み込むことはどうもできないようだ。

「…あのねぇ、飲みすぎでしょう、どう考えたって」

3時間ほど、店内にいただろうか。前回と同じパターンだった。なまえと松川以外のメンバーは電車の時間が、と言いながら店を後にした。すっかり酔っ払ったなまえと、かなりの量を飲んでいたのにも関わらず足取りのしっかりした松川。前回とは違い、これからの流れも決定している。なまえの家で夜を過ごすのだ。

松川は、なまえからの恨めしい視線にもちろん気付いていた。話の内容が、女の機嫌を損ねることもわかっていたし、大して可愛くもない同部署の女が胸を押し当ててくることだって正直に言えば不快でしかなかったが、職場の人間である。酷くするわけにはいかない。適当に受け流すのが一番いい対応なのだ。

「そんなに飲んでないです」
「よく言うよ。フラフラじゃん」

ほら、となまえの腕をとり、ゆったりとしたペースで歩き出そうとするが、女は男の好意を腕を振り払うという形で踏みにじる。ご機嫌斜めだなぁと、松川は他人事のようにぼんやり考えた。理由がわかっているので、そんなに狼狽えることも慌てることも驚くこともなかったのだ。まぁそうなるよな、とそのくらいだ。

「なまえ」
「…わかってますよ」
「なにが」
「私は、所詮、」
「…うん」

まためそめそとしてしまう自分が、なまえは大嫌いだった。もっと物分りがいいと、自分は他の女とは違い、この関係を割り切れるとそう思っていた。松川の幸せを、今の生活を邪魔しないで自分は空気のように佇むだけ。そう決めていたが、どうやらそんなにお利口さんにはなれないようだ。今だって思う。別れればいいのに、と。自分と松川の関係が奥さんにバレてしまえばいい。そうしたら松川を独り占めできるのに。あまりにも利己的な、身勝手な、そしてなにより最低な思考である。

「俺はなまえのものだよ」

何を口走っているんだろう、と。松川はそう自分自身に疑問を抱きつつ、言葉をとめることはしなかった。多分もう、ぶわりと溢れているのだ。我慢ができなくなっている自分の想いに、男は少し笑ってしまう。

「上手く言えないし、信じてもらおうとも思ってないけど」

松川はなまえの髪を柔く撫で、背中を弱い力でさすり、はぁと白い息を吐き出して、言葉を繰り返す。

「俺はなまえのものだよ。でも、なまえは俺のじゃないから」
「…え?」
「だからあんまり好きにさせないで。離れなきゃいけないときに、離れられなくなるから」

そう言った松川の瞳が、少し潤んでいたことに、ボロボロと涙を零していた女は全く気付いていないのだった。帰ろう、と繋いだ手は触れる指先がなんとも冷たく、あぁ冬がやってきたのだなと男も、女も、ようやく実感していた。

「一応聞くけど、家、行っていい?」

腰を折って、なまえの顔を覗き込むようにそう問う松川。返事をするまでもないと思ったが、繋いだ指先にキュッと力を込め、数度こくこくと頷いた。よかった、と冷たい空気に吸い込まれるように発せられた男の言葉は、心の底から生まれたものだった。堕ちているのは、お互い様のようだが、女の方がそれに一切、気付いていなかった。最後まで、自分だけだとそう信じ、男の心に潜む想いに、これっぽっちも気付かなかったのだ。

2016/12/14