花巻長編 | ナノ
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無理やりのお揃いは案外悪くなかった。おそらく馬鹿馬鹿しいと、そう友人に茶化されても仕方ないと思えるくらい、自分でもこんなのキャラじゃないとは思うのだが、この女なのだ。5歳児に強請られたら、仕方ない。

「何食えんの」
「だいたい食えるよ、マッキーは何が好き?」
「シュークリームかなぁ」
「ふーん、それは知らないや。おいしいの?」
「お前シュークリーム知らないの?」
「知らないよ、ダメなの?」
「いや、ダメとかじゃないですけど」
「ねぇ、何食べる?マッキーはどれ?」

先ほどからこの女はそればかりで、向かい合っている男がうんざりしてしまうほどだ。若い女って何が好きなんだって考えて、パスタとかピザとか、なんかそんなもので大丈夫だろうと思い、それらを提供していそうな店へと足を踏み入れる。どう考えたって普通じゃないこの2人は(正確に言えばこの男はまぁまぁ普通で、普通でないのはなまえだけなのだが)もうすっかり、日常の生活に溶け込んでいた。どこにでもいる、ありふれた男女。誰も知らないのだ。花巻しか知らない。なまえとは昨晩出会ったばかりで、自分の部屋の前で素っ裸で座り込んでいて、知らないことがあまりにも多くて、なぜか現金はやたらと持っていて、わりと可愛くて。そんなことは全部、花巻しか知らない。

「決めた?」
「これなに?」
「どれ」
「これ」
「オムライス」
「なに?」
「たまごで飯包んだやつ」
「どんな味?甘い?」
「甘い?美味いよ」
「じゃあこれにする」
「そ、」

日々の労働の疲労と、昨日からのこのハプニングとで疲れ切った彼は随分と雑…いや、端的にオムライスについて説明を行なったが、なまえはそれに腹をたてることもなく、すんなりと決定をし、とても大人しく料理が運ばれてくるのを待った。男はぼんやりと女の整った顔立ちを見つめ、考えるのだ。いったいこの状況はなんだっていうんだ。これ、いつまで続くんだ。どこに何を申請したらいいんだ。頭を少し働かせてやめた。疲れるだけだし、考えたってわかりっこないし、注文した料理が運ばれてきたし、もういいんだそんなことは。

「うまい」
「美味い?」
「うん、うまい」
「そう」
「ねぇマッキー、」
「ん?」
「ありがと、」
「…うん、いいからさっさと食って」

わっかんねぇな、何で涙目なんだよ。なんでそんな顔するんだよ。屈託のないバカみたいな顔でニコニコしてりゃあいいのに、なんで。苦しそうななまえの顔を見ているのがしんどくなって、花巻は自然と女から視線を外していた。会話もない。周りのガヤガヤとしたノイズは愉快でも不快でもなく、ただの雑音。温かいはずのパスタは冷たく感じるから人間のその辺の機能って案外雑に、都合よく作られているんだと思う。すんなり食事を終えた2人は、再びフラフラと歩き出す。なまえの涙はもういなくなっていて、キョロキョロとあたりを見渡すのだ。危なっかしくて手を握ってやれば、とろりと笑うからもう正直、たまらなくなって。

「あんまフラフラすんなよ」
「…ごめん」
「何照れてんの、今更」
「…て、おっきいね」
「ん?」
「マッキーの手、大きいね」

キュッと、力が込められた手のひら。柔らかく小さなそれはどうしたって愛しくて、キュッと握り返してしまう。初々しいカップルのようで、この2人はとても可愛らしかった。女を見下ろす花巻の表情はオフィスにいる時とは比べ物にならないくらいに温和で、男を見上げる女の瞳はじわじわと恋に落ちているのがよくわかった。こんな出会いってあるんだな。男は日々労働に勤しむ自分に神様がご褒美をくれたのかと、そう思い込み勝手に解釈をして勝手に納得するくらいには頭がいかれていた。のんびりまったり過ごして、さて家に帰ろうかって、そんな空気になった時、なまえが口を開く。なんとも自然な提案だ。ほんの数時間の幸せにすっかり侵食されていた夢見がちな彼は、女の様子がおかしいこととか、なんで急にそんなことを言い出すのだろうとか、そういう疑問を一切抱かなかった。信じていたのだ。この、女のことを。得体の知れない、なまえのことを。

「マッキー、わたし下着屋さんで忘れ物しちゃった。寄ってくる」
「場所わかんの?」
「わかるよ」
「一緒に行く」
「いいよ、マッキー恥ずかしいでしょ」

今日、シャワーを浴びた後に身につける下着がないことに気付き、その店を通りかかった時に何か選んで買うようになまえに提案したんだ。えぇ…と渋るなまえはその店のあの独特の雰囲気に気圧されていたが、早くしろ置いていくぞと男から言われたものだから嫌々店内へ。花巻以外の誰かと関わるのがなんとなく嫌らしい。重たい足取りで進み、「マッキーも一緒に来てよ」と強請ってみるがさすがにここには一緒に入れないと断固拒否。買い物を終えるまでは店の近くで女を眺め、時間が過ぎるのを待った。確かに着いて行ったって花巻ができることなんて1つも無い。だからストンと納得した。一度行った場所だし、店が店だし、なまえ1人で行かせた方がいいな、ちょっと疲れたしそこのベンチで彼女を待とうなんて、そんな浅はかな考えだった。最悪の展開、なんて考えていなかったのだ。

「そこで待ってる」
「うん、」
「ここにいるからな」

その問いかけに女は先ほどまで繋いでいた手を小さく振って笑ってみせる。純粋に、可愛いなと。そう嬉しくなって、緩む口元にどうにか力を込めてだらしなくならないようにしていた自分は、なんて頭が足りていないんだろうか。そこに腰掛け、随分と長い時間女を待った。そして結局、実際待っていたのが何分かなんてわからなくなってしまうくらい、慌てていた。遅すぎる、何で戻ってこないんだ。胸騒ぎを抱えながら下着屋に駆け込んで、少々不審な目で花巻を見る店員のことなんて気にする暇もなくなまえのことを問いかけた。戻ってきていない、という言葉を信じたくなくて、信じられないけどそう駄々をこねている場合でもなくて。そこらじゅうを探す。靴屋も、何となく入った飲食店も、ふらっと立ち寄ったセレクトショップも。どこにもあの女はいなくて、いや、いるのかもしれないけれど見つけられない。ふざけるなよ、と何度も唱えて必死に足を動かしてみる。もしかしてもうここから出ているのかもしれない。いや、そんなことあるか?なまえだぞ?知らないことだらけのこの世界でそんなことできるか?あいつは電車も切符も、多分タクシーも知らない。住所という概念を知っているだろうか。ぐるぐるぐるぐる思考を回して、呼吸はこれでもかと乱れる。こんな時なのに学生の頃を思い出していた。体育の長距離走嫌いだったなぁ、なまえも嫌いそうだな、なんて。こんな時にそんなことを考えている自分はもう脳に酸素がうまく回っていないんだ。思考が正常じゃない。ううん、朝からずっと普通じゃないのだ。これが、普通なのだ。あの女のいない日常の方が、ありふれたものなのだ。

「…どこだよまじで、」

一旦、家に戻ってみる。ショッピングモールはもう閉店の時間に近付いていたし、一応館内放送もしてもらった。まぁ、逃げられたのだから呼び出したところで来る訳がないことはわかっていたけれど。どうか、とすがるような思いで花巻は自宅の家の扉を開けたが、もちろんなまえはいない。再び施錠をして、この周辺を探す。やっぱり一度、あの駅まで戻った方がいいんだろうか。なまえが電車に乗れる訳ないもんな。いや、どうしたらいいんだ。あいつは携帯電話も持っていない。警察に頼りたくたってあいつのことを何も知らない。関係性だってない。泣きたくなる衝動をどうにか抑え込んでいた。自分はもう大人の男なのだ。よくわからない女がいなくなったくらいで泣いてはいけない。額からぽたぽたと汗が落ちる。背中はぐっしょりと濡れていた。走って、止まって、探して。それを繰り返せばもう、日付と日付のラインが近付く。自宅とその最寄駅の間くらいにある小さな公園。キィ、という音にびくりと反応して目を凝らせば、長いスカートがゆらり。

「おねーさん、」
「…マッキー」
「どうした?」

怒鳴りたい衝動は、女の頼りなさげな様子を見てデクレッシェンド。しゅんとしぼんでしまう。あぁ、そうなんだよなぁ。この女、何が何だかわからない女なんだよなぁ。蜃気楼に包まれて消えていってしまっても、俺は何にもできないんだよなぁ。自分もぽつりと泣いていることに気付き、これ以上溢れないようにどうにか抑え込む。なぁ、いついなくなるの?ねぇ、ずっとこうしていられんの?ねぇ、どうなの?そう聞いたってどうしようもないことくらい、花巻だってわかっていた。女はどうせ、ひどく可愛い顔で「ん?」って言ってきょとんと見上げるだけだ。愚問はよそう。

「広かったもんな、あそこ。迷っちゃうよな」
「なんで、」
「ん?」
「なんで、わかったの、わたし、」
「帰ろう」

言葉を皆まで聞きたくなくて、遮るようにそう言っていつの間にか抱きしめて。なまえは呼吸が荒く、洋服がぐっしょりと濡れている男にただただ驚いていたが、少しするとぽろんと泣き出した。ごめんなさい、と繰り返す。かりかりの背中を、花巻はゆっくりゆっくり撫でた。汗だく、10月の夜の公園。ぐんぐん汗は冷えていくが、自分の胸で泣くなまえの身体はどくどくと熱くて、何が何だか、いやそもそもだが、なにもわからないままだった。

2017/07/21