ギルギルギルティ | ナノ
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ボロいけれど大切に履かれているローファーをきちんと、私の家の狭い玄関で揃えた。「お邪魔します」と言われたので「狭いし散らかってるけどどうぞ」と返す。面白みのない、どこにでも転がっているやり取りだった。
近所のスーパー、支払いは私で荷物を持つのは黒尾くん。気温がぐんぐん下がり、肌寒いなんて緩い言葉では足りない季節に差し掛かっている。吐き出す息に色がつく時期が、もうそこまでやってきているのだろう。夜道、彼との距離は絶妙。一つ明確なのは、友達以上恋人未満ですらないこと。知り合い、知人、顔見知り。そんな言葉がちょうどいい距離で、てくてくと五分ほど歩き、見慣れた我が家。エレベーターで三階へ。密室、ほんの数秒が、なぜこんなにも長く感じるのだろう。

「座ってて」
「手伝うよ」
「いいよ」
「いいよ」

散らかってるけど、なんて言ってはみたが、一応、昨日いつもより念入りに掃除をしたのだ。そんなことをこの男の子が知ったら格好悪いと思うのだろうか。でもこれは、人を招く為の最低限の礼儀なわけで、そういうつもりじゃなくて。

「黒尾くん、料理するの?」
「調理実習とかやるよ」
「えっ、高校生ってやるっけ、調理実習」
「うん、多分やった。二年…いや一年の時かな」
「記憶曖昧じゃん」
「普段もたまーにするよ。料理と呼んでいいのかわかんないけど」

包丁で食材をほどほどの大きさに切る音、それらを流水で洗う音、棚の奥から久しぶりに取り出された土鍋がコンロの上で煮えたつ音。それらと私と黒尾くんの声が混じり合い、楽しげな雰囲気が湯気と共に充満している。いつもなら、仕事終わりの重たい身体をどうにかこうにか引っ張って電車に乗り込み揺られ、改札を抜けたら最後の体力を振り絞って競歩以下の早歩き。家に着いたらハイもう閉店、営業終了。今日も一日よくがんばりましたねと自分で自分を褒め称えつつ、纏わり付いた装身具を手早く外していつもの定位置に。ほんのり溜まった洗濯物は見えないふり。朝、コーヒーを飲んだマグカップがシンクで息絶えている。冷蔵庫はからっぽ。胃は何かを送り込んでくれと苦しそうに鳴くが、体力ゲージゼロの私にそんなこと求められても、という感じ。コンビニに寄るのも、面倒なことがあったりするのだ、察しておくれ。もう大人なので、知っている。さっさとシャワーを浴びてスキンケア。髪を乾かして明日の仕事の準備、歯を磨いてベッドに潜り込めば明日の出だしが好調なことくらい、考えずともわかることなのだが、生憎、倒れ込んだこのソファから動けやしない。そんな毎日だ。毎日、と言ってしまうと多少大袈裟だが、まぁでも、七割くらいはそんな感じだ。家と職場を往復するだけの、最近どう?と問われても何とも答えようのない日々なのに、今日は。

「みょうじさん、もう葉物入れていい?」
「うん、いいと思う」

男子高校生が、私の部屋にいる。高校生じゃなくなってから数年が経つと、自分と同じ生命体だとは思えない存在だった。極端に言えば動物園にいるシマウマのようなー…いや、それは少し違う。シマウマは電車に乗ってきたりしないもんな…。とにかく、あまり触れることのないもので、なのに、それがいま、自分の左側にいて、私の名を呼ぶから。

「黒尾くん、部活やってるってことはアルバイトとかしてないんだよね?」
「うん、やってない」

彼がバレーボール部に所属していることは、メッセージアプリでやり取りしている時に知った。背、高いよね?みたいな会話の流れから得た情報だと思う。バスケ部っぽいよね、と伝えたら「よく言われる」と返信が来たことも、よく覚えている。

「なんか、慣れてるよね」
「ん?」
「だって私、七つも上なのにさ」
「まだそれ言う?」
「私、黒尾くんと何話したらいいかわかんないもん。なのに普通に話せてるってことは、黒尾くんが上手に話してくれてるってことだし…」
「まぁ、でもさ、みょうじさんはしてないでしょ?」
「ん?」
「緊張、してないでしょ。悪いけど俺、自分がなに話してるかあんまりわかってないから」

黒尾くんはそう言って、俯いて、多分、笑っていて。確かに、歳下のこの子に対して緊張はしていない。何を話しているかもわかる。

「あー、ごめん。こんなこと言うつもりじゃなかったんだけど」
「…緊張、って」
「するでしょ、そりゃ」
「なんで」

私が歳上だから。それだけだとわかっている。誰だって目上の人と話す時はちょっと構えてしまったりするものだ。黒尾くんが私に抱いている緊張も、単純に、それであるべきなのに、彼はもう私によっぽど、自分の想いを知らせたいのだろう。生意気そうにこちらに目線を寄越した後、だってさ、と話し出す。

「そんなん言ったらさ、もう会ってくれないじゃん、みょうじさんは」

ねぇ、何で私のこと好きなの?
そう聞きたくて仕方なかった。そんなんじゃない、自惚れるなと。何度か自分に言い聞かせたが、効果はない。だって、こんなの、どう考えたって。

「いけそうじゃない?」
「え?あぁ、うん、そうだね、よさそう」
「あっちでいい?」
「うん、持てる?」
「余裕」
「鍋つかみそこにあるから使って、」

ぐつぐつと幸せそうな音、彼は私に背を向けたまま問うた。もう、会えない?って、そう言った。寂しそうな声は、彼の計算なんだろうか。それとも私の耳が都合よく、声色を捻じ曲げて聞き取っているのだろうか。

「…なんでそう思うの」
「嫌でしょ、こんなガキ」
「嫌じゃないしガキだとも思ってないけど、」
「みょうじさん、俺ね、優しくされちゃうと期待するタイプだからさ。そんな気遣わなくていいよ」

本当のことだ。黒尾くんのことは嫌じゃない。今この時間だって、嫌じゃない。ガキだと思いたいのに自分なんかよりもよっぽどしっかりしているんじゃないかと思ってしまう。
多分、このままこうやって時間を重ねたら私は溺れてしまう。この、若い男の子に、本気になってしまう。自分が思い描いていた理想の相手と真逆なこの子を、好きになってしまうから。当たり前のことを伝えておく。私はもう、失恋とか、したくない。周りの女の子がしている、どこにでもあるようなよく聞く感じの恋愛がしたい。ちょっと歳上のまぁまぁ有名な会社に勤めている人と、二年半から三年くらい交際して、向こうからプロポーズされて結婚したい。欲しいのはこんな、誰にも言えないような恋愛じゃないのだ。

「黒尾くんが大学生になったら…社会人になったら、もっと周りにたくさん素敵な人がいるよ。私みたいな七つも歳上の女じゃなくて、若くて可愛くて、黒尾くんのこと、大好きになってくれる人がいっぱいいるよ」

私のその言葉を、彼は口を挟むことなく最後まで聞いて、少し唸って、でもさ、と反論してきた。

「でも、それでも俺、みょうじさんが好きなんだよね。なんの根拠が、って感じだろうけど」

食っていい?と聞かれたのでどうぞ、と答えてやった。ありきたりの、つまらないやり取りだった。

2018/10/25