黒尾とルームシェア | ナノ
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間取り図見飽きたんですけど。エレベーターの中、私がそう冗談交じりで文句を言っても、片手に資料が詰め合わされた大きめの封筒を持った彼はなにも言わなかった。いつもなら「なまえちゃんが我が儘言うからじゃん」とかなんとか言うはずなのに。ひょっとしてまだ気にしてるんだろうか、あの日のこと。捻挫もケロリと治ったし、ちゃんと話もついたみたいだし、もういいのに。いま思えばこの考察が既に的外れなのだ。
ここ最近は2人の時間ができれば物件見学へ。あの、さぞお世話になった不動産屋にまたお世話になっていた。新入社員だった彼はフレッシュさを失いつつあるが、特にハキハキとした元気の良い対応やトリッキーな発想を求めているわけではないので気に留めない。

「これからご紹介するお部屋はいま住んでいただいているところよりもリビングが広めに作られています、キッチンも広々としているのでゆったり使えますよ」
「いまより広々としたキッチンでなに作ればいいの?」
「俺が親子丼作ってやるよ」
「レパートリー増やしてくださいよ」
「何がいい?麻婆豆腐?」
「なんで麻婆豆腐なんですか」
「いま俺が食いたいから」
「昨日デリバリーで食べたじゃん」
「美味かったんだよな〜、あれ家で作れねぇかな」
「お部屋は5階ですね、506です」

感情をオフにした彼は淡々と話を進めてくれる。私たちの会話に入ってきたりしない。この男が「いま流行ってるしルームシェアしたらいいじゃないですか!」と目を輝かせたあの日が懐かしいものだ。春、パステルカラーが街に蔓延り、初々しい気持ちが渋滞していたあの頃。もう季節はすっかり秋だ。今年は少し独特なファッションがトレンドになるようで、今から億劫だった。主張が強すぎるベロアや所々にファーがついた靴。そんなファッションショーでしか目にしないような小洒落た洋服たちがそこら中に散漫するのだ。私には無関係だとシャットダウンする他、対応する術がない。

「エレベーター、反応はやいな」
「いまのマンションのやつが遅いんですよ」
「遅いんじゃなくてちょっとマイペースなだけだろ」
「なに、マイペースって」
「エレベーターにも個体差があるんだって」
「エレベーター会社の企業努力でどうにかなると思うけど」
「黒尾様、みょうじ様、こちらでございます。お足元お気をつけください」

ここしかなくない?と。2人でそう珍しく意見が合った物件だった。職場へのアクセスとか、近くにスーパーとコンビニがあるかとか、立地とか利便性とか、そういったものを色々と考慮して、もちろん間取りも見て。なので期待値もそれなりに高い。真新しいその部屋の扉をガチャリと開け、私たち3人は足を踏み入れる。いいじゃん、と彼の声が頭上で聞こえた。

「リビングは以前も広めでしたが、それよりももうひとまわり大きめに作られています。いま置いてある家具はモデルルーム用ですので契約された際はこちらで撤去します。今のお部屋は家具が備わっておりますが今回は別ですね。キッチンも引き続き対面式で、食洗機もついています」
「グッときた?」
「いや、うん…いいよ、いいけど」
「俺たち、食洗機使うほどの料理なんてしないですもんね」
「その通りですね、すみませんね」
「いや俺もしないし」
「あとはみょうじ様のご希望でした独立洗面台もこちらの物件は備わっております。黒尾様は先ほど見ていただきましたがシューズボックスですね、こちらですと大きいものがついております」
「いいですね」
「ん、そうだね」
「日当たりもいいし、リビングは完璧」
「寝室あっちですか?」
「はい、こちらですね」

寝室一緒じゃダメなの?もう1つの部屋に向かう彼の背を見て、不動産屋で恥ずかしそうにそう聞いてきた彼を思い出してほんのりにやけてしまう。あれこれ物件を探している時だ。私も彼も、比較的注文が多くて担当者はあからさまに疲労困憊。彼に理性が備わっていなかったら「もう他の店に行ってくれ」と言いかねないくらいには駄々をこねた。こちらとてランチで入ったお店で違う料理が出てきたとか、領収証の宛名を違う名前で書かれたとか、そんなことでうだうだ言う人間ではないが、これからしばらく住む家なのだ。多少の面倒なオーダーは大目に見て欲しい。そんな疲弊した彼がふと漏らした。お二人寝室一緒にしませんか、と。私と彼は掛け声もないのに同時に首を動かし、顔を見合わせ見つめ合うと、最初に彼が口を動かした。照れ臭そうにそう言う彼の言葉に対して「ダメじゃないけど」と私が答えれば言葉が終わるのと同時に担当者は間取り図を寄越した。最早投げつけるような勢いだった。それがこの部屋なのだ。立地完璧、セキュリティも申し分ない。家賃はいまより一万円安いのに築年数も浅く私たちの細かい条件も満たしている。部屋が1つ、少ないからだ。

「広いじゃん」
「ね、広いね」
「ベッド二台置いても大丈夫そうだな」
「二台にするの?」
「別がいいでしょ?」
「どっちでもいいよ」
「どっちでもいいの?」
「だめなの?」
「いや俺はいいけど」
「一番おっきいのにしよ」
「どこの富豪だよ」

つらつらと何か説明されていたような気がするが、ほぼ耳には届かなかった。もう、むくむくとイメージが湧いているのだ。ここに観葉植物を置いて、カーテンは薄めのカラーで、全体的な雰囲気はこうで、って。それを早く彼と話し合いたい。それしかもう、ないのだ。

「黒尾さん、ここにしよ」
「ん」
「よろしいでしょうか?」
「ここで契約書書いてもいいですか、店舗戻ると時間かかるので」
「承知しました。リビングのテーブルお使いいただけますのでどうぞ。一旦こちらご記入と二箇所ですね、こちらとこちらにご捺印をお願い致します。あぁ、印鑑はお持ちですか?」
「持ってます」
「そうしましたらこちらご一読頂きましてご署名お願い致します。今後の引越し等の作業も含めまして詳細ご案内する為に車から資料お持ちしますので少々お待ちくださいませ」
「お願いします」

私と彼は差し出された書類にさらさらとサインをする。私が捺印を済ませたところで、なぁって声がして。もしかしたらこの声がもう、ちょっと裏返っていたのかもしれない。まだこの時はなにも気付いていない。

「ん?間違えた?」
「なまえちゃん、」
「なに?」

隣に座る彼に視線を。なにその顔、と言いそうになるくらい、なんとも形容しがたい表情をしていた。黒尾さんのこの表情は緊張なんだと、そう納得するまでに、残念だがあと3分かかる。

「こっちにもサインしてほしいんだけど」

ぺらりと眼前に持ってこられたそれに唖然。え?と聞こえるのは私の声なんだろうか。男の人にしては綺麗…というか流れるような癖のある文字で黒尾さんの個人情報が書かれている。生年月日とか、親御さん(だと思う)のフルネームとか。彼のスペースが埋められた婚姻届だと理解したのは、この辺りだった。

「サイン?」
「結婚しよう」
「なに言ってるの」
「プロポーズですかね、強いて言えば」
「これどこで買ったんですか?百均?」
「役所でもらってきました」
「やだ、なんで結婚するんですか」
「えっ?」
「急すぎます、また今度プロポーズしてください、待ってますから」
「なにそのお気軽感」
「まだやなんです、来年くらいにしましょう」
「…なんで?」
「だってこの間付き合ったばっかりだし」
「時間なんて関係ないでしょ」
「関係ありますよ」
「なに?俺また今度プロポーズすればいいの?」
「うん、いい?」

いいよ、と彼は不満そうだったが知ったこっちゃない。こんなにもどんちゃん騒ぎする心臓は初めてだ。いま私プロポーズされたんだって、それがとにかく嬉しくて顔が綻ぶのがわかる。両方の手のひらで頬を抑えていないとボロボロと崩れそうなくらい、ぐずぐずだった。

「すげえ緊張した、断られたけど」
「緊張してたんですね、すごい変な顔してるなぁと思ってました」
「おい」
「ありがとうございます」
「ん?」
「プロポーズ」
「うん、こちらこそ」
「これ本当に婚姻届?」
「婚姻届、スペース、どこ、スペース、貰うで検索したからね。本物です」
「黒尾さん、私のこと相当好きですね」
「ね、相当好きっぽいね」

なまえちゃんじゃなかったら待ったりしないからね、なんて。こちらを見ずにそう吐く彼が私も好きだったし、私の方が好きだと思いますよと伝えようとしたところで担当者が大量の書類を持って帰ってきた。黒尾さんが小っ恥ずかしそうに婚姻届をそそくさしまっているのを見て、私はどうやったって笑ってしまうのだ。また来年ね、と声を掛けてやる。まだ騒がしい心臓は、どう考えたって火照ったままだ。

2017/09/02