「こんばんは」
「こんばんは、」
にこり、と口元だけ笑う男。目が笑っていないことなんてもはや気にならなかった。日が暮れた頃、部屋にやってくる彼。ほんの数十分前に今日暇?って、それだけの文章。なのに泣きそうなくらいに嬉しくて、やっと会えるんだって胸が高鳴る。
でも、その時間はあっという間だった。行為はとてもスムーズで心地良く、流れるように時が過ぎる。はぁ、と呼吸を乱した私が通常の心拍数に戻る前に、黒尾さんは衣類を身につけるから。
「…行くの?」
「なんか問題ある?」
問題だらけだってそう思うけれど、そう発したら彼は私から離れていくとわかっている。口は災いの元。噤んで動かさないことを決めた。
「…健気だねぇ、なまえちゃん」
「え?」
「なんで俺?もっといい奴紹介しようか?」
なんでそんなこと言うの、ってぼそりと呟いてしまった。余計なことを言うと彼に嫌われてしまうかもしれない。もう会ってもらえないかもしれない。だから自分の感情は押し殺そうって決めたのに。そんな意思だって、この男の前では役に立たない。
「いい子だから」
「…いい子?」
「俺なんかと一緒にいると幸せになれないよ」
なんでそんなこと言うんだろう。不思議で仕方なかった。私は黒尾さんと一緒にいられるだけで幸せなのに。彼の発する言葉を理解しようと必死に頭を動かしてみるが、行為の後でぼおっとしていることもあってか結果には結びつかない。
「黒尾さん、なんで、」
「あ?」
「なんでそんなに蔑むんですか、自分のこと」
心底面倒だ、という表情でこちらをちらりと覗く。返答がないので一応言葉を続けてみた。
「黒尾さん、かっこいいのに」
「どこが」
「…顔?」
「顔って…なんだそれ」
「背も高いし」
「なるほど」
「あと、あの日、助けてくれたから」
ぴたり、と動きが止まって。2秒くらいだったろうか。その後はもう何事もなかったかのように上質そうなライダースに腕を通してこちらに向かって言う。
「気まぐれだからな」
「え?」
「あの日助けられたことを運命とか…なんかそんな類のものだと勘違いしてんだろ」
「…だとしたら?」
「んなもんじゃねぇよ。つーか、そもそもそんなもんこの世に存在しねぇよ」
黒尾さんにとっては気まぐれかもしれない。なんの感情もそこにはないのかもしれない。ただ、そんなこと私にとってはどうだってよくて。
「私、感謝してますよ。その気まぐれに」
そう言って笑う私を気に入らなそうな目で見て、彼は静かに部屋から出て行った。ひらり、と手を振ってくれるだけで私は満足している。我ながら健気でいい女だなぁと思う。
彼の香りが残る毛布に包まって、それをすうっと吸い込んで。先ほどまでの彼の体温をどうにか思い出すのだ。次にいつ会えるかわからないから、こうやって彼を忘れないように記憶に刷り込んでいくのだ。
2016/05/03