めいっぱいのおしゃれも、こうなれば無意味だ。
私たちは週末時間を合わせて家の近くの少し気取った居酒屋でグラスをカシャリとぶつける。黒尾さんは饒舌な人で、会話も面白かったし親切だった。普段、初対面(黒尾さんは初対面ではないが)の人間とここまで楽しく話せた経験がない私は純粋に驚いていたし、改めて彼を好きになっていた。
アルコールはほどほどに思考も身体もゆるっとさせる。リラックスした私は、もうほとんど自分の気持ちを全面に出していたと思う。鈍感な人だってわかるくらいに、だ。
彼の大きな手と自分の手の大きさを比べてみたり、太ももに手を置いてみたり。ねぇ、って甘えた声も出したし、帰り際には彼の腕にぎゅうとしがみついて、がちりとしたそれにわざと胸を当てた。
酔っ払っているし、おまけに季節は春だ。このくらい大目に見て欲しい、ってちょっと言い訳をする冷静な自分もいた。いたけれど、それよりも欲求が勝っていた。
「さっきから誘ってんの?」
「んー?」
「あざといねぇ、なまえちゃん」
「嫌いですか?」
「嫌いとかじゃねぇけど、」
ねぇ、ってまた砂糖をたっぷり振りかけた声で呼ぶ。その声は我ながらやりすぎかもしれないと思うくらい。彼の方はたいして酔っ払っている様子はなかった。
「黒尾さん、彼女いますか?」
「…彼女?いないよ」
彼がそう答えた後、バチリと目が合った。あぁ、どうしようもなくキスがしたい。6センチのヒールを履いているのに全然彼の唇に届かないのが悔しくて。酒類のせいなのか、それとも目の前にいる背の高い男のせいなのかはわからないが、全身が熱く火照っていた。ぽそっと彼の耳にギリギリ届くような声で言う。
「キスしたい、」
黒尾さんは一瞬ポカンとしたが、すぐに片方の口角をキュッと釣り上げた。私の手を引いたかと思うとぼそっと低い声で言うんだ。
「なまえちゃんの家で、いい?」
このドキドキはアルコールのせいじゃないって、そう確信した。彼に手を引かれた瞬間、またとくりと胸が弾んだのだから。
2016/03/20