「ぜんっぜん駄目っスよ。スッカラカン」
「お前の方もか……」

 ソファに座りこんですっかり意気消沈しているガラの悪い後輩―――ザップ・レンフロの姿に、スティーブンも肩を落としてため息をつく。潜入や諜報のエキスパートであるチェインがヘルサレムズ・ロッド中を探し回ってもよい結果とはいかず、足を使っての地道な聞き込みにも効果は上がらなかった。
 分かったのは、ホテル・カリフォルニアはいわゆる生物売買以外の顔もあり、例えば宝石を扱うのなら「ジャスパー」、古美術品なら「ユリウス古美術商」、魔術的なものを専門とするなら「黄金の葡萄酒(ゴールド・ワイン)」などいくつもの名前を使い分けていること。HL内にあるホテル・カリフォルニアの入り口には何重にも防護魔術が張り巡らされていて、潜入は容易ではないということ。さらに店で応対するのは女性だが、顔も名前もわからないということ―――。
 言ってしまえば"分からないことだらけだ"ということが判明しただけだ。数日ライブラを総動員させてこの始末とは、先方になんと説明すれば良いのやら。スティーヴンは差し迫った報告期日を思い出してさらに頭が痛くなるのを感じた。

「魔術の規模や複雑さから、術力保有者は複数少なくとも4人か5人……ホテル・カリフォルニアの経営者が堕落王フェムトでもなければ」
「あの変態ヤローがホテル経営なんてマジ笑えねえーっすよ!! ていうか、場所は分かってんでしょ?もう乗り込んでパーっとやっちまえばいいんじゃ」
「………術力保有者相手に力押しは避けたいが、この際仕方がないかもな」
「よっしゃ!じゃあ早速」
「ザップ、お前は留守番だ」
「ハァ?!!」

 ソファから立ち上がったザップを笑顔で制し、スティーブンは鏡を見ながら身嗜みを整えはじめる。確かにボスのクラウスを除けばザップは切り込み隊長的な戦闘要員だが、手招いているのは魔女のお菓子の家だ。お世辞にも魔術の知識が豊富とはいえない彼をおいそれと連れて行くわけにはいかない。
 クラウスの同行を願えば―――正確には彼の生家であるラインヘルツ家の名前を使えば楽なのだが、奴隷商に出入りしたなどという汚名を着せるわけにはいかない。スティーブンはクラウスに知らせる前に動いてしまわねばと、不満そうにぶーたれるザップを尻目にさっそく同僚達に連絡をとった。作戦に必要なのは"目"。それもよく見える目が必要だ。



▲▼



 上等な封筒に入った二つ折りのカードを再度確認する。ホテル・カリフォルニアの紹介状、スティーヴン・A・フォード。紹介元はベンジャミン・コナー。「スティーヴン・A・フォード」とはあまり代わり映えしないがこの潜入捜査のために用意した商人の偽名で、綴りも微妙に変えてある。術力保有者に真の名前を握られるのを避けるためだ。
 目の前に聳え立つのは、霧に溶け込んでしまいそうな廃墟の建物。無事な窓ガラスはほとんどなく、消えかかりそうに細々と点滅する「Hotel」の文字がなければ、ここがそうだと誰が気付くだろうか。見たところインターホンのようなものはなく、門の横に古びた呼び鈴がぶら下がっているだけだ。スティーブンが二回、三回とそれを鳴らすと、手に持っていた紹介状が彼の手元を離れて宙を舞った。すると門の鍵がカシャンと外れ、重い音を立てて開いてゆく。

「(………まずいな……)」

 カードは一人でにボッと激しく燃え上がったかと思うと、焼け落ちた火種が地面に落ちた。土の上で炎が蠢き、それは「Come in」という文字に変わる。想定していたよりも遥かに高度な魔術だ。スティーブンは内心ですこし焦りを感じながらもゆっくりと炎文字をまたいで進んだ。
 濃い霧に覆われた道を行くと、やがて建物の全貌が現れる。驚いたことに先ほどまで廃墟同然であったそのホテルは、優しい飴色の壁が出迎える、よく手入れされた大きなカントリーハウスのような姿に変わったのだ。まるで別世界である。スティーブンは呆気に取られつつも平静を保ち、やっとホテルの入り口に到着した。
 扉にはこう書かれている。「Welcome to the Hotel California,You can find it here.」―――ホテル・カリフォルニアへようこそ。あなたはここで見つけることができる。

「いらっしゃいませ」
「………!」
「スティーヴン・A・フォード様、どうぞ奥へ。初めてのお客様には、ちょっとした手続きが必要となりますので」
「ああ、よろしく頼むよ」

 いつの間にか開いた扉の向こうには、喪服のような黒いドレスに身を包んだ、手首の細い淑女が立っていた。ベールハットにうっすらと隠れた下の上品な色の口紅がやけに印象に残る。彼女が案内した先には、外装の素朴さに不釣り合いな未来的な扉があり、その正面には数字がかかれたパネルと指紋認証のように指先を入れる機械があった。
 促されるままに指をそこに入れると、小さな針の感触とわずかな痛みを感じる。ぱっと離した指先からは少し血が滲んでいたが、すぐに止まる程度の傷だった。

「本人認証のための手続きです。スティーヴン様のみ認識しますので、お連れの方がいらっしゃる際はここから奥へ入ることができません」
「ずいぶん厳重だ」
「名前や姿を誤魔化しても、ご本人様以外は通しません」

 なるほど、客の情報漏洩を防ぐための処置らしい。魔術と機械による二重のセキュリティとは恐れ入る。もう傷すら分からない指先に視線をやりながら室内を観察すると、スティーブンは比較的新しいポスターが壁に貼られているのに気づいた。踊る男女の白黒写真と共にダンスパーティのお知らせと書かれている。こんな閉鎖された場所でパーティだなんて一体誰が来るというのだろうか。
 「スティーヴン・A・フォード」は世に出せないものを売りたいという体で来ているのだから、気楽な世間話をするのも可笑しい。神妙な顔を崩さずに前を歩く淑女を観察するが、完璧な所作からは何も読み取ることができなかった。室内は形容しがたい雰囲気で、どこか甘いような黴臭いような香りが漂っている。なんとなくだが、外観から察する広さと実際の広さが噛み合っていないとも感じた。

「コーヒーと紅茶、どちらに?」
「コーヒーを頂こうかな」
「では、お掛けになってお待ちを」

 応接室に通されたようだ。女性が楚々と部屋を出た瞬間スティーブンは表情を変え、靴裏から血を床下に張り巡らせて全力で建物中を探っていく。物が多くごちゃごちゃとガラクタの積まれた部屋から外に這い出て、隅々まで抜かりなく足を伸ばす。やがて足音が応接室に戻るまでに、それはすっかりと完了していた。
 湯気の立つカップをひとつ客人の前に置き、彼女はそのまま椅子に座ることなくくるりと背を向けた。スティーブンが訝しげにそれを見ていると、細い指先が部屋の壁際に置かれた蓄音機の針に触れる。

「音楽をかけても?」
「……どうぞ」

 針がレコードに落とされる。古い音楽再生機特有の音が、ブツブツとスティーブンの耳に届いた。そのときだ。ふと武器である足に違和感を感じ、彼は自身のつま先を目立たないように確認しようとする。しかし上手く力が入らない。いや、"入りすぎている"のだ。
 黒いベールの向こうからは刺すような鋭い視線が飛んでくる。スティーブンはその瞬間、自分の演技が全てバレてしまったことを悟った。

「ダンスシューズはお持ちかしら?」

 音楽がつんざくように鳴り響き始める。
 HLでも流行りの異界曲だ。スウィング・ジャズに似た軽快なリズムがはじまったその直後、スティーブンの足は椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がった。さっと血の気が引く。脳裏についさっき見たポスターがよぎる。あれは警告だったのだ。血液を凍らせて攻撃に転じようとしたというのに、もはや彼の足は彼の意思のままに動かない。
 ーーーしてやられた!
 曲はロックミュージックの激しい音が混じり出す。だんだんと踵が強くリズムを取る。肩の筋肉が熱くなる。かき鳴らされるベースの音に合わせてスティーブンの足は勝手にタップを踏み鳴らし、それは見事にダンスを踊ってみせた。

「煌々魔堂術 円々舞踏」

 淑女が少女のように口の端を上げる。
 敵の前でえんえんと踊らされるという間抜けな状況にスティーブンは屈辱のあまり口元がヒクつき、持ち前の底抜けるような冷徹さを欠いてしまいそうだった。ステップ、スリーターン、タップしてダンス。息もつけないほど踊りながらでは、冴えた妙案も思いつかない。耳元へ応答がないところを見ると無線も途絶えてしまっている。意外にもこれは絶体絶命だ。

「それで、誰に言われてここに来たの?紹介状は本物みたいだったけど。目当ては店?それとも商品?他のお客?」
「言ッうッと、思うか、い?!」
「『赤い靴』みたいにずっと踊ってもらっても構わないけど」

 もうダンスパーティはお開き。そう言って彼女が手を打ち鳴らすと、スティーブンは今度は体全体がとんでもない圧力を押し付けられている感覚を味わった。景色が高速で流れていく。ビデオの逆再生のように。音楽が途絶える。淑女のベールが揺れる。
 ガシャン!と重い鉄の音。
 目の前で閉まった鉄門に、スティーブンは自分が入り口まで締め出されてしまったことに気付いた。汗が額や首筋を次々と伝い、肩を弾ませて荒い息を整える余裕もない。皺一つなかったスーツも動きすぎたせいでクシャクシャになっている。耳元ではやっと外で待機していたK.Kの怒号が響き渡っていた。

『ちょっと、中で何があったの?!』
「ハァ、ハァッ、ちょっと待ってくれ、息が…………ゲホッ!」
『途中で音声もGPSも切れちゃうし、外から見ても窓の中一つ見えないし……アンタ、何か掴んだんでしょうね?!』

 らしくない同僚の態度にK.Kの声にも焦りが滲んでいる。今はっきりと分かるのは、しくじったスティーブンは二度とこのホテル・カリフォルニアに入り込むことは叶わないであろうということだ。K.Kに醜態を見られなかったことは不幸中の幸いと言えるかもしれないが、ライブラの任務としては最悪の結果と言える。
 壁を支えになんとか息を整えることができたものの、目を回したせいで不快感が胸をせり上がってきた。魔術によって強制的に筋肉を動かされるのがここまで負担になるとは。さらに悪いことに、間近で見たはずの女の顔や口紅の色までがフィルターがかかったように思い出せないとあって、スティーブンはいよいよ頭を抱えた。術力保有者なんて呼び方では生ぬるい。

「ここは魔女の巣だ………」

 とはいえ、まったく収穫がなかったわけではない。眉間に深い皺が寄る。秘密結社ライブラの番頭はぐらぐらと腸が煮えるような怒りを抱えながら廃墟を睨み、このホテル・カリフォルニアに目にものを見せてやることを誓ったのだった。

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