一日が終わろうとする夕暮れ。
 昼から夜へ渡る橋のような時間は、この世のものではない「魔」に出くわす逢魔が時と呼ばれる。道を間違えれば二度と戻っては来られない暗がりから、黄昏が手招くのだという。
 通りの商店街は店じまいを始めている。わずかにざわめきの残る道から離れ、静かな道をふらりふらりと歩く一つの影があった。

「……………」

 西陽にさらされた亜麻色の髪が揺れ、幽鬼のような足取りで進んでいく。瞳に意識はなく、ただオレンジ色を写り込ませ輝くだけだった。
 それを追いかけるもう一つの影。
 見つからないよう電柱に身体を隠し、水晶玉を片手に少女を追っている。表情は真剣そのものであり、さらに後ろから追いかけてくる三つの小さな影にギリギリまで気付くことができなかった。

「ぬ〜べ〜!」
「お姉さんどうしちまったんだ?」
「! お、お前ら……まったく、どうあっても帰る気がないみたいだな」
「帰れるわけないじゃない!だってあんな風に倒れるなんて普通じゃないわよ、そうでしょ?」
「そーよそーよ!」

 帰したはずの生徒の登場に、鵺野は呆れたように額に手を当てる。もう日も暮れるこんな時間に子供達を巻き込みたくなかったのだが、純粋に心配の色を浮かべる三人はテコでも動きそうになく、男は仕方なく自分の後ろに並ばせた。
 まるで探偵かスパイかという様子で一人の少女を追う光景はかなり怪しい。当の本人に意識がなく、人通りがほとんどないのが唯一の救いだった。夕日に揺らめく後ろ姿を眺め、美樹がひそひそ声で尋ねる。

「ねえねえぬ〜べ〜、お姉さんってもしかして妖怪なわけ?」
「いや、妖気はない。しかし生身でもないな……彼女を抱えたときに確信したが、あれは霊気の塊だ」

 鵺野はその先を口にしなかったが、幽体とは違い物を掴んだり人と会話したりと普通の人間のように振る舞えるのは、彼の最終奥義である「陽神の術」を行使している状態にかなり近い。違いといえば本人にその自覚がなかったことで、それゆえに下手に刺激することは避けた。
 あのとき彼女が気を失ったとき、無意識下に何かアクションがあるのではないかと踏んでいた。そしてやはり彼女はこの逢魔が時に身じろぎもせず起き上がり、意識がないにも関わらず歩きはじめたのだ。

「恐らく彼女の身体は別の場所にあるはずだ。魂と体はお互いに引き合うものだからな」

 彼はかつて妖怪に身体を拘束されてしまったとき、陽神の術で抜け出したことがあった。まさか彼女も何者かに身体を囚われ、そこから逃れるため陽神の術を自身に施したのだろうか?しかしこの術は修行なしにおいそれとできるものではないはずだが……。
 考えに没頭した教師の肩を郷子が叩き、前方の少女を指差した。ゆらりと角を曲がった背中が見えなくなり、髪先がたなびいて消える。
慌てて四人が追いかけると、そこには寂れた寺がぽつんとそこに建っていた。薄暗闇に佇む古寺。そのうら寒い存在感に生徒たちはいささか顔色を悪くする。

「お、お寺〜?夜の寺なんて不気味でいかにもって感じね……」
「こんなとこに寺なんてあったか?」
「シッ!お前ら、俺から離れるな。何かただならぬ気配がする……これは何だ?妖気のような、霊気のような……」

 彼らが寺の前でまごついている間に、少女は既に本堂へ入ってしまったようだ。門をくぐった瞬間のピリッと走った霊気に男は眉を寄せ、生徒たち我知らず生唾を飲んで息をひそめた。
 寺の中庭は広くなかなか立派だったが、それだけに手入れされていない祠や池の雑草が濃い影を落として異様な雰囲気を醸し出していた。これほど大きな寺だというのに、この街で暮らす四人の誰もここを知らないというのもおかしな話だ。
 ぴったりと閉められた本堂の中からは微かに声が聞こえる。低い響き。少女ではない誰かの声だ。

「……お前の身体はこの通り、ピンピンしてる。全く大したもんだ……」

 生徒たちに静かにするようにとジェスチャーをしたあと、男は手袋をしていない方の手で戸を細く開けて中の様子を伺った。
 中にはぼんやりとした蝋燭の光に照らされ、少女の細い背と袈裟を着た背の高い壮年の男が並んでいるのが見えた。そして二人の足元には白木の破魔矢が五本、円になるように床に突き刺さっている。中心には立っている姿と全く同じ、もう一人の少女が力なく横たわっていた。

「なに、全て俺に任せればいい。何も知らん赤子の状態に戻してやる。そうすればお前は―――」

 声を聞き取ろうとして身を乗り出した瞬間、広が動きすぎたのかカタンとほんの微かに戸が音を立てた。とたん住職が鋭い目を外に向け、袖口から何かを取り出して戸に投げつける。白く細長いもの―――札だ!放たれた札は一面に張り付き、たちまち障子を札だらけにした。

「どこの鼠だ!?」
「まずい!戸から離れろ!」

 しゃがれた声と共に男が節くれだった指をビッと左右に払う。霊力をともなった動きに操られた障子は勢い良く開け放たれ、ぬ〜べ〜達の姿が蝋燭の炎に照らされてしまった。
 いまだぼんやりとしている少女の横で、壮年の男は眉根を寄せて剣呑に四人を睨みつける。ほとんど憎しみすら篭ったそれは、思わず尻餅をついた子供達を震え上がらせるのには十分な迫力があった。

「餓鬼が三人に青二才か。人の敷地にずかずか上がり込みやがって……夜道で女を尾けるとはご苦労なこった」
「ふん、あんたに言われたくないな。こんな夜更けに女の子を怪しげな結界まで呼び寄せて、一体何をするつもりだ?」

 坊主の刺々しい言葉につられ、生徒を背に守る教師の口調も攻撃的なものになる。矢は結界の役割だけではなく、明らかに何らかの術式である。警戒心を剥き出しにした鵺野が片手に持つ霊水晶を目に止め、鋭い目つきはさらに忌々しそうに細められた。

「霊能者か。変わらんな、いつの世もお前らは厄介ごとを引っ掻き回すしか脳が無い……出て行け、後ろの餓鬼も震えちまってるぞ」
「だっ、誰がだ!おれはお前なんか怖くねえぞ!!」

 足が震えていたのを見咎められ、広はカッと赤面して言い返し、思わず前に出そうになった広を鵺野は腕で制した。何すんだよ、という広の声は口に出す前にしぼむ。見上げた頼れる教師の顔はこの上なく緊迫していて、頬には冷や汗が流れていた。
 同じ霊能者だからこそ分かるのだ、この坊主の持つ力は尋常ではない。しかしだからといって、大人しく引き下がるつもりも彼にはなかった。

「そうはいかん!その子をどうするつもりだ?場合によっては……!」
「何の筋合いがあって言ってる?お前はこれの名前も知らんだろうに」
「彼女は俺に助けを求めたんだ!」

 鵺野は噛み付くように言った。突然現れた少女の名前も事情も、おそらくは目の前の坊主ほど知らないだろう。それでも自分に助けを求め、苦しげに倒れた姿を見てしまったからには、もう見捨てることなどできない。男は鋭い目でますます意志を強めて睨み、同時に棒立ちの少女を心配そうに見た。
 男は袈裟を揺らしてふむと顎に手を当て、隣の少女に低い声で呼びかける。

「蛍」

 少女がぴくりと反応する。
 それが彼女の名前なのだろうか。相変わらず幽霊のようにぼんやりとした表情でゆっくりと向けられた白面を見据え、男が少し目を細めたあと、節の太い枯れ木のような平手で少女の頬をパン!と強く打った。

「なっ……!!」

 力の入らない身体に平手打ちをされ、少女の身体は容易くよろめいた。突然の出来事に四人が声をあげ、鵺野が咄嗟に両手を伸ばして抱きとめる。男の腕の中で叩かれた頬をおさえ、少女は口を開けてあ然とした表情を浮かべた。
そして何度かの瞬きのあと、少女の丸い目に光が戻る。自分が抱きしめられている状況と痛む頬に驚いて、きょろきょろと視線を飛ばしていた。

「あ、あれ……なに、……?」
「貴様、一体何のつもりだ!」
「連れてけ、子供は寝る時間だ。今度は余計な"オマケ"をくっ付けずに来い。明日、ここで待つぞ」

 言外に広と美樹と郷子のことを示しているのか、皺の影深い片頬に意地悪そうな笑みを浮かべて住職は吐き捨てる。明らかに馬鹿にしたような口調にムッと口をへの字にした三人と、きつく睨みつける男。少女だけが未だ状況を飲み込めずに呆然と住職を見ていた。

「俺の名は弘明(こうみょう)。その出来の悪そうな頭に、よーく刻んでおけ」

 冷たく突き放すような言葉と同時、五人は突然何かに押されたように勢いよく後ろへ引きずられる。戸がまたひとりでに閉まり、周囲の風景が一気に流れたかと思えば、いつのまにか全員が寺の門の前まで押し出されていた。
 門は来客を拒絶し、まるで何百年ものあいだ閉鎖されているかのように硬く閉ざされ、先ほどまでこの中に居たのが嘘のようだった。

「な、」

 美樹と広の肩がわなわなと震え、噴火するかのごとく爆発する。

「何よあのくそ坊主〜〜〜!!!感じ悪いったらありゃしない!!賽銭箱でも荒らしてやろーか!!!」
「んにゃろ、窓に石投げてやる!」
「こ、こらやめなさい!」

 激しく怒りながら手近な石ころを拾って振りかぶる二人を慌てて郷子が取り押さえる。しかし頭にきているのは彼女も同じなのか、生徒は三人そろって寺に舌を出すという罰当たりなことをしていた。
 対して年長の二人は揃ってシンと静まり返っている。赤くなってしまった頬を押さえてじっと寺を見る瞳。横たわる自らの身体を見て少女は一体何を思ったのだろうか。細い肩を支える鵺野が口を開く前に、震えた声が尋ねた。

「先生、分かってたんだね……だから私の質問に答えなかったんだ。わたしって、その……死んでるの?ゆ、幽霊になっちゃったってこと?」
「いや、それは違う!君はいわば精神体のような状態だ。下手に刺激するのは良くないと思って黙っていたんだが、かえって不安にしてしまったみたいだな……すまない」

 眉を下げて謝る鵺野に少女はぎょっと目を見開き、ぶんぶんと大きく頭を振る。彼は最大限配慮をしてくれただけだし、殴られたときは必死に受け止めてくれた。短い時間の中でも彼が本気で心配してくれていることは、少女にも十二分分かっていた。
 目を逸らしていたのは、逃げていたのは自分のほうかもしれない。
 俯いた顔を上げた拍子に、不安を詰め込んだ涙がひとしずく落ちる。それに気づいてもいないのか、少女は思わずドキリとするほど強い視線で男を射抜いた。

「教えて、ほしい。なんにも知らないままなんて、いやだ。私がどうしてここにいるのか……とか、ちゃんと受け止めるから、全部話して、ください」
「………!」

 喉につかえながらもそう言った姿に、鵺野は少女への認識が間違っていたことに気付いた。いかにまだ少女とはいえ、郷子たちのように全てから守ろうとする必要などなかったのだ。彼女は大人ではないが、もう子供でもない。自分のことを受け入れる力を持っている。
 不可解と混乱の渦中、真っ直ぐにぶつかってきた少女に、男は力強く頷いて返した。

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