恋人(Lovers)3

「『ラバーズ』は肉の芽を持って入った!10分もすれば脳が食い破られてエンヤ婆のように死ぬ……」

 不敵な笑みと挑発。
 承太郎が憤慨して瞬時にスタープラチナを背後に出現させる。今までの脅威を見ている花京院やポルナレフが思わずその背中に飛びつき、唸る彼を制止した。

「承太郎おちつけッ!バカは止せ!」
「いいや、こいつに痛みを感じる間を与えず瞬間に殺してみせるぜ」
「ほう、いいアイデアだ。やってみろ承太郎。どこを瞬間にブッ飛ばす?顔か、胸に風穴でも開けるか?それともスタンドはやめて石で頭を叩き潰すってのはどうだ、ほら……石を拾ってやるよ」
「あまり舐めた態度をとるんじゃあねーぜ。おれはやると言ったらやる男だ」

 胸倉を掴んですごんだ承太郎の剣幕に、ダンは一瞬怯んだようだった。しかしそれは無理だろう、と昭子は内心で冷や汗をかく。可能か不可能かという話ではなく、承太郎にはそれができない。祖父のことを抜きにしても、不良どもを殴りすぎたことを後悔して自ら牢獄に身を置いた兄が、躊躇いもなく人を殺せるとは思えなかった。
 それを知ってか知らずか、スティーリー・ダンも同様のようだった。自分の胸倉をつかむ承太郎が結局手を出せないと確信し、ニヤリと笑って腹に頭ほどの大きさの石をブチ込んだ。

「うッ……!」
「承太郎ッ!!」
「俺を舐めるな。ジョースターのじじいが死んだらその次は!貴様の脳に「ラバーズ」をすべりこませて殺すッ!」

 続いて額を殴りつけられそうになり、間一髪腕でそれを防いだ。乾燥した地面に散った赤い血。何もできずに言葉を噤んだ昭子達は、湧き上がる怒りに震える承太郎が倒れ伏したを介抱する。
 こういう状況で、どのような行動を取るべきか。肉親が相次いで傷つけられて思いのほか動揺しているのか、未だ考えが纏まらない昭子よりも決意が早い者がいた。花京院が彼女を見る。

「頼んだ」

 頼んだって。
 沈黙を肯定と取ったのか、猛然と地を蹴ったジョセフとポルナレフに続いて花京院も走り出す。

「承太郎、昭子!そいつをジョースターさんに近づけるなッツ!そいつからできるだけ遠くに離れる!!」

 スタンドには射程距離というものがある。承太郎のパワー型スタンド『スタープラチナ』ならば約2メートル。遠隔操作の可能な花京院のスタンド『ハイエロファントグリーン』ならば100メートル以上離れられるという。動揺にスティーリー・ダンの『ラバーズ』も本体から遠く離れればスタンドの力が及ばなくなる可能性はあるだろう。
 しかし昭子にはそれは失策に見えた。髪の毛一本動かせないスタンド。逆にいえばどこまでも遠隔操作が可能ということではないだろうか。目の前でニヤついている男の底知れなさに未だ呑まれていた。

「貴様ら、ジョセフが死ぬまでわたしに付き纏うつもりか?なら――もっと借りておくとするか」

 ダンは昭子の肩に手を回して顎を持ち上げる。近づいた距離に昭子が僅かに眉を寄せるが、それでも一向に損なわれない美しい顔の少女をお気に召したのかさらに目を細める。

「時間稼ぎをしたいなら、このわたしを楽しませるんだな。兄妹揃って……」
「誰がアンタなんか―――ッ!!」

 いつも通り軽口を叩こうとした少女の腹に、男の膝が容赦なくめり込んだ。一瞬ひゅっと呼吸が止まり膝をつく。遅れてきた痛みに咳き込む声に承太郎が一気に顔を険しくさせて拳を上げた。しかしそれも予想していたのか、ダンは息をつかせず昭子の胸のリボンを掴んで無理矢理起き上がらせる。

「次にわたしにちょっとでも反抗的な態度を取ってみろ!お前の妹が傷モノになるのを目の前で見せてやる」
「……!!」

 男の笑った顔は鬼畜そのものだった。もはや下種な本性を隠そうともしない。少女の鮮やかなエメラルドグリーンの瞳が恐怖に染まるのを見て、ダンはいたく満足げに笑った。


▲▼


 こういう状況で、どう動くのが正解か。昭子が選択したのは「無抵抗」だった。それはつまり、兄が目の前で無理難題を押し付けられて殴られ、血を流しているのを静観することだった。承太郎は昭子がいることで文句の一つも言えず、降ってくる暴力に堪えている。
 先程自分が蹴り抜いたのを忘れたように腰に手を回して満悦の男の鼻づらに、拳をブチ込んでやりたい衝動は二人とも同じだった。

(落ち着け………)

 動きの鈍い頭を必死に働かせて男を打ち倒す方法を探す。打撃による攻撃はジョセフにダメージがいく。花京院たちはどこまで離れたのだろう。けれど距離を離すならば「トリックスター」を使ったほうが遥かに早いというのに―――とまで考えて、昭子はやっと頭にかかっていた靄が晴れてクリアになる感覚を味わった。
 彼らの狙いはスタンドそのものの討伐だ!方法は分からないが、効果が切れるのを待つなどと消極的なことではなく、極めて能動的な行動だった。彼は「頼んだ」と自分を信頼してくれているというのに、唯一動く頭すらまともに回らないだなんて情けない。しかしおかげで少しばかり冷静になった。

 だが、厄介なのはこの男だ。
 この男は相当頭が回る。人が何を屈辱とするか、どうすれば弱味を見せるか、その見極めが限りなく正しい。現に敵にとって一番の脅威であろう承太郎は文字通り全く動けない状況に追いやられている。
 その打破は自分の仕事だろう。しかし、どうするべきか。

「なあ承太郎、見ろよこの金の腕輪。喜ぶぜ〜〜、女の子にこういうものをプレゼントするとなあ。昭子、欲しいだろ?」
「……まあ」
「承太郎、ガラスのスキ間からそれを盗れ。可愛い妹が欲しいと言ってるんだぜ?それとも何か……このわたしがガラスをぶちやぶって盗るか。つかまってブチのめされれば、ジョセフは確実に痛みで死ぬぜ」

 強調するような声。家族を二人も抑えられていては黙って動くしかないのか、承太郎は無言でスタンドを出す。髪の毛一本動かせないスタンドのくせに、どこまでも―――髪の毛一本動かせない?
 そこまで考えて何か引っかかった。この男はスタンドを使ってこうした仕事を請け負うことを生業としているのだろう。その力は誰よりも知っているはずだ。ハッキリ言って、知らぬ間に脳に入り込まれて殺されるのであれば誰も太刀打ちすらできない。けれどそうだとすれば、この男がわざわざ敵の前に現れる意味はないはずなのだ。
 ならば何故?

「ああ〜こいつ万引きしてますよォ〜〜!!」
「!」

 その声にパチンと思考が途絶える。スタープラチナが腕輪と盗った瞬間を狙って大声を上げたダンに目を細め、眉をいからせて歩んでくる店内の男に隠れるように承太郎の手に触れる。やがて兄の身体が押し飛ばされたとき、昭子が大袈裟に悲鳴をあげる。少女のわざとらしい高い声はよく響いた。
 すぐに承太郎の傍に座り、訝しげに歩みよってきた店員に慌てて頭を下げる。まるでいつもあること、とばかりに苦笑いをつくって。

「ごめんなさい!この人すぐふざけるんです!もう、すみません。お騒がせして」

 ダンが顔をピクリと顰めたが、店員の手前だからか声は上げなかった。承太郎を引っ張り起こして二人揃って頭を下げる。彼の手には何もない。陳列棚も荒れておらず、ショーケースは美しく整ったままだった。女性店員も外国人観光客相手に面倒は避けたいのか、二人の腕を引く昭子にため息をついて見送った。
 店の外に出てすぐ舌打ちが聞こえる。昭子は先ほどまでと変わらず澄まして―――しかし冷静さを取り戻した目で―――ダンを見上げる。物言いたげな承太郎の視線には振り向かなかった。

「―――おい昭子。俺の靴が汚れた」
「なら磨きましょうか」
「当然だろ?ただし布じゃねえ、そのムッツリ閉じた生意気な"クチ"でやるんだぜ。誠心誠意、隅々までなァ!」

 承太郎が目に見えて硬直した。昭子は表情を変えない。自分の企みがかわされてしまったことにダンが腹を立てて何か難癖をつけてくることくらい想定はしていた。下種な笑みを隠そうともしないで昭子の顎を持ち上げて笑う。
 想定していたからといって、平気なわけではない。けれど承太郎があのままタコ殴りにされるよりはマシだ。そう言い聞かせて沸々と腹の奥で煮えたぎる怒りをおさえ、少し往来を外れたとはいえ街中で、犬のようにしゃがんで跪く。
 その光景にダンは笑いが止まらないといった様子で、承太郎を煽るように昭子の脚に手を伸ばした。

「なァ?いい光景だぜ。お前の妹の売女が俺の×××舐めるみてェによォ、靴の裏までしゃぶってくれるだからなァ――――ッギャアアアアッ!!!」

 響く悲鳴。
 いよいよ―――妹を侮辱する言葉に耐えかねて手を上げようとした承太郎の拳より早く、その絶叫は上がった。その男の革靴に触れるはずの舌は仕舞われ、相当力を込めて振り下ろされたのか、スティーリー・ダンの足が靴ごとナイフで地面に突き刺されていた。
 ダンは突然の反抗に一気に動揺したのか、顔を歪めて昭子を見る。
 
「てってってめェ〜〜〜ッ!!イカれてんのかクソジャリッ!!ジョースターのジジイは痛みで―――」
「あんたが何故私達の前に現れたのか、疑問だった……」

 顔を上げた少女の表情は怒りで燃え上がっていると思いきや、その目は平常そのもの。それがかえって不気味だったのか、ダンは気圧されて唾を飲み込む。少し前まで腹を見せて服従を示していた態度からころりと変わった雰囲気に、今度は男のほうが呑まれていた。
 昭子は悠然と長い髪をはらってダンを指さし、言葉を続ける。

「髪の毛一本動かせないスタンドで自信たっぷりに顔を見せる理由。それは余裕ではなく、むしろ真逆!」
「!」
「あんたの恋人(ラバーズ)は瞬間的に人を殺す決定打を持たない。だから時間を稼ぐ必要がある。それも自分に手出しできない状況で、一人ずつ、確実に殺すため……影で隠れるのにも限界がある。だから念写のできるスタンド使いを真っ先に狙った!」

 男が図星と足の痛みに呻く。
 最初からこうすればよかった。言葉を口に出した途端頭の中は活路を見出して一気に整っていき、弁舌はどんどん滑らかになる。シャーロック・ホームズも真っ青な推理が外れていないことを証明するのは、その男の動揺しきった表情だけで十分だ。
 形勢逆転。足を庇って犬のようにしゃがみ込んだダンを見下し、大袈裟に肩をすくめて溜息をつく。

「よって結論。痛みを与えることはできたとしても、祖父を急に殺すことはできない」
「……そ、それが事実だとして、どうする?肉の芽は確実に奴の身体を食い破るぜ……!」
「そちらはご心配していただかなくても大丈夫。だってあっちには―――花京院がいるもの」

 まるで図ったようなタイミング。
 男の髪の隙間からピシ、と走った赤い亀裂は一気にはじけ、ダンの頭が突然割れる。明らかにスタンド側へのダメージリバウンド。痛みに今までの余裕を一瞬で失った男は、みっともなく絶叫してのたうちまわる。

「承太郎、手ェ出さないでよ。身体触られるくらいどうってことないし靴くらい舐めてやる。だけど――――誰が売女だってェ?この、ウジ虫以下の、インポ野郎ッ!!!」

 トリックスターの能力その1、「マークしたものを手の中に瞬間移動させる」。一気に声を荒げた昭子が片手を上げると、そこに赤黒く錆びた日曜大工用の大きなチェーンソーが現れる。ダンの足に未だ突き刺さったナイフも同様に、日本で昭子がマリアとの戦いで彼女から奪ったものだ。その時に使った無意識の能力は、緊張感と怒りでしっかりと身体に戻ってきた!
 逆光で瞳と刃ばかりがぎらぎらと光る。轟音を立てて躍動する連なった凶器。ダンの顔が恐怖でひきつった。

「スタンドも本体が死んだら消えるよね、きっと……」
「ま、待て、早まるなよ昭子……差し違えるつもりか?確証もないのに?わたしが死んだらジョセフ・ジョースターは瞬く間に、」
「"昭子"?気安く呼んでんじゃあねーわよ。あんた、嘘吐きでしょう。あんたの言ったこと全てが嘘。だから分かるの」
「ゆっ、ゆっ、許してくれ、許してくださいッ!わたしの負けですッ!改心します、ひれ伏します、靴も舐めます!命だけはァ……ッ!!」

 命乞いは届かない。
 懇願する声を無視して振り下ろされたチェーンソーに、ダンは場違いに一瞬唇を吊り上げる。その表情に不穏なものを感じた承太郎がスタープラチナを出すが、タッチの差で遅れてしまった。
 空中で止まる刃。
 そしてそのままブリキ人形のように動きが止まり、昭子は手からチェーンソを取り落とした。ガシャンと無常にも地面にぶつかった音がして、同時に半狂乱の笑い声が響く。

「くく、ひひひ、はっはっはァ!このクソ生意気なジャリガキがッ!!気付かなかったみてーだな……俺のラバーズがテメェの体内に入ったのをよォ〜〜ッ!!」
「てめぇ……ッ!!」
「逆転したと思ったのに残念だったなァ?そのお綺麗な顔をグシャグシャにして靴裏舐めて"何でもするから助けてください"って鳴けば命だけは―――あ?」

 昭子の耳から確かに入り込んだラバーズを見て、ダンは勝利を確信した。だがその肝心の少女の姿がテレビの砂嵐のようにブレる。気のせいかと瞬きをした次の瞬間、顔を上げたその目は人間のそれではなかった。
 逆転は果たされない。
 その瞳は輝く黄金の配列。中世騎士のように黒金の兜を被り、星空を張り付けたような肌に、白い牙が輝いて笑った。トリックスターの能力、その2。「本体とスタンドの位置を入れ替える」。そして今まで彼女の姿を借りていたスタンドが、ついにその本当の姿を現したのだ。
 ラバーズは人体に入り込んで初めてその真価を発揮する。スタンドの体内に入ってしまえばそれは、自ら敵に檻に入り込んだも同じ。飛んで火に入る夏の虫そのものだ。トリックスターが狼狽えるダンを嘲笑うように喉を鳴らす。

 どこからか声が聞こえる。全く同じ声が、ダンの周りを反響して取り囲んだ。

「「Missing!! 見逃したわね、大事なシーンをさ……」」
「なあ、馬鹿なッ!!そんな、ディ、ディオから前金をもらってるッ!!それをやるから、差し上げます、頼む、ゆっ許してくださいッ!!昭子様ッ!!お願いしますゥ〜〜〜〜ッ!!!!」

 懇願も聞き飽きた。
 涙ながらの訴えに返されたのは、鋼鉄のピンヒール。顔面に叩き込まれたトリックスターの蹴りで、男の前歯が跳ね飛んだ。

「ウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウァッ!!!!!」

 そのまま身体を反転。頬骨に回し蹴りがもう1発。次に口を開くのも許さないとばかりに2発。3発。4発5発6発7発9発10発!

「そこで一生這いずってろッ!!このゴキブリ野郎ォオッ!!!」

 脳天に踵を叩きこむ。
 周囲に巻き上がる砂埃の中、身体の殆どを地面にめり込ませたダンの背から昭子がやっと姿を現す。彼女は髪の毛を乱してはあはあと肩を大きく息をして、初めて自分のスタンドの姿を直視した。
 トリックスター。これが私の。
 そのトリックスターが顔を歪めて、体内に入り込んでいたラバーズをべッと地面に吐き出す。気持ち悪さにうげ、と口元を押さえたところで、エメラルドが一気に見開かれる。そしてもはや呆然としている承太郎を振り向いたあと、兄の制服を掴んで、昭子は今までで一番悲愴な顔をする。

「承太郎ッ」
「どうした!」
「お、お腹痛い…………!」

 涙ながらの訴えだった
 高校では不良をやっていたとはいえそれはライトなもので、流石に男に腹を蹴られたのは初めてだったのだ。戦いのテンションも終わった今戻ってきた痛みに呻き、ほとんど泣きながら承太郎に縋る。いきなりの緩急に付いていけていなかった承太郎も、痛い痛いと呻く昭子に些か調子を戻して背を撫でる。
 それにしても。
 
「てめー、おれが殴られるより自分の悪口でキレやがったな」
「言うと思ったよ………」

 ともかく、一件落着だ。



▼to be continue....




NEXT




Back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -