パキスタン最大の都市、人口200万の首都カラチ。世界有数のメガシティは、インドと負けず劣らず喧噪に包まれている。
今日は魚が安い、香辛料が安いと活気ある声が飛び交う中、馬車の一行にも愛想よく寄せがかかる。食欲をそそる香りだ。霧で作られた偽物のホテルにモーニングサービスなどあるわけもなく、当然腹の虫は元気に疼いていた。
「お、ドネル・ケバブがあるぞ!」
「ケバブ?」
「中東方面のハンバーガーだ、うンまいぞォ〜〜!食べたいか?」
「ちょっと気になるかも」
好奇心に孫娘の瞳が輝いたのを見てか、ジョセフは意気揚々と馬車を降りて屋台を目指した。どんな様子か興味をもったのか、昭子も続いて馬車を降りる。承太郎たちも空腹を一様に訴えてきたので昭子は頷いて手を振った。
人ごみを器用によけるのも、ここ数十日で慣れたものだ。
砂っぽい地面は太陽の光を吸収して、ブーツの底越しにもその熱がじわりと伝わった。土地の男性はしっかりとサングラスやクーフィーヤ(頭から首の後ろまで布を垂らした帽子、地域によってはシュマーグともいう)で日差しから肌を守っている。女性は暗色のアバヤで全身を覆い、肌や身体のラインを隠すのが決まりのようだ。
砂漠の気配が近づいてきた。そろそろ肌を守る上着でも買うべきだろうか。
「すまない、6人分くれ!」
「6個千円ね」
「千円〜?カッカッカッカッカ、馬鹿にしちゃいかんよ君ィー、高い高いィーーッ!」
「じゃあ、いくらなら買うね?」
「6個で250円にしろ」
「……オッホッホッホッホ〜!」
「フレンド」と呼び合いながらの朗らかな応酬には、ある種殺伐とした駆け引きがある。旅行には慣れた祖父のプライドと、こちらも生活のある商人の手腕。どちらかが発言するたびに、あっちこっちと昭子の目玉が動く(正直それが安いのか高いのか分からないが、学校帰りのクレープよりは安いんじゃないだろうかと密かに考えていたのだった)。
最初は応援していたものの、そうしている内にも商業に命がけの住人たちが「ちょっと失礼」と彼女の前を通っていくので、少し離れて服屋で遠目のウィンドウショッピングを試みる。
店員と目が合いにこやかにほほ笑まれたころ、いつのまにか交渉は終了してしまっていた。
「よォ〜し半額以下で買ってやったぞ!」
「ん、やった」
残念ながらどのような戦いがあったのか見届けられなかったが、祖父が満足そうなので構わないだろう。ご機嫌なハイタッチを返しながら、昭子はふとケバブ屋の店主に視線をやった。
(アラ、色白さん)
地元の者といっても色々な人種がいるのかもしれない……と気にしないことにするのは、彼女にとっては不可能に近い。
足元に目をやるとこれまた仕立ての良い革靴が顔を出しているし、凝視されていることに気づいていないはずがないのに、まるで"感じない"ような態度を取るのも妙に気にかかった。
それとも、無視しているだけだろうか。
上機嫌で馬車に戻る祖父に続きながら、じっと視線の先を固定するエメラルドの瞳。勘繰って周囲を観察するのは癖のようなものだった。
だがそれも、ジョセフのハッと息を呑む様子に途切れる。
「おいッ!そのバアさん目を醒ましておるぞ!!」
「えッ!?」
全員、弾かれたように振り返る。
目玉が乾きそうなほど見開かれた瞳。怯えでエンヤは震え、尋常でないほどの汗を垂らしている。ピリッと肌に走る空気。誰もが表情を引き締めた。
「わしは……わしは何も喋っておらぬぞッ!な……なぜお前がわしの前に来る!このエンヤがDIO様のスタンドの秘密を喋るとでも思っていたのかッ!!」
エンヤはまるで一行の姿が見えないかのように、誰かに必死に弁明をしている。
先ほどのケバブ屋に昭子が強い眼差しを向けた。男がサングラスとクーフィーヤをおもむろに外せば、やはり周りの商人とは明らかに種類の違う細面が現れる。
不敵に笑った口の端を合図にするように、エンヤの顔面から何かが勢いよく飛び出してきた。触手だ!
「ううっ!!」
「……ッ!」
グロテスクな光景。一行は反射的に目を逸らした。血のあぶく混じりの老婆の絶叫。しわがれた声が鼓膜を震わせる。
咄嗟に孫娘の目を覆った祖父の腕の中で、昭子は隙間から腕を組む男を再び注視する。
今度は視線があった。色の薄いぎょろりとした目は鋭く、少女を見てからゆったりと余裕をもって笑みの形に細まる。それは威嚇に見えた。
「わたしの名はダン……鋼入り(スティーリー)のダン。スタンドは『恋人(ラバーズ)』の暗示!」
その言葉に動きを堅くしたのは昭子だけ。敵を睨みつける男たちの中、一人意識を虚空に飛ばす。瞳が瞼の下で記憶を辿り忙しなく動いた。
闇の中で22枚の運命がひらひらと踊り、そうして選ばれたカードの煌びやかな絵柄。二人の女に求愛される男は、天使の放つ矢に射られるのか否かを選ばなければならない。
「君たちも、このエンヤ婆のようになっていただきます」
そう宣言したこの男への嫌悪感と同時に、昭子の頭の中で警報が鳴る。いくつも口を開いて待っていたはずの洞窟の穴が、次々に落石で塞がれていく。ひとつ、ふたつ、更に!
五対の瞳に鋭く射抜かれても、勝利を確信しているように余裕の笑みは崩れない。
細かな砂を吸い込んだのか、喉が嫌な音を立ててガラガラと鳴った。それが油断であり、少女の根底にあった自信の源が消失する予兆でもあったのかもしれない。
"その選択により、自分の逃げ場を失ってしまうことも覚悟しなければいけない"
運命を引いたのは、少女の手だ。
▼to be continue....
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