太陽に照らされて、岩肌はさんさんと自然の力強さをあらわしている。その雄大さたるや感嘆の息が漏れそうなほどで、深呼吸すれば心が洗われるようだ―――あくまで、こんな状況ではなかったらの話だが。

「な、な、なんでいきなりこんなところに……ッ!?」

高所恐怖症の嫌いはないと思っていたが、足元の絶壁から落ちた小石が地面にぶつかる音がしないとなると流石に足がすくみ、少女は否が応にもその長い脚にしがみつかなければならなかった。

「超能力とかエスパーでいうところの瞬間移動ってやつ。ほら、さっきまでいたのはあそこ」

昭子がずっと下を指さすと、豆粒のようになった一行が難を逃れて車から降りている。彼女が言った瞬間移動という言葉を信じざるを得ない距離だったが、ということはすなわち昭子は隣に座っていた承太郎やジョセフを無視して、少女だけを伴い車内から脱出したことになる。

ぐぐ、と眉を寄せる表情は、実家の飴屋で今も仕事に勤しんでいるであろう父親とよく似ていると昔から言われ続けてきた。あんなケチくさい商売を継ぐなんて冗談じゃあないと家を飛び出してきたのはいいが、まさかこんな目に合うなんて誰が想像できただろうか。


運命の車輪(Wheel of Fortune)3


「何で何でよりによってどおして助けたのがアタシなんだッ!!みんな無事だったからいいものの……」
「だって私達が狙われてるのはある意味自業自得だけど、君は違うから。巻き込んで怪我させたなんて最悪だよ」
「自業自得だっていうんならアタシだってそうさ!」
「いや、危険だって分かっていながら乗車を止められなかった時点で責任はこっちにある」
「〜〜〜ッ!!」

涼しい顔ですらすらと出てくるセリフは、まるで役者が台本を用意していたように滑らかだ。自分だけが興奮していることがもうすでに凄まじい敗北感として彼女を襲う。
崖下ではまだ承太郎達が敵と戦っているというのに、昭子はすっかり静観を決め込んでいるのか動く気配がない。少女とて、あの場所に戻りたいわけではないが。

「心配じゃないの?あんた承太郎の恋人なんでしょ?」
「あ、そういう誤解なんだ……承太郎は兄貴だよ。もちろん、血がつながってない兄妹なんてオチも無いから」
「へっ?」

昭子は岩に腰かけて幼く頼りない腕を引く。二の句がつげないという様子のままその隣に座り込んだ少女は「そういえば名前は?」と聞かれ、放心したように「ジジ」と呟いた。魔女の宅急便という本に出てくる黒猫と同じ名前である。そういえば、ちょっと生意気なところも似ているかもしれない。

「……聞いていいのかわかんないけど、聞くからね。あんた達って一体何のために旅してるの?」
「ンン、ざっくり言うと、魔王討伐かな」
「マオ……じゃ、なんでパーティのあんたはこんなところで座ってるわけ?」
「お」

「鋭い所を」昭子は感心したように声を上げた。下は遠すぎて状況が分からず、ジジは彼女と話しているしかやることがないのだから沈黙は避けたいのだが……この人、ある意味承太郎よりも難しいかもしれない。
ファストグリーン、緑色3号という食紅を熱い飴に練りこんで、冷えてきらきらと透明になる瞬間が好きだった。瞳はその色と似ている。しかしクールに澄ました表情は心配しているようにはとても見えず、どこか薄情だと思った。しかし臆病に震えているにしては、眼光は力強い。

そこまで考えて、結局質問の答えが返ってきていないことに気付いた。危ない、煙に巻くのが上手そうな昭子にしてやられるところだ!そう世の中思うようにはいかないぞ、と少女は鼻息荒く彼女に向き直る。

「で、なんで戦わないのってば!」
「……ま、私が戦うことなんて誰も望んでないしね」
「"誰も望んでいない"?」
「そう」

それは承太郎やジョセフ、あるいはポルナレフや花京院であったり……今は近くにいない家族であったり。つまり、遠い故郷で父がジジを今も心配している、というのと同じ意味だ。
埃っぽい風が二人の髪を揺らして抜けていく。
昭子は細かな砂が絡んで憂鬱らしく、ざらついた長い髪を払って数秒だけ目を閉じた。

なぜかそれが何かを堪えているように見えたのだが、すぐに涼しげな顔に戻っていて、少女にその真意は計り知れない。揺るぎない瞳は彼女がそう努めているからなのかもしれないが、目鼻のはっきりとした瀟洒はもう何も語らないのだ。

「私には戦う理由も大義名分も特にないし、成行きってだけだから。情けないけど、わざわざ前に出て怪我して心配かけるのはそれこそ恩知らずじゃないかと思う。
私が弱い分、自分が彼らを心配するより彼らの心配のほうが大きいに決まってるんだから」

彼女が饒舌ではないことくらい、いくら過ごした時間が短い少女でも分かっていた。だからまくし立てるように開閉する唇を、ただ見つめることしかできない。しかし旅の途中で幾多の人物を観察してきたジジはぼんやりと感じた。

この人、もしかして焦っているんだろうか?

「……そりゃあ、自分が強かったらってありえないような妄想することもあるけどね」

声に含まれるひどい自嘲の響きに、ぎゅっと胸が痛んだ。岩場に鉛のような沈黙が降り、少女はオーバーオールのポケットに手を突っ込んでばつが悪そうに視線を彷徨わせ、またきつく眉を寄せる。

そして昭子がまた声を発そうと口を開いた瞬間、意を決したように握っていた何かをそこへ詰め込んだ。

「!」
「アー、えーと、それ、あげるから!!」
「…………甘い?」
「た、ただのミルク飴だよ、実家じゃ10パーツにもならない安モンだけど、アタシは結構好きで……」
「貰っていいの?」
「だから変なこと聞いたから……め、恵んでやるってだけだよ、バーカ!!」

ただ感心したように頷き、叩かれた憎まれ口にも顔をしかめたりしない。興味深そうに舌で飴を転がす様子が妙に気恥ずかしかったが、ファストグリーンの落ち着いた光を見てどこかホッと息を吐いてしまった。


遠くから承太郎の咆哮が聞こえる。

昭子が立ち上がってスカートを軽くはたき、少女に向かって手を差し伸べた。少々の気まずさと、この人が嫌いではないと思ってしまった手前断れず、その白い手を恐る恐る握り返す。
ひんやりとしたゼリーのような感触なのに、確かに暖かかった。

「……さて、ジジは飛行機で家まで帰すからね。香港だっけ」
「ええっ!?や、やだよ、一緒に行きたいッ!!」
「ダメ」

ピシャリ、とにべもない。
ジジは反論しようとその白面を見上げて、はっとして息の呑んだ。驚いたことに昭子は並びのいい歯を見せて、悪戯っぽく目を細めている。
その彩りは覚えがある、飴細工の極彩色のように濃密だ。空漠と広がる空を背にして、ひどく眩しく見える。

「また会えるのを楽しみにしとくよ。香港の飴職人さんによろしく言っといて」

これにて、家出少女の冒険はひとまず終了したのだった。




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