車が嵐の中を疾走する。
 日中は雲一つない晴れ様だったのにも関わらず、雨はどんどん酷くなる一方だ。一組のカップル、停留所でバスを逃した女と少年、それからヒッチハイカーの青年が一台の車にギュウギュウ詰めになっていた。
 道中の店で一服しようにも、田舎道にあるような店は悪天候にすっかりシャッターを閉めてしまっている。全員が参ってしまっている中、運転する長髪の男が目前に大きな建物を見つけて声をあげた。

「あれ何だ?店じゃねーよな」
「教会だわ!ねえ、誰かキリスト教のやつとかいないの?嵐の中困ってるんですっていったら雨宿りくらいさせてくれるかも……」

 エンポリオはドキリと心臓を跳ねさせた。教会や礼拝堂を見ると過剰反応してしまうのは、自分達をかつて追い詰めた神父の存在を思い出してしまうからだ。もう全て終わったこと。そんな心配は無用に決まっているのだけれど。
 少年が視線を落として不安がっているのを察したのか、ヒッチハイカーの男が名乗りを上げて教会へと歩いていく。簡素なドアノッカーを叩いて数秒、木製の重そうな扉が開けば、男より頭ひとつふたつ小さいシルエットが顔を出した。

「すまない、どこも店も開いていなくて……良ければ雨宿りをさせてほしい」
「まあ!どうぞ入って!こんな時間だもの、お腹空いてるでしょう?」

 大袈裟な高い声。
 ひどく聞き覚えのあるその声に、エンポリオの鼓動は早くなった。鶴の一声で皆一斉に車の中から這い出て教会に転がり込む。最後に入った少年の濡れた髪を、若いシスターが持っていたハンカチでぬぐってくれた。その顔を見てエンポリオは今度こそ息を飲んでしまう。
 これが偶然ならどんなによく出来た偶然なのだろうか。
 雨粒に紛れて涙が滲んだ。シスターは気付いているのかいないのか、少年の瞼と鼻の頭についた水滴も優しい手付きで拭いていく。たおやかな指先には淡い色のマニキュアが塗られていた。

「可哀想に、すっかり濡れちゃって。待っててね、パパ……じゃあなくって、神父さまにお許しもらったら食事の用意するわ!」
「ウッソ!マジかよ……あ、いや、いいんスか?」
「もちろん、こんなたくさんお客さんなんて久々だから嬉しいなァ〜〜」

 まるで往来の友人が訪れたように5人を歓迎するシスターの様子に、全員が面食らったように瞬きをしている。
 彼女は見習いなのかいわゆる修道服ではなくワンピース型のシスター服を着ており、ベールから燃えるような赤毛を覗かせていた。鮮やかなターコイズは蝋燭にきらめき、アイリン達を広間へ案内して奥へ消えていく。

「なァーんか拍子抜けしちゃった。教会ってもっと堅っ苦しいイメージあったんだけど」
「太らせて食べる気かもな」
「何言うのよ、いい人そーじゃないあのシスター」
「ねェ〜〜〜!食べられないものあるゥ〜〜〜!?アッそこのストーブ点けてイイからねェ」
「……ちょっと変なヤツだけど」

 それは誰も否定しなかった。


▲▼


 
 パンと暖かいミネストローネ、ムニエルにした白身魚にハム、サラダ、おまけに手作りのワイン。十分すぎる食事を終えたエンポリオ達は、神父の好意でベッドのある空き部屋を貸してもらい、教会で一夜を過ごすことになった。気のいいシスターの便宜もあって、教会内も好きに出歩いていいとまで言われて。
 教会とはどこでもこんなに親切なものなのだろうか。生まれてこの方教会には縁がなかった彼には分からないが、古びてはいるものの手入れが行き届いた教会は素直に美しく思えた。

「あれ?何か欲しいもの?」

 ガチャリ、という音のあと。
 真横のドアから手燭でろうそくを揺らしながら、間延びした高い声がひょっこり現れた。ぼうっとステンドグラスを眺めていたヒッチハイカーの男は驚いたように振り返って、何故か沈黙する。無言で見つめられたシスターは首を傾げて目を丸くする。

「……ンン〜?」
「いや、悪い。別になんでもない……綺麗で見てたんだ」
「ホント?キレイでしょ、毎日ちゃんと磨いてるのよォ。裏にも大きいベルがあってね……そういえばあの二人はもうすぐ結婚するんですって!?」
「ああ、本当はこのあと両親に挨拶にいく予定だったらしいな」
「いいなあ、式はここでしてくれないかなァ。結婚式にはちょっと地味かな?でもベルの音が綺麗でね、前に一度だけあって、結婚式………あっ、ねえねえ〜ちょっとお喋りしよう、そこワタシの部屋なの」

 シスターは無邪気だ。
 初対面の女性の部屋に入ってもいいものかと一瞬躊躇ったが、目の前の笑った顔はあまりにも能天気なので気が抜けてしまって、言われるがままお邪魔する。
 少女は普段教会で生活しているからかヒッチハイクの旅には俄然興味があるようで、今までどこに行ったのかとか、恋人はいるのかとか、何をして遊んでいるだとか、好きな音楽はだとか、年頃の女の子らしい質問を繰り返した。
 やがて一息ついて、彼女は少し行儀悪く傍の机に腰掛ける。内緒ね、と笑ったその指先が横の蓄音機をなぞったのを見て、ふと今度は男が質問をした。

「ダンスは好き?」
「ううんと、あんまり知らない。歌は大好きよ、讃美歌も歌うけどジャズとかも……でもダンスは踊ったことないなあ」
「教えてやろうか」
「えっ?」

 意外なお誘いに目を真ん丸にして、シスターはほんの少し顔を赤くする。男は返事も聴かずに隣の棚から彼女が好きだといったジャズのレコードを出して、蓄音機に飲み込ませた。日も落ちているから音量は控えめに。
 やがて流れ始めるスタンダード・ナンバー。ゆったりとしたクラリネットの音が響き、男が恭しく手を差し出す。シスターは思わずそれをとれば、男の逞しい腕は意外なほど優しく腰を抱いて、二人はぎこちなくステップを踏み始めた。

「そのまま一歩引いて、戻って……おれに合わせりゃあいい。そう、上手い上手い」
「ホント?ホントに?」

 最初はついていくだけで精いっぱいだったシスターだったが、慣れないながらもターンをすれば黒いワンピースが美しく翻る。
 月明かりが差し込む窓の傍、広くはない部屋を目一杯使って踊るムーンライト・セレナーデ。恋人を称えるための曲。聞きなれた音の運びも違って聞こえてくる。思わず目の前の男の顔をじっと見つめていると、ふと視線が合って、足が絡まって後ろに倒れかける。

「わッ!」
「!」

 腰に添えた腕をぐっと引き寄せ、ヒッチハイカーがシスターを強く抱きしめた。少女の腕が反射的に男の首に回される。何てことはない、ただの細い女の腕だ。けれどその瞬間に訪れたえもいわれぬ幸福感の正体が一体何なのか、二人とも分からない。
 数秒見つめ合ってしまったあと、突然縮まった距離に少女が呆然と口を開けている顔に小さく笑い、彼はそのまま無理矢理なターンを決めた。

「笑って、シスター」

 さあ、ちょうど曲も終盤。
 あまり表情豊かではないと思っていた男の笑顔に、梟のように目を丸くしてから、つられて少女が笑う。そばかすのある頬には、この底抜けに明るい笑顔がよく似合うと思った。
 蓄音機が震えてまた次の曲を奏で始める。窓を叩く雨音すらドラムスに聞こえてくるご機嫌なナンバー。嵐に感謝しよう。足が動かなくなるまで踊っても構わない。数時間前初めて会った相手のはずなのに、どうしてか感じる予感に胸が高鳴っていた。

 音楽はいつまでも続く。
 この素晴らしい世界に、いつまでも。





END






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