「人は天国に行かなくてはならないッ!目指したものは全ての人々をそこへ導ける!」

 神父の目には何が見えているのか。
 ホワイト・スネイクの拳がアナスイの頭部を捉える。カタツムリ化が大幅に進んだ彼に避ける術はない。視力を失っているというハンデを持ってしてなおアナスイとウェザーを圧倒したプッチは、自分の考えを理解しようとしない愚鈍への遺憾さを隠そうともせず高らかに演説をはじめる。

「おまえらはそれを邪魔しているんだ……あの"殺人鬼"のように少しばかりの人間が犠牲になったからといって……!」

 二人の目が見開かれる。
 アナスイを除けば、神父の思い描く「天国への道」に立ちはだかる殺人鬼など他に一人しかいない。徐倫たちと共にG.D.st刑務所を脱獄したはずの年若い少女は既に―――この男の手にかかったというのか。
 ウェザーの脳裏に鮮やかな赤毛と底抜けに明るい笑顔が浮かんで霞む。この男はどこまで自分から奪えば気が済むのか。奥歯を噛みしめれば目の前に再び激しい怒りが燃え上がり、遠のきかけた意識を強く奮い立たせた。

「Domine Quo Vadis(どこに行かれるのですか)?おまえは磔刑だ――――ッ!!」

 再び凶撃が下されようとした刹那、踏み出した神父の足を何かが貫通した。
 「目」を失っているプッチには音だけが耳に届く。パキパキと脆く鋭い音。アナスイは周囲を見渡して驚嘆した。男の手で大量に地面に飛び散った血液が吹き上げて槍のように固まり、瞬く間に神父を取り囲んでいるではないか。

「ウェ……ウェザーーー!貴様何をしているッ!?」
「おれの能力だ……どっちにする?見ないままでいるのもお前の選択だが、転んだら終わりだぜ」

 一歩間違えば命を落としかねない凶器が、自分を取り囲んでいる―――それが見えずとも分かり、神父は些かの焦燥を顔に浮かべる。
 けれど決して冷静さを欠いてはいない。彼がヘビー・ウェザーの能力を目の当たりにしてからの長い年月、それを退けるための方法は腐るほど考えてきたのだから。

「何かしてくると思ってたよ……お前らに目を見えなくしてると説明した時からな……『ホワイト・スネイク』!」
「ッアナスイ!!」

 打ちこまれた鈍い音。
 塩基記号の連なった指先が、倒れ伏したままのアナスイの頭に下された。しかしそれは振り抜かれずに脳みそを掻き分けるように差し込まれ、アナスイの瞳から光が消え失せる。
 DISCに命令を書きこんで実行させるのと要領は同じ。間接か直接かの差だけだ。プッチが視力のない状態で彼らの前に姿を現した理由もこのためだった。

「アナスイ、頼まれてくれるか?わたしの目の代わりになるんだ。君が見えるものを喋ってくれ……ウェザーは何をしている?」
「……自分の血を固めて地面に槍を数十本作ってる。あんたのすぐ後ろに3本、さらに右方向に4本ある」

 失策―――。
 この作戦は神父に視覚情報がなければ意味がない。アナスイが傍にいる以上無理な攻撃もできない。自分の人生の最も憎むべき敵が、目の前で悠々と歩いていく。憎々しげにウェザーの顔が歪められた様子が想像できたのか、プッチは双子の弟へ諭すように静かな声で言った。

「ウェザー……おまえは生まれたときから呪われていた。そのままおとなしくしてろ。お前の人生は……どうやったって救われないものなんだ」

 アナスイの案内は正確に行われる。強い日差しが降り注ぎ、今も流れていく血のせいでウェザーの視界も眩みかけている。それでも逃がすわけにはいかない。腹の奥底から湧き上がる憎悪で力を振り絞ろうとして、息を飲んだ。
 あとほんの5歩。
 それで神父がまんまと逃げおおせるというところで、アナスイがふと視線を上げる。

「それと今気が付いたんだが、見えるから教えとくよ。あんたの正面から"誰かが来てる"。あれは―――ピィチだ」
「…………何だと?」

 確かに呼ばれた死人の名。
 一瞬理解が追い付かなかった不意が、彼の行動を遅らせた。一手。細い腕が両足に蛇のように絡みつき、そのまま倒れるようにしてアナスイから引きはがす。神父は再び血槍の海へと戻ってしまう。揺れる赤毛。ターコイズの瞳。色のない頬。焼けるような喉の痛み。

 死んだはずの殺人鬼―――ピィチ・ジョン!

「馬鹿な……馬鹿な!ピィチ・ジョンは死んだ!死人がここに来るわけがないッ!!お前は誰だ!!?」
「……………てき、は」

 耳元で囁かれた声は、確かに路地裏で途絶えたはずの高いそれ。プッチはあまりのおぞましさに顔を引き攣らせ、身体に刺さる血槍も構わず女の腕を振りほどこうとした。
 しかしそれは敵わない。
 大の男ですら抵抗もできずに殺害されるしかなかったその腕(かいな)は、まさしく蟻地獄。もがけばもがくほど動くことができなくなる。巻き込まれなかった腕を苦し紛れに女の額に触れたとき、プッチはその感触に驚愕する。

「ばかな……記憶のDISC!?う、奪ったはずだ、わたしが―――なぜお前がまだそれを持っているんだ……ッ!!」

 記憶とは不確かなもの。
 呪詛のようにぶつぶつと何事かを呟きつづける彼女の瞳に、殺される直前のような知性は見られない。ピィチはDISCを抜かれる直前、自分のスタンドの「目」を直視していた。
 『JUDAS(ジューダス)』と呼ばれたそのスタンドは、人の無意識下にある"概念を捻じ曲げる"ことができる。例えば人の注意を自分から逸らしたり、本能的な危機回避能力を失わせることも、強めることもできる。
 ピィチは能力を失う直前に自分自身にそのスタンドを使い、記憶の一部をほとんど無意識に"解離"させていた。それは生来とは全く違うピィチ・ジョンという人格を自ら形成し、そしてそれを破壊された彼女に生まれた「別人格(バグ)」であった。
 
 つまり―――DISCは3枚あった。最もこれは、プッチには当然知る由もない事実であろう。

「敵……敵は………」
「離せッ!妄執だけで生きている分際で、わたしを妨害する気か!」
「敵を……さがし……や……そく、……エン、ポリ、オが…………」

 ピィチにはひとつの記憶しか残っていない。一つの命令信号―――"敵を探して叩く"。精神とほとんどの記憶を失って息も絶え絶えだが、その両腕が解けることは決してない。
 不測の事態に動揺したプッチが体勢を整える隙もなく、男を地面に縫い付ける血槍をさらに凝固させて動きを止める。単純に作れば。確実に作れば。

「つかんだぜ……ついにお前を」
「は……ッ!!」

 完全に捕えた。
 もうウェザーの射程距離内だ。神父の喉が引き攣る。死んだはずのピィチがなぜ生きているのか、それは他の誰にも分からない。けれどプッチはそれを災厄と思い、ウェザーはそれを奇跡だと感じた。彼女が来てくれたおかげで、自分の呪われた運命に終止符を打つことができるのだと強く確信したのだ。
 同時に繰り出された拳。
 ホワイトスネイク。ウェザー・リポート。速いのは―――ウェザー・リポートだ!
 懐に強烈な2発。神父は為す術もなく血反吐を吐いた。

「お……終わったッ!ウェザーが神父を仕留めたッ!!」

 アナスイが興奮して声を上げるのも無理はない。もはや神父は"詰み"だ。身体は拘束されて完全に動かない。目も見えない。これから腑分けされる獲物のようにただ転がることしかできず、差し迫る「トドメ」を待つしかないのだ。

「よ……よすんだウェザー。グリーン・ドルフィン刑務所で……おまえを始末するのは簡単だった。だがいつかお前を救えると思ったから……「記憶」だけを奪っておいたのだ」
「………」
「弟であるお前のためであり、天国への能力を手に入れるためだ。「天国」へは誰かが……いつか到達しなくてはならない……!やめるんだ……ッ!」

「―――おまえは自分が『悪』だと気付いていないもっともドス黒い『悪』だ」

 そう言い捨てた弟に、はじめてプッチは怯えを見せる。絶望に怯える表情。ウェザーが心から待ち望んでいた瞬間だ。
 神父が絶叫する。ウェザー・リポートの拳がついにその命を絶つために迫る。呪われた運命。生かされた運命。

 引き寄せられた偶然は――――またしてもその男に味方した。


 ―――ガシャアァン!!!


 飛び込んできた衝撃に、誰も理解が追い付かない。けれどその「啓示」を我がことと受け取るのは、その男が一番早かった。
 血槍によってスリップした自動車によって神父は自分を縛る血槍から解放され、その瞬間ホワイトスネイクで緩んだ女の両腕を肘から破壊して吹き飛ばす。そうして次いだもう一撃で―――女を庇おうとしたウェザーの胸を貫いた。奇跡は逆転する。DIOの息子たち。空条徐倫。ピィチ・ジョン。ウェザー・リポート。そしてエンリコ・プッチ。すべてがはじめから決まっていたかのように、この上なく美しく配置される。
 誰に向けてでもなく、神父は壁に背を預けたまま呟いた。

「運命は……この私に『天国へ行け』と押し上げてくれている。『引力』を信じるか?"お前達はそのためにここにいた"」

 折り重なるように倒れる二人の囚人を見おろし、神父は一度瞬きをしてから、緩慢な動きでその場を離れる。道の脇で聞こえる喧噪も遠く薄く、誰かが誰かを呼んでいる声が慟哭のように響いている。薄らと白んでいく視界の中で、ピィチは流れていくウェザーの血潮と腕に抱かれていた。
 ここはどこだろう。
 わたしはだれだったかな。
 もはや記憶も人格も残ってはいなかったはずなのに、ターコイズの瞳からは一粒涙が落ちていく。両腕を失い、もはや死に行く彼の瞼を閉じてあげることもできない。けれど果てるこのときに、傍にその体温があることが堪らなく幸せだと感じた。

「ああ、さみしくないわ……」

 蝋燭が灯る礼拝堂で何度祈っても、天使を追い求めて誰かを追いかけても、満たされることは決してなかった。どれだけ探しても、天使も神様もどこにもいない。だって最後に抱きしめてくれるのは、まだ暖かいその腕。それこそがいみじくも法悦と呼ぶべきものだったなんて。
 降り注ぐ陽光の中、少女はか細いあくびをして目を閉じる。暗く懐かしいあの場所とは違うけれど、ここもとても心地がいい。これでいい。救いはきっとここにあったのだから。


 おやすみ、ウェザー。





Please hold me again.






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