オーランド市内の狭い路地裏。
 そこには清らかさは微塵もなく、そこにはドブ泥とゴミの匂いが漂い、地面には薄汚れたダストボックスが倒れている。殺人鬼は神父を知っている。神父もまた殺人鬼を知っていた。ただしここはもう既に、神の御許から離れている。

「……君は……」
「神父さま、あれ、あれ、でも」

 目の錯覚か。何故その影をウェザーと間違えたのか分からず、ピィチは困惑して視線を泳がせる。神父は一瞬浮かんだ焦りを隠すように目を閉じたあと、ゆっくりと女の方へ身体を向けた。キンキンと高く響く声は聞き覚えがある。神父にとっては幸いにも目が見えずとも分かる相手だった。

「ピィチ・ジョン」
「は、い」
「君だったのか、脱獄者は。礼拝堂に何度も来ていたのをよく覚えているよ……君は知っていたはずだ、私はスタンド使いなのだと。だからこそ空条徐倫たちの協力者は―――君ではないと思っていたがね」

 そうなのだ。
 プッチもまた、ピィチがスタンド使いであること知っていた。彼女のスタンドとDISCとして保存できなかった理由を彼自身気付いていて、同時にピィチがプッチの「ホワイトスネイク」に気付いているのも知っていた。
 けれど放っておいたのは、彼女が頭の螺子が飛んだ殺人鬼であり、人に協力することができない人間だという確信があったからだ。軽蔑の眼差しを浴びせられた少女は、途端に縮こまって肩を震わせる。

「わ、ワタシ、知ってた……でも、でもでもでも何にも言えなかったの、できなかったの、知らなかったんだけど、だって、"天使さま"がいても」
「………」
「神様が、見てるんだもの」
「君は白痴を気取ってはいるが、自分が罪人であることを知っているらしいな。犯した罪のことではない、今から犯そうとする罪のことだ」

 女は冷水を被ったように固まる。
 このシリアルキラーの殺人条件。一般の警察には単純な無差別連続殺人だと記録されているのだろうが、実際は違う。彼女が殺すのは彼女曰く「天使」―――すなわち「スタンド」を持つ人間ばかりだ。
 神父が彼女を放っておいた理由がもう一つある。脅威になり得ないからだ。彼女は自分を天国へ押し上げる要素にはなり得ないと思っていた。彼はこの殺人鬼をいとも簡単に、それも確実に"殺す"方法を知っていたから。顔色を失くして震える女へ一歩近づく。

「天使を探す……だったかな。どれだけ崇高な能書きでカムフラージュしたところで、本質は群れを探す獣と同じ。ただ本能だけで生きている怪物だ」
「神父さま、違うの、違う、ワ、ワタシ、わたし……」

「とっくに知っているんだろう?自分が『天使』を持っていることを」

 男が口の端を上げた瞬間、ホワイトスネイクが女の首を掴み上げる。抵抗らしい抵抗もできずただ青い顔で震えるだけの姿が想像できて、神父はさして感動もなく息を吐いた。
 多くのスタンド使いを相対したプッチだからこそ分かる。彼女がうわごとのように口にする「天使を探す」という名目は「スタンド使いを探す」のと変わりがない。生まれつきのスタンド使いならば珍しくもないその思考回路が、最悪の形で壊れているケースだったというだけ。プッチに言わせればただそれだけだった。

 なぜそうも歪んだのかは知らないが。
 いや、解き明かしてやってもいいのかもしれない。かつて彼の恩師の養い子であった幼い少女への鎮魂として。
 短く切られた前髪に指を添えれば、何の抵抗もなくDISCを抜き取ることができる。女は瞳が零れそうなほど開き、もはや叫び声を上げることもできない。それでいい。立ちはだかったならこうして殺してやろうと、ずっと前から決めていたのだから。


「君の罪を教えてあげよう。ピィチ・ジョン……いいや、"ハニエル"」



▲▼



 聖歌隊が皆怒っている。パイプオルガンの音がおかしくなったのは、今月に入ってこれが3度目だ。当然ながら犯人の目星はついている。ひん曲がった金属のパイプを片手に、銀縁眼鏡にチェーンを付けた老年のスシターは眉を吊り上げて香部屋のドアを開けた。
 ミサの準備をするためのその部屋の中では、小さな影が祭服を被って遊び回っている。怒号が響いた。

「こら!またオルガンに悪戯して!」
「ひゃーっシスターが怒った〜」

 逃げ回る子供を捕まえて叱りつけてもあまり効果はない。きゃらきゃらと笑って右から左の様子にシスターは頭が痛そうに眉間に手をやり、あちこちに跳ねる赤毛ごと頭を自分の方へ向ける。

「あんまり悪戯して神父様を困らせてばかりいると、今に焼印を押されてしまうよ」
「やきいん?」
「昔は悪いことした人に、焼いた鉄のスタンプをしたのよ。海賊なら『P』とか……」
「や、やだよ……」
「ならもう悪戯はやめなさい、分かったわね」

 少女は黙り込んだままだった。


 スペイン、ドノスティアの教会でに置き去りにされた赤子は、一人の厳格なカトリックの神父に拾われて育った。スペインの修道会でも古株のその神父は大変威厳ある人物で、誰よりも聖書の言葉に忠実だった。たとえ自分の養女であれども、異性との接触を禁じられた神父はその少女の頭の一つも撫でたことがなかった。
 だから少女は大好きな養父に構ってもらいたくて、小さないたずらを繰り返した。けれどもともと素直な子供は、シスターが嗜めに持ち出した罰を酷く恐れて、その日一日は外にも出なかったのだ。


「ハニエル」

 礼拝堂に厳粛な声が響く。小さな体をパイプオルガンの中に隠した少女は、自分に付けられた天使の名を呼ぶ声に怯えて震えあがった。昼は忙しくしていたけれど、もう話は聞いているに違いない。耳を両手で覆って答えないでいると、さらに声が降ってきた。

「また悪戯したのか。シスターが朝からとても怒っていたよ」
「わ、わたし、火傷はイヤ」
「火傷?」
「悪い子は焼印するって、シスターが……」

 オルガンの中で反響する高い声に、神父は細めていた空色の瞳を丸くする。少女が少し大人びて賢くなり、手の込んだ悪戯を繰り返すので神父は困り果てていたが、こういうところは子供のままだ。
 神父は皺の深い目許を柔和に崩す。気付けば親子としての時間を殆ど取れていなかったかもしれない。忙しさにかまけて少女に構ってやれなかった自分の行動を反省し、できるだけ優しい声で語りかけた。

「そんな酷いことをされるのは、物を盗んだり人を害したりした者だけだ。確かにいたずらは悪いことだが、ちゃんと反省すれば神様も許してくださる」
「………本当?」
「ああ、本当だとも。そこはまだ寒いだろう、早く出ておいで」

 神父の考えは、正しかった。
 奔放に振舞うその内側で、親に捨てられ拠り所を神父に全てを依存する少女の心は軋みをあげていた。関心を向けて欲しいという未熟な反発心。それでも行為そのものが悪戯程度で済んでいるのはひとえに彼の厳しい教育のおかげであったのは確かだった。
 間違っていたのは程度で、知らなかったのは養女の特殊な体質。それはそれは、パイプオルガンを素手でへし曲げられるほどの。
 爆発した寂しさは。
 触れられない子供の衝動は。
 温もりを得られない幼い心は。
 オルガンから這い出た少女の両手が温もりを求めて神父に絡みついて、そして―――それを壊した。


「Que Dios te bendiga……!!」
 

 ああ、神のご加護を!
 少女が始めて手にかけたのは、教会に捨てられた自分を育てた親代わりの神父だった。腕の中でゆっくりと形を歪めて折れ曲がり、目が潰れて口から血潮と内臓を零していた。彼は終ぞ悲鳴すら上げなかった。滴り落ちるその温もりに少女は確かに恍惚を覚えた。泣いて赦しを乞いながら力を込めるのをやめられなかったのだ。
 そうして血塗れの身体が熱を失うころ、少女は呆然と十字架を見上げた。降り注ぐ月光が映し出すシルエット。涙に溺れたその目には、それは翼を持った天使に見えた。天使にも神様にも自分の罪は知られている。父は最後まで自分を抱きしめてくれていたのに。

「………おとうさん」
「お父さん、」
「お父さんお父さんお父さん、ああああお父さん!!お父さん!!お父さん!!起きて!起きてよお!!あああ、ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい……ッ!!」

 裏切ったのは自分だ!
 汗の滲んだ赤毛を掻き毟って振り乱し、半狂乱で吠えながら手にした暖炉の火掻き棒は、よく熱されて真っ赤に燃え上がっている。罪人を焼く地獄の業火と見立てるのには十分だった。
 肉の焼ける激しい音。
 左腕に焼き付けられたその灼熱と激痛を、少女は一生抱いているつもりだった。消えない焼印を。罪を犯した証拠を。その記憶を焼きつけて生きていくつもりだった。けれど人間は―――自分の意思よりも強く身体が生存を望んだ時、自らの記憶を捻じ曲げることもある。

 彼女は蓋をした。
 罪に耐えられなかった。悲しみを背負いきることができなかった。人を害する陰鬱な感情、美しい記憶、思想と倫理、その全てに蓋をした。自分の名前すら忘れ、腕に刻まれた焼印にインクを入れて、拾い物の名前をつけた。
 そうして自分が何者かすら分からなくなったピィチ・ジョンに残ったのは、強烈な欲望だけ。

 かくして殺人鬼は世に憚る。
 埋めようもない、孤独を埋めるなにかを求めて。




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