▼01.無言の帰り道


 俺とあいつの左手の薬指には、揃いの銀の指輪。
 お互いこつこつ貯金して、五年目の恋人記念日に相手に手ずから嵌めた、ささやかな俺達の『愛』の形――
 だった、筈だ。



 目的地が同じにも拘わらず、終業時間だって変わらないのに、片方は自家用車通勤、もう片方は電車通勤だなんて不毛な事をしている職場恋愛など、どれほどの意味があるのだろう。
 まるで離婚寸前の夫婦にしか思えない重苦しい空気に慣れ始めている自分が、一番憎らしい。

「お疲れ様でしたー」
「あら、今日も残業は無し? その優等生ぶりを買って、私に嫁がせてくれないの?」
「やだなー、木名瀬さんには俺のこの光り輝く“婚約”指輪が見えないんですか?」

 ――婚約、だなんてとんでもない。
 それはただの、「俺は貴方を愛しています」の証に過ぎない。
 自己満足と断じてしまえばそれっきりのイミテーションのくせに、あいつは俺の機嫌を取るかの様に、しょっちゅうそれを見せびらかす。
 既にその指輪に意味を見出だせないのは、俺だけじゃないのに。
 俺は今日も、『恋人』の視線からさっさと逃れ、表向きは爽やかな笑顔を残して先に帰宅しやがった同居人を、恨めしく思うのだ。

 勿論、頭では理解している。
 同じ職場へと向かうべく同じ車に同乗し、あまつさえお揃いの指輪を嵌めていれば、一発で俺達の関係を見抜かれてしまう。
 今のこの仕事を自ら志願したあいつにとって、自分で自分の首を絞めるリスクを避け、互いに別々の出勤手段を使うのは、ごく当然の事だろう。
 それでも、時折腹の底から声を張り上げる女々しいもう一人の俺は、お前の傍に俺を居させてくれる明確な答えを求めて足掻く。
 ――不毛だ。とっくに冷えきった関係のあいつとは、潔く別れるのがベターなんだ。
 それなのに、

(なんで俺は……こんなにあいつが好きなんだよ)

 同僚やら上司やらが周囲に居る社内では、決して口に出せない恨み言を心の中で呟いた。



 よれよれのスーツを纏ってリビングに現れた俺に、景(あきら)は一瞥を寄越しただけで終わった。
 名も知れぬ赤の他人が自分の目の前を横切ったかの様な冷たい視線に怯む事も、もう無くなった。
 俺はごく慎重に溜め息を吐き、首元からネクタイを抜き去る。景の興味は一秒足らずの間だけ恋人に注がれ、既にテレビの中のアイドルへと移っていた。
 煽り役の芸人の馬鹿みたいな笑い声と、景のビールを飲み干す嚥下音が、空しく交差する。
 ――昔も今も、俺は、俺だけが、景を好きなんだ。

「なあ」

 冷蔵庫から自分の分のビールを持ってリビングに戻ると、景が無感情に俺を呼んだ。
 視線をテレビから外す事なく。

「抱かせて」

 俺に対して僅かの情も無いくせに、景は身体だけを欲しがる。
 、懇願の台詞を、その実殆ど命令と同じ声音で。
 そしてどんな形であれ、これ以上嫌われたくはなくて、馬鹿な俺は無表情に頷いた。



← |text|


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -