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両手に持ったスーパーの袋を抱え直し、俺はエレベーターのボタンを押した。浮上していく足元が覚束ない感覚は、寝不足の身には辛い。
貸し切り状態の狭い密室で気兼ねなく欠伸を漏らし、やがて開いた階で下りる。
真正面はひたすら長い廊下。両脇に同じ様な部屋が並ぶ、見慣れた光景。
『今日の夕飯は、俺が作るから』
『お前も疲れてるんだろ? ゆっくりしてろよ』
『たまには、俺も甘えたい時もあるんだよ』
テレビ局を後にしてから繰り返し繰り返しシミュレーションした台詞を口の中で呟く。
抱き締めてくれるだろうか。今日は、抱いてくれるだろうか。
あいつはへたれ君だから、中々自分からスキンシップに出てくれない。いつもベッドに誘うのは俺のほう。
けど、今日は。
愛らしい態度の俺相手なら、獣になってくれる筈。
無理矢理片手に荷物を纏め、空いた右手で財布にぶら下がる傑の部屋の合鍵を取り出す。廊下の無骨な蛍光灯に光るそれは、俺の一番の宝物。
施錠を解く。かちゃん、という音が心地良い。
頬が緩むのを抑えられず、俺は玄関のドアを開けた。
「傑ー、お邪魔、しま、……」
中に踏み込んで、背中の照明が室内を照らして漸く気付いた。
「ひー、る?」
女物の、赤い、真っ赤なヒール――
傑に女装の趣味なんて無い。そういう役を貰ったとも聞いていないし、その為にただの役者が撮影道具を購入する必要も無い。
嘘。嘘だ。嘘に違いない。
「あら。お客さん?」
弾かれた様に顔を上げた。
バスローブ姿の女。離れたこっちにまで色香が届きそうなそいつが纏う真っ白いそのバスローブは、サイズからして俺が傑の家に置いてたやつだ。
「綺麗な容姿……ん? やだっ、相澤時雨じゃない!」
「あ……」
鍵は開いたんだ。
部屋を間違えたんじゃない。女以外の室内の様子は、俺が知っている傑のそれそのものだ。
無邪気に笑う、女の笑顔以外は――
「ッ!」
「あっ、ちょっと! 待ちなさいよ!」
ぐちゃぐちゃの頭で部屋を飛び出した。
何処をどう歩いたのか覚えていない。またエレベーターを使ったのかも、階段を駆け降りたのかも。
痛みの所為で全身が酷く引き攣る。
馬鹿みたいだ。
傑を好きなのは、恋人だと思っていたのは、俺だけだったんだ。
傑はやっぱり女が良いのか。そりゃそうだよな、俺があいつに一世一代の覚悟で告白した時の嬉しそうな反応は、演技だったんだ。あいつだって俳優なんだから、それくらいやってのけて当然だ。
胸の膨らみなんてあるわけないし、可愛く鳴くのも恥ずかしくて苦手。セックスするにも男だから無駄に手間が掛かるし、後処理も傑からしたらきっと面倒で。
それに俺なんか、恋人に何一つ喜んで貰えそうな事も出来ないし、仕事が忙し過ぎてあいつの性欲処理にさえなれていない。今日だって、十日前に会って以来だ。
「ぅあ…ッく、ひ…ぁ…っ」
失恋って、こんなに呆気ないんだな。