▼10


 曜日感覚も日付感覚も、それ以前に朝夕の認識さえ不可能だった。
 起き上がって相変わらずの鈍痛に呻く。強引に含まされているクスリとやらには、頭痛を誘発する副作用でもあるのかもしれない。或いは、ただ単に過激なまぐわいで疲労がピークに達しているがゆえか。
 頭痛薬でも服用したいところだが、早瀬にそれを乞うのは御免被りたかった。もはや可能な限り、自分の口に入るものは奴の手から受け取りたくない。

(ああ、くそっ……)

 手篭めにされるのは、これで二回、いや三回目だろうか。
 なまじはっきりとした記憶がないだけに、それすら覚束ない。尤も細部を憶えていないからこそ、まだ正気を保っていられるのだろうが。
 ぞんざいに扱うのも無論だめ、当然真っ向から逆らうのも奴にとっては許しがたいようだ。
 ならば、性奴隷にでもなれというのか?

(冗談じゃない……)

 もしも四六時中抱かれているようなら、いよいよもって壊れてしまう。
 だったら、早瀬に懐柔された振りをするのが得策なのだろうか。
 しかしそれはそれで、嬉々としてあのいかがわしい薬を飲まされても困る。「君は僕が好きなんでしょう? なら飲めるよね?」などと強要されては堪らない。
 頭を押さえながら溜め息を吐くと、頭痛が一層ひどくなった。
 由良は節々――とりわけ腰近辺――の痛みから目を逸らしつつ用を足すと、のろのろと再びベッドに横になった。ここ数日、喘ぐか本を読むか寝ているかしかしていないせいで、すっかり錆び付いている。
 目を閉じて数分後。微かに軋んだ音とともに、ドアが開く。

「由良君……? 二度寝しちゃった?」
「起きてるよ」

 目を瞑ったまま投げやりに応じる。早瀬は、近付きながら手付かずのままのおにぎりに目を落とし、

「お腹、空いてる?」
「……あんまり」

 下手に意識してしまっているせいか、疼くような頭の痛みは一向に改善しない。瞼を持ち上げるのも億劫だった。またぞろ機嫌を損ねられると面倒になると判ってはいたが、全身にのしかかる気怠さに抗えない。
 そう、とたどたどしい相槌が返ってくる。ややあって、早瀬は「体調、悪かったりする?」と訊いてきた。
 誰のせいだと思っている、と改めて怒鳴ってやりたいのを耐えつつ、

「ああ。頭、痛いんだよ」

 果たして早瀬は、息を飲んだかと思うと、慌ただしく部屋を出ていった。
 気にしている余裕もなく、由良が眠気の到来をじっと待っている間に早瀬は飛んで帰ってきた。

「由良君、薬。薬、持ってきたから」

 気遣わしげな声が降ってくる。
 由良は、頭痛と億劫さと自暴自棄とで眉を顰めつつ、目を開けてやった。
 目の前には、なるほど銀色の包装に包まれた、ぱっと見はどこからどう見ても市販薬の白い錠剤がある。
 胡乱な目で見詰めたまま押し黙った由良の言いたいことを察し、「君が具合悪い時にまで、セックスに耽る気はないよ」
 セックスではなくレイプだろう、と訂正したかったが、そんな元気すらない。
 ほら、と促されて錠剤を透明のパックから割る。早瀬は、前日に由良が開封するだけして口を付けずにいたミネラルウォーターをグラスに注ぎ、甲斐甲斐しく差し出した。
 自棄っぱちになって飲み下す。重たい手足を引きずりつつ横たわる。今のところ、やばい異変は生じていない。
 薬を飲んで緊張が緩んだのか、それともいよいよ限界だったのか。
 由良はあっという間に睡魔に引っ張られた。



「……、う……」

 己の呻き声で目が覚めた。
 クリーム色の天井をぼうっと見上げ、今何時なのだろう、と詮無いことを考える。現在時刻以前に、何日なのかも判らないのだが。
 頭痛はだいぶ解消していた。見渡してみても、早瀬は室内にいない。
 喉の渇きで起き上がり――目眩を覚えてよろけ、おもいきり肩を壁に強打した。

「ッ……、ぅ……」

 その拍子に、収まったと思った頭痛が再発する。
 しばらく壁に寄りかかったまま静止していたものの、収束する様子もない。由良は諦めて、ペットボトルの水を飲むともう一度布団にもぐった。
 これは、完全に――参っているらしい。
 『もう放さない』と早瀬は宣言した。大きく見積もっても一週間程度しか経過していないと思われるのに、まさかこの調子で、何年も何十年も、縛り付けられるのだろうか。
 それはもう絶対に無理だ。それだけの年数を数える前に、自分は死んでいる。
 性交の記憶がないだけまだましだと考えていたものの、やはり相応に精神的にも肉体的にもダメージを負っていたようだ。

(鈍感なのも……現実逃避が得意なのも、考えものだな)

 まんじりともせず、頭痛が引くのを祈りながら自嘲する。
 半日ほど眠っていたと思うのだが、奇妙なほど空腹感がない。ついに胃までおかしくなったか?
 それならそれでいいとさえ思う。このまま食事が喉を通らず、ただ漫然と衰弱していくさまを見ていたら、早瀬だってさすがに病院へ連れて行ってやるかという温情を見せてくれるかもしれない。
 そのまま由良は、数十分ほど微睡んでいた。
 ドアノブが回る音で薄く目を開ける。ふらふらと眼差しを遣れば、目が合った早瀬はおずおずとこちらを窺った。


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