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 もう少し彼が乗り出せば、吐息すら掛かる距離に居る旦那様の姿を思い出す。
 艶のあるさっぱりとした黒い短髪、雑誌モデルになれそうな甘い顔立ち、貴公子だとか王子だとかのあだ名が似合う旦那様――

 私の二つ年下である彼と初めて対面したのは、代々遠宮家の家令を仰せつかっている私の家系から出る新たな家令候補としてご挨拶に伺った時だ。
 次期当主は当時八歳だった私より若く、べたな表現だがどこぞの少年人形みたいだった。
 何の気負いも無く「よろしくね」と幼さの残る舌足らずな声で挨拶され、広大な屋敷と未来の主人に緊張しっぱなしだった私を子供ながらに不憫に感じたのか、庭のツツジを見ようと手を引かれた。

 その次にお会いしたのは、二ヶ月後の旦那様のご両親の葬式場だ。
 必死で泣くまいと唇を引き絞るその顔を見て、私自ら本来は小学校卒業以降だったお勤めを早めて欲しいと父親に頼み込んで、遠宮家で使っていただいている。

「はぁ……」

 あと五分後には来客がある。家令としてお出迎えしないわけにいかない。
 しかし。

 ……まさか、私をそういう眼で見てらしたとは。
 額に腕を乗せ、気怠げな息を零した。







「――本日のご連絡は以上です。何か御命令等は御座いますか?」

 クリアボードに留めている数枚の書類をめくりながら旦那様に確認すると、彼は無言で首を横に動かした。
 最初は別の台詞を言おうと開いた口は、しかし結局いつもと同じ文言を繰り返す。

「それでは、失礼いたします。ご用がおありでしたら私宛へお電話を。お疲れ様でした」
「……ああ」

 心此処に在らずと言うに相応しい返事を、一礼の為に下を向いた頭上で聞く。



 旦那様に告白されて、二週間が経った。
 幾ら建前とはいえ主人に忘れろと言われたなら、使用人としてはそれを遵守する他ない。
 そんな言い訳も確かに事実だったが、何より私は生憎、恋愛だのに興味は無いのだ。期待させる様な態度を取るほうが間違いなく旦那様は嫌だと思う事は判っていた。

「っ、ぁー……」

 重い足取りで廊下を歩きつつ目頭を揉み込む。肩凝りも相変わらず酷い。
 ――このままでは旦那様は、使用人に告白し色好い返事を貰えなかったという失恋体験を忘れようと今まで以上に睡眠時間を削り、志願して仕事に専念される。そうなれば比較的お身体の弱い旦那様は遠からず過労で倒れてしまう。
 だからこそそうさせない為に、旦那様へ回すだけの仕事自体を減らそうと毎日ほぼ徹夜していた。先程はお疲れ様と言って辞したが、本当はこれから三時間ばかり残業がある。
 苦だとは思わない。
 何せ、全ての原因は私なので。



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