▼1
「……旦那様?」
何だろうか、この状況は。
「急用だ」の一言で呼び出された。
旦那様のお名前で仕事用の携帯電話に連絡があった為、そのまま急いで書斎へ赴くと、ソファに押し倒されてしまった。
「旦那様」
「……」
あまり見た事の無い、酷く切羽詰まったお顔をされている。
私はソファの背面部分に身体を預け、抵抗も甘受もせずに、ただ主人の両肩に手を置いた。
背凭れに手を置く険しい表情の旦那様の腕の中に挟まれてしまい、ああ、この体勢は妹がリビングで読んでいた少女漫画をチラ見してしまった時にあったワンシーンみたいだ、と冷静に見えてその実結構空回りしている思考で思った。
「大野、」
「はい、旦那様」
何か自覚のない大失態でもやらかしたのか、私は? それで解雇の通達が待ち受けているのか。
しかしそれにしてもこの体勢は、一体どういう――
「……、だ」
「……は?」
旦那様の掠れ声が聞き取れず、咄嗟に気の抜けた相槌を打ってしまう。
社交界でも引く手数多である程の綺麗な顔を歪ませ、旦那様は囁く様に言った。
「すきだ、大野」
私は眼を見開いたまま、たっぷり十秒間固まった。
「え、……と」
「……すまない」
何か反応を返そうと考え無しに吐き出した台詞は無意味なもので、困惑しきりの私を見詰めていた旦那様は、緩く首を振った。重苦しい溜め息を吐き、半ば私に覆い被さっていた上から退く。
そして何事もなかったかの様に、呆然とソファに座る私を残して部屋を後にされた。
「今のは忘れろ」
ドアが閉まり際聞こえるか聞こえないかの声量で漏れた呟きは確かに命令された時の声音だが、はい、と応えられなかった。
かちゃんという軽い音が響き、いつの間にか強張っていた全身からゆるゆると力を抜く。その分一気にソファに体重が掛かった。
「……本当は、『忘れろ』なんて本心ではないんだろうが」