▼2
「……明日仕事じゃないのかよ」
「仕事だよ?」
「だよ、って……そんなあっさりと」
「だって、このまま何もしないで帰ったら、俺にインポ疑惑が持ち上がっちゃうじゃない」
目に見えて智季さんの全身が緊張した。
「……する気か?」
「まあ、アナタが嫌じゃなければ」
口振りだけは聞き分けが良いなあ、俺。実体は全然そんな聖人君子じゃないのにね。
この半年の経験で智季さんにも俺の虚勢が伝わったらしく、苦笑する気配を感じた。
「嘘吐け。俺が嫌だって拒絶したって、あんた、素直に帰る訳ないだろ」
「……いや、うん。が、頑張るよ。うん」
案の定見透かされてた。
けれど、ちっとも格好良くない俺の取り繕いにも、智季さんは声を上げて笑ってくれる。
「もういいって。とりあえず離せ、望月」
「……離したら、逃げちゃわない?」
「馬鹿、俺の家は此処だぞ? 何処に逃げるっていうんだ」
それは、そうなんだけど。と、口の中でもごもご呟く。
でも、俺が言いたいのはそうじゃなくて。折角悪戯する絶好のチャンスであるこの機会を、次にいつ訪れるかも未定なこの幸運を、みすみす取り上げられたくないというか。
しかし、この何とも女々しい未練を告げたくなくて、俺は渋面を作った。
顔を振り返らせてそれを間近で見ていた智季さんが、もぞりと腕の中で身動ぎする。条件反射で拘束を緩めてしまった直後、盛大に後悔した。
俺の苦悩など勿論知らない、脱出に成功した智季さんは、改めて俺に向き直って。
「よし。――じゃあ、ヤるか」
「…………は?」
「だから、やる事やっちゃおうって言ってんだよ。ヤリたいんだろ?」
「それは、そうだけど……え? 何をするの?」
「何って、ナニ?」
暫しの間が空いた。
ぽかんとしている俺の反応に却って困惑した顔の智季さんを、まじまじ凝視する。
脳が理解に及んだ途端――俺は思わず、インターネット上でよく見る『orz』の体勢を再現していた。
「お、おい、望月? どうした?」
「ううん……何でもない……何でもないよ智季さん……」
全くこの人は、乙女なんだか男前なんだか分からない。
ああ、智季さん、俺以外の男に目付けられないか、本気で心配だ。こんな警戒心の欠片もないお人、狼にとっては最高の兎じゃない。