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脱いでいた背広だけを引っ掴んで、俺は家を飛び出した。すぐ外出出来るよう、ほぼスーツ姿のままでいた――まあ着替えるのが億劫だっただけだけど――数十分前の自分に感謝する。
普段は家族の誰も使わないから宝の持ち腐れ状態になっている自家用車に乗り込み、交通ルールぎりぎりの速度で何度も何度も押し掛けた狭山さんちへ車を飛ばす。到着すると、最寄りの有料パーキングを探しに行く手間も惜しくて、アパートの駐車場に無断駐車させて貰う。もし大家さんに見付かったらお金包んで詫びに行こう。
外階段を二階まで上がって呼び鈴を鳴らすと、狭山さんはすぐさま玄関を開けてくれた。
「望月……」
俺の名前を呼ぶ声が掠れている。
恐怖に揺れる黒い双眸。不自然に浅い呼吸。常よりも力の入った両肩。
そんな狭山さんを見ていられなくて、僅かでも場の空気を和らげようと、俺は少しだけ笑った。
「大丈夫?」
俯きがちに、微かに狭山さんが頷く。
――抱き締めてやりたい。不意に、そんな強烈な衝動が沸き上がった。
しかし本当に実行に移したら、ただでさえ不安と恐怖に追い立てられているにも拘わらず、余計怖がらせてしまうのは目に見えている。
誘惑に駆られて一瞬惑った指先をきつく握り込んだ。
「ごめんな……わざわざ、こんな夜遅くに呼びつけて」
「止めてよ、そんなの。大事な人が怖がってるのに、俺がその要請を蹴るとでも? 俺の方こそ頼ってくれて有り難う、狭山さん」
努めて明るい声を出すと、張り詰めた緊張が解けたのか、狭山さんがふにゃりと苦笑した。その顔を見て可愛いと思う俺は、ほんとに狭山さんが好きなんだなー、というのを自覚する。俺だけが一方通行のバカップル思考に浸っているのもちょっと恥ずかしいけどさ。
俺は道を譲ってくれた狭山さんの脇を通りながら、室内へとお邪魔した。