女郎花の頃


「あのね、私あなたが気になってる。だからもう少しだけ、ここにいてほしい」
 それは僕の人生の中で、何番目に煌いた瞬間だったろう。驚きは何より大きかったはずだ。きっと、目の前の彼女でいえば決断と同じくらい。急なこと言ってごめんね、と視線を逸らして僕を気遣う彼女からは、自分自身の言ったことにまだ戸惑っているような、そんな不安定ささえ感じる。僕も同じはずだ。否、事前に何も知らなかった分、僕のほうが戸惑うのが普通ではないだろうか。僕たちは、決して互いを知らない仲ではないが、お世辞にも深い付き合いとは言えない。
 顔見知りと、知り合いと、もしかしたら友達。そのすべてに当て嵌まりそうで、どこにも定着しない場所をふらふらしている人。僕にとって彼女は、そんな位置に在った。たった今、その緩くも留まっていた杭が、彼女自身の手で外されるまで。
「……私のことは、すぐには考えてくれなくてもいい。考える時間を作ってくれてもいいかと思えたら、明日、ここに来て」
「これは? ……果樹園のチラシ?」
「人手を探してって頼まれているの。短い間だけど報酬は出るし、……私も、行こうと思ってるから」
「……」
 言わんとされていることを、大方察して頷く。つまり僕は、ここへ行けば、まだこの町に住む理由と余裕ができるということ。しかし、それは短い期間の話だ。この町に留まる理由がなく、出て行こうと思うなら少しでも早く、冬が来る前に別の場所へ行くべきだろう。けれど。
「……分かった」
「え?」
「行くよ、明日。農具の扱いは慣れてないんだ。教えてもらえる?」
「……うん!」
 秋、女郎花の頃。恋をしたかもしれない。きっと、彼女の抱える想いと同じくらい、不確かで曖昧なものだが。それでも今しがた、確かに彼女は僕の中で、顔見知りでも知り合いでも友達でもない女の子になった。
 この感情が育つのが先か、僕がこの町にいられなくなるのが先か。どちらが先に訪れるのかはまだ分からないが。育つ先を、見たいと思っている僕がいる。未だ芽もない花を、どうか。


(クリフとクレア)



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