真白に染まる


「――先生」
 ふわ、と。額に当てられた手の感触に、意識が浮上する。この体が蛍の光のような何かになり、暗闇からぼんやりと立ち昇るような、そんな感覚は嫌いではない。君か、とまだ覚めきらない頭で、目の前の顔を見て微笑った気がする。彼女はそんな私の有耶無耶な眸を覗き込むと、はい、と笑って眼鏡を手渡した。
「何時になった?」
「四時半です。ちゃんと三十分ですよ」
「ああ、そうですか……すまないね、ありがとう」
「いいえ」
 受け取った眼鏡をかけると、視界がようやくいつものものになる。外れた白衣の釦を一つ、留め直して、時計を見た。
 三十分経ってもそこにいたら、起こしてくれないだろうか。相も変わらず手伝いと称して、顔を見に寄っては帰る気配もない彼女に、ふと気が緩んで。そんな、らしからぬことを冗談半分に頼んだのが丁度三十分ほど前か。明け方まで町の夫婦の出産に追われていて、昨夜はほとんど眠れなかった。無事に生まれてくれたことで疲れは忘れていたが、来院者の少ない時間帯と見慣れた顔が相まって、つい欠伸をかみ殺せなかったとでもいうところだろう。覚めてみれば、随分と子供のような頼みをしたものだ。
 いてくれるだろうと分かっていた気もするし、本気で信じていたわけでもなかったと言えば、そんな気もする。それでも仮眠から揺り起こされたとき、その手が彼女だと疑いもしなかった。目が悪いといっても盲目で生きたことのない私には、肌の感触で人を見分ける能力などない。単純に、そこにいてくれたらいいと期待していただけだ。
「……まったく、どうして君が、そんなに嬉しそうな顔をするのだろうね」
「ふふ、だって。先生の寝顔は、初めて見ましたから」
「見たところで、仕方のないものだろう」
「そんなことは」
 可愛いですよ、と。言いかけた彼女に、剥いだシーツを被せて引き寄せる。驚きに見開かれる赤い眸が、真っ白なシーツの中で揺れていた。花嫁のようだ、と思う。まだどこか、目が覚めきっていないのかもしれない。
「可愛いというのは、こういうことを言うのだと思うのだがね」
 きっと、そうなのだろう。体勢を崩して肩膝をベッドに乗り上げた彼女の、眼差しの滲むような距離でぼやいて、何かを返される前に口づけた。


(ウォンとヒカリ)



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