―――その寂しさを食べる、モンスターになったって構わないと思ったとき。


「チハヤです。よろしく」
 初めて会ったときから、彼はあたしの知らない種類の顔をした人だった。お世話になります。抑揚のない口調でそう言った彼を、お父さんとお母さんが優しく迎えている。お婆ちゃんの弟子になったとか、なんだかそんな話で、急遽この町に住みながらうちで働くことになったらしいけれど、事情はよく知らない。ただ、気長に付き合ってやって、とお婆ちゃんに一言だけ頼まれて、それだけだった。
「あの……」
「何?」
「よろしくね、あたし、マイ」
 自己紹介をする。彼からこちらを見たはずなのに、返事はなかった。アメジストのような眸。紫陽花の砂糖菓子の色だ。冷たい、甘くて冷たい、不思議な感じがする。感情の見えない、綺麗で不透明な目だった。睨まれているわけでもないのに、足元が冷える。何かとても深い、疑心のようなものを向けられている気がした。そんな目をする人を見たのは、初めてだった。
「……よろしく」
 数秒の間があって、ふいにその眸が隠すように瞑られた。にこ、と砂糖菓子のように完全な笑顔が焼きつく。あたしはこのとき、心の中に一つの確信が生まれたのだ。この人は、あたしと仲良く、なんてどうでもいいのだと。

「チハヤ、チハヤ。お願いっ、一口だけ!」
「煩いな、まったく。そんなに食べてて太っても知らないよ」
 あれからもうすぐ約十年。一緒に育つ中で自然と口を利くことは増え続けて、いつとはなしに彼の事情や、これまでの環境の違いも知った。
「失礼しちゃう。これでもちゃんと気にしてるもん、それにね」
お互いに接し方を覚えて、上手くやるようになった。あたしも彼も大人になって、すっかりもつれて変わり果てたけれど、今でも思うときがある。
「いいんだ、あたし、チハヤの料理の一番のファンだから」
「なにそれ、僕は認定した覚えないけど」
「あたしが決めたの。だからね」
 ―――あれから、少しは幸せになった?
 幼いあたしには分からなかったことだけれど、今なら分かる。昔、あたしが彼の目に見たものは、ある種の寂しさと、そこからくる無知だったあたしへの嫉妬や戸惑いだったのだと。十年経って、彼の目には今、それを理解したあたしがどう映っているのだろう。そればかりは分からない。
「あたし、チハヤの作ったものなら、何でも一口分けてほしいの。それで太っちゃったとしても、あたしが今より頑張ればいいんだもん」
 分からない、けれど、ねえ。分かったこともあるの。あたし、あなたの寂しい気持ちを食べるモンスターになれるまで、笑われたって呆れられたって、一口ちょうだいの口癖は治りそうにないってこと。



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