婆娑羅ゆめ | ナノ
 09

「同盟国とは言え、格下相手の戦に余り大軍を寄越されてもあちらの士気に係わるでしょう」
「しかしお主直々に行くと申すのぢゃな」

神条の屋敷で既に出陣の準備を整えさせながら、時臣は氏政公の御前に跪いていた。
若い身空で謁見どころか帯刀すら許されていると言うのに、整った顔立ちは男前だが歴戦の武者といった様相ではなく、何処か優しげで穏やかな雰囲気を醸し出している。
一見すれば人畜無害そうな、ただ育ちの良い青年としか思わせない若武者の所作は涼風の如き清々しさすら匂わせた。
いつもながら非の打ち所がない時臣の礼に感心していた氏政は相変わらず大した若者だと髭を摩る。

「はい。どうしても嫌な予感がするのです。私の名も多少売れてはきましたが……所詮若造、今川とて同盟の面目を保つ為に受け入れて下さるでしょう」
「ふぅむ……あい分かった。お主の好きにせい」
「はっ、有難う存じます」

駿河は西側の防波堤だ。同盟である以上、お互いに益を認めるのは当たり前のこと……だからこそ、倒れられては困る。
これから死地に赴くことになる筈、そう感じているのは現時点では時臣一人だろう。
顔を伏せたまま、氏政がその場を辞するを待つが、気配は立ち上がったまま止まっている。
我らの愛しき爺様は目を合わさねば拗ねてしまう。見下ろす視線を感じながら頭を上げれば、目が合うと同時に唇が開いた。

「時臣よ」
「はっ」
「風魔を連れてゆけ。よいな、風魔」
「は?」

小さな風と共に姿を見せた小太郎が音もなく跪く。見えていないだろうに満足そうな笑みで腕を組む氏政の背後、小太郎が頷こうとするのを、時臣は不敬と知りつつ素早く片手を上げ止めさせた。

「此度今川へ赴くも私の我が儘に御座います。私が小田原から離れる以上、小太郎には御身をお護りさせたく存じます」

婆娑羅者は一騎当千。この戦国の世の必定であった。けして失えないものを守るに、これ以上のものは無い。
北条の為、または天下平定の為ーーひいては小田原の平和に繋ぐーー二兎に手を伸ばそうとする時臣にとって最善の策となり得る要素が小太郎である。今や、風の悪魔『風魔』歴代最強の名を欲しいままにする小太郎だからこそ、時臣も手放しに任せられた。

「風魔はお主の忍びぢゃ、時臣よ」

普段より強く何処か厳しい声に叩かれ、一瞬の間、時臣の息が詰まる。

「……ええ、だからこそ信頼しています。私とて、ただ婆娑羅者であるというだけで留守を預けようとは、」
「わしもな、時臣」

知らず識らずに口を閉じさせるような、重々しく威厳ある声が響いた。

「婆娑羅者なんぢゃぞ」

思わず目を細めるほど、悠々と佇むその姿は凛々しく、若き日の雄姿ーーその残滓を垣間見せていた。
見たこと等ある筈も無い幻想だ。
眩暈を抑える為の瞬きの後、視界には畳の目が映っており、時臣は無意識に頭を垂れていた事を知る。








「若獅子!よう来たでおじゃる!」
「……暫く厄介になります」

時臣の到着とともに現れた義元公の天晴れなはしゃぎっぷりはなかなかに脱力感を誘ってくれる。
前世の記憶が掠れていた最中、事も無げに飛び出したビッグネームに怯えっぱなしだった時臣はゆっくりと息を吐き出した。
余裕げな流し目と妙な動きで寄り添われ時臣は苦笑いするが、義元が唇を開く。

「余り気に病ぬでない。十二分に警戒させているゆえ。そなたの言とあらば信ずるに値するものよ」

存外真剣な響きが届いた途端ハッと顔を上げるが、義元は既に道化の仮面を被り直している。
態とらしい程によによと上がっただらしのない口角は、まるで別の色が混じっているようにすら感じさせた。

「……有難う御座います、義元公」

ふ、と先ほどよりも幾分柔らかく息を吐く。自然と微笑めば、目の合った義元がおもむろに飛び跳ねた。

「にょほ!?その熱い視線!遂に若獅子も……麿に惚の字でおじゃっ?」

僅かに緩めていた瞳を凍らせて、冷たく視線を据わらせる時臣であった。



周りの年長者は皆、時臣を酷く甘やかすーー時臣はそっと俯いてから、ゆっくりと顔を上げる。
其処にあるのは、若獅子と謳われるに値する、熱を帯びた瞳のーー。



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