めののめも | ナノ
▽0228 (21:41)
とうらぶ

こんのすけから見た、一人の審神者の就任風景。※独自解釈


 
 
 
 こんのすけは自分よりもずっと高い位置にある審神者の顔を見上げた。

 身も蓋もないが何ら特筆すべき所の見当たらない、面白みの無い横顔をした、ただの男だ。
 爽やかというには些か凡庸で、不遜というには誠実すぎる。強いて言えば、相手に印象らしきものを与えない、というのが特徴だろうか。
 この男はとても霊力の高い人間で、新規の審神者の中ではかなりの有力株であるらしいから、分かりやすい価値ならば其れだ。
 こんのすけは尻尾をゆらゆらと振った。

 案内役の任を定められた式神である小さな狐、こんのすけは本丸と言うシステムに紐付けられた存在で、本丸の数だけ存在し、それぞれが自我を持っている。
 仕事は本丸に君臨する審神者の補助、政府との仲介。とはいえそう大きな力がある訳でも無く、本丸の管理や機能は多くの小さな者たちが担っている。
 その全てを統べる審神者、己の従うべき主が優秀だと聞いて嬉しく思わぬ筈も無い。誇らしいというのは恐らくこういう事だろう、フスフスと鼻を鳴らした。

「審神者様、刀剣男士をお喚び下さい!」

 こんのすけが前脚とともに高らかに声を上げる。
 用意された打刀五本の中から選ばれた一振りから刀剣男士ーー刀の付喪神ーーを呼び出すのが、審神者としての彼の初仕事なのだ。
 刀は既に選ばれているようなので話は早い。後は喚ぶだけだ。そうして新たに一人の審神者が奉職することになる……筈だったのだが、先程まで大人しく話を聞いていた男は選んだ刀を前に立ち上がり踵を返してしまっ
た。

「準備をしてくる」
「え? 刀の用意は既に此方に……えっ審神者様!?」

 それ以上の返答もせずに庭へ出て行った審神者を、こんのすけは短い足で追い掛ける。
 歩幅は余りにも違いすぎるが、四足歩行の利がこんのすけを助けた。
 何とか見失わずに着いていった先で、井戸の前でおもむろに着物を脱ぎ捨て、白装束となった審神者が頭から水を被ったのを見、こんのすけはあんぐりと口を開ける。

「さ、審神者様!? 何をなさっているのですか!」
「……に神留座す……神魯伎神魯美の詔以て……」

 ざばぁ。
 返ってきたのは小さな呟きと次々に浴びせられる水の音。
 こんのすけは困惑しつつも、聞こえてくる呟きの内容から 成るほどこれは禊ぎであろうと検討を付ける。
 随分と古めかしい準備をするものだと、些かの呆れと感心を得た。
 略式でも構わないように用意されているのだから、特に必要が無いのだ。そもそもこの時代、こう言った作法をまともに解する審神者の方が少ない。

 審神者とは純粋な神職ではない。
 例が無い訳でもないのだが、元より刀剣男士の存在が特殊なので、神職である事と審神者の適正がある事とは直接比例しないのだ。相性の関係だろうか。こんのすけの知るところではない。

 右往左往するこんのすけの後ろでは、何処からともなく現れた数人の式神がせっせと手拭いや着物を運んでいた。
 小さな妖精のような風貌の式神たちが、身の回りは任せろとばかりに元気良く跳ね回る。

 この本丸に住まうまるで妖精然とした見目の彼らのきびきびとした働きを横目に、おろおろと審神者の周囲を彷徨いていたこんのすけが諦めてから数刻。
 漸く室へ戻っていく男を、やはりこんのすけは追うことしか出来ない。先ほどと違って力無く萎んだ尻尾を下ろしたまま。



 冷たい水で身を清め、洗い立ての狩衣に袴を纏った審神者はその袖を以って鞘に納まる刀を抱え上げた。
 跪いた審神者が唇を開けば、ピン、と空気が張り詰める。
 その腕に戴いた刀に語り掛けるが如く密やかに囁き、高き天に奏上するが如く厳かに詠み上げる。
 肌を刺すように冷え冷えとした静謐のなか、朗々と謡うように祝詞が響く。

 困りきってただ後を追いながら様子を伺い続けていたこんのすけが後退り、辿り着いた室の片隅で尻尾を抱えて震えた。

 これは正しく神降ろしの儀だ。

 審神者という神職に仕えるように出来ているとは言え、せいぜいが下級の妖程度の力しか持たぬ矮小の存在である。
 こんのすけには目の前で起こっている事が恐ろしくて仕方が無い。これほどまでの聖性をその身に受けたのは初めてだった。

 進んだ科学が非科学を立証し、寧ろ身近になった今日こんにち。様々な手順を省き少ない労力で容易く神秘を成す時代。
 霊力はあれど儀式は出来ぬ。そんな人間でも審神者として働けるよう何もかも簡略化されたこの本丸でいにしえの儀式が再現されている。
 こんのすけとて本丸の付属品のようなもの。霊力さえあれば用意された式神は決められた動きをし、本丸は正常に稼働する。

 こんのすけは余りにも神聖な色の濃い空間のなか、小さな身体を更に縮めて様子を見守った。
 とんでもない人間の世話役を申しつかってしまった!
 人に作られた小さな神を模した狐がぷるぷると震えた。


 虚空にぽつりとひとつ、何処からともなく現れた蕾から牡丹の花が咲く。
 早送りのように渦を巻いて花弁が散れば、眩い閃光が刀から放たれた。
 ゆるりと吹く風が頬を撫で、仄かに伽羅の香りが鼻腔を擽る。光が収まった頃には今度は何処からか桜の花弁が舞い降りていた。

「僕は歌仙兼定。風流を愛する文系名刀さ」

 神降ろしは成されたのだ。

 響きの良い艶やかな声にこんのすけが頭を上げた先、審神者の前には淡い藤色の髪をした男が薄い笑みを浮かべていた。

「どうぞよろしく。君が主で良いんだろう?」
「……まずは我が声に応えて頂いたことに感謝を。歌仙兼定」

 顕現した刀剣男士の力の源である刀をそっと差し出した審神者に、受け取りつつも歌仙兼定が僅かに首を捻る。拍子にそう長くもない髪が揺れ、その柔らかさを示した。
 流石に雅を誇るだけあってか、不躾で無い程度に歌仙の視線が審神者の姿を辿る。
 審神者の姿は簡素というより質素だが、上から下まで、いや中まで清潔そのものだ。少なくとも威厳は無いだろうが。
 こんのすけは声無き悲鳴を上げた。刀剣男士が審神者を軽んじるなど、あってはならない事だというのに!

「此度の主は随分と腰が低いね。趣味は悪くなさそうなんだが」
「私のことはどうか審神者と呼んで下さい。主と言うのは便宜上の話。せいぜいこの本丸の主と言うだけで、既に主を持つものに望まぬ主を戴かせる気はありません」
「ん……? 君は僕の主では無い、と?」
「何を仰るのですか審神者様!」

 歌仙が眉を顰めた瞬間、こんのすけはやっとまともに動き出した身体で彼らの下へ飛び出した。
 この審神者は一体何を言い出すのか!
 相手は確かに強き神、刀の付喪神である彼らでなくば敵の異形が倒せない事もよく分かっている。けれどその刀剣男士を扱い統べる事のできる尊い存在こそが審神者なのだ。

 そも厳密に言えば刀剣男士は神ではない。古き刀の妖から付喪《神》の側面を強化して映し出したものだ。
 いや、広義で言えば確かに神であろう。祟りがあれば祀り上げ、障りがあれば奉る、この大和に住まう八百万の一柱に違いない。
 しかし彼らは人の手によって作り出され、人の手によって具現した。全て人に与えられたものなのだ!
 その括りで考えてしまえば人造の式神である己、無数に存在するこんのすけであってすら、いつかは八百万の内に含める事が出来てしまうかも知れない。いや、そんな事はあってはならない。いや、あり得ない。その筈だ。
 嗚呼!何故ゆえにこの審神者はこれ程までにこんのすけを困らせるのか!
 生まれて間も無い狐の自我がぐらりぐらりと煮沸するが、己の仕事を放棄する訳にもいかぬ。こんのすけはスックと立ち上がり、精一杯己が身を主張した。

「この仔狐は?」
「式です。私の作ったものでは無く、この本丸に住まう物の怪のようなものですが」
「審神者様、ご自覚頂かないとなりません!あなた様は刀剣男士を束ねる主で、」

 ぴょんぴょんと二人の間を跳ねるこんのすけに、審神者はおもむろに人差し指を向けた。指先が緩やかに円を描いて、同時に狐がころりと遊ぶ。
 触れることも無く転がされたこんのすけは只でさえつぶらな瞳をまるまると見開き、ぶわりと尻尾を膨らませた。
 再び一声鳴いてからこんのすけは衝撃で固まったーー口を開けても人語を操ることが出来ない。
 こんのすけという式神の、言葉に関する制御をまるまる奪われたのだ。
 何ということだ!己の作ったものでもない式神に、ここまで影響を与え得るとは!
 こんのすけは困惑すら飛び越える感動に打ち震えるが、やはりその口からは小動物らしい鳴き声しか出てこない。今は腹を出して寝転がる間抜けな子狐でしかない。

「きゅ……きゅう!」
「おや」
「こんのすけ、静かに」
「きゅぅ……」

 狐の顔から愕然とした雰囲気だけは感じられた歌仙兼定が目を丸くした。
 審神者の手が優しく狐を拾い上げ、自らの膝に置く。宥めるように撫でられたこんのすけは鼻をぴすぴすと鳴らしながら顎を下ろした。
 動物を模しているだけあってか、それとも審神者が相手だからなのか、撫でられるのは満更ではない。

「歌仙兼定」

 白い背を優しくなぞる指を目で追っていた歌仙は、穏やかな審神者の声に少し反応が遅れたようだった。

「なんだい」
「貴方は刀だ。刀は戦場で輝き、使われねば鈍り、捨て置かれれば錆びるもの」

 刹那、口を挟まぬまま歌仙の眼差しが強さを増したが、審神者は臆する事なく続ける。

「ゆえに私のものとしてその刃を振るって頂きたい。刀の、芸術品としての価値を否定する気はありません。ただこの時勢、強い武器を眠らせておく余裕が無いのです」
「君の言う通り僕は刀、振るわれるのが本分だ。それに異存は無いよ……でもそれはつまり、君が主と謂う事とは違うのかな。持ち主があんまり低姿勢だとどうにも据わりが悪くてね」

 一度瞬きをした後の歌仙は存外穏やかであった。ただ審神者を試しただけなのか、仮とはいえ主人の懇願に絆されたのかは定かでは無い。

「それは……申し訳ない。だが、今の貴方はただの刀に非ず。肉の身体で覆われた、人の心を持つ神なのです」
「正直、神と言われてもしっくり来ないんだけどね……人に使われてこその刀だろう」

 もっと言え、言ってくれ、言ってください! こんのすけはそう力強く頷いたつもりだが、擽るように顎を撫でられて膝に沈没していた。袴で出来た襞の海は大層な極楽であったという。
 けれどその極楽も長くは続かなかった。そっと床に降ろされてしまったのだ。
 ハッとしたこんのすけが見たのは、厳かにこうべを垂れる審神者の姿である。

「尊き方よ、その御力、どうか私にお貸し下さい」
「否やは無いよ。ただ態度はもう少しどうにかしてくれないか。首の後ろがむずむずして仕様がない」
「善処しましょう」

 相も変わらず深々と礼をする審神者に、歌仙は首を竦める。

「ならば頼むから頭を上げて呉れないかな。シャンとね」

 静かな声に促されてゆっくりと審神者が佇まいを直した頃、歌仙がそっと頭を差し出した。審神者に有無を言わせぬ内に顔を上げた歌仙が謳い上げる。

「歌仙兼定、この刃と名を以って」

 側から見ていたこんのすけは思わずーー所詮は小動物の姿なので、外にはなかなか表し難いがーーギョッとした。
 放つ音もなく何時の間に其処にあったのか、抜き身の刀が二人の空間を区切るように煌めいている。

「この心はいつ如何なる時も君の側に在り、この刃はいつ如何なる時も君の敵を討ち、この身はいつ如何なる時も君のために尽くす事を誓う。君が望むなら三十六の三十六倍の首とて積み上げてみせよう」

 止める暇も無く滔々と重ねられた誓言に、審神者は唇を震わせた。言葉も出ない、といった風体で掠れた声を絞り出す。

「歌仙兼定……」
「名誉ある我が名を懸けたこの忠心、まさか今更売れ取れぬ……などとは言うまいね」
「……賜ります。その心、その刃、その身の全てを……この身に余る光栄とともに」
「恐悦至極」

 表情からも声色からも読み取れないが、それは明らかに敗北宣言であった。確かにどう見ても審神者の完敗である。
 その証拠に、歌仙兼定はさも満足げに微笑んでいる。

「元より君の心は識っているんだ。いまの僕を形作る力を受け取った時にね。心を尽くした言葉は心地よいし、尊いものだと思っているけれど、僕らはもっと深いもので繋がっているのだと知っておいたほうがいい」
「それは……」
「今ここにいるこの僕・・・は君によって生まれ出でたということさ」

 こんのすけは審神者の情けない困り顔を初めて目にした。
 今日出会ったばかりで妙な話だが、そうそう見れるものでも無いようにも思え、珍しいものを焼き付けるようにまじまじと見つめていた。

 それから毎日のようにその顔を拝むことになるなどとは、未だ知らぬまま。

back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -