「小平太も迷惑してるわ、消えなさいよクズ!」

─パシン!

皮膚と皮膚が合わさる音が倉庫裏に響く。
頬を打たれた少年は無表情に目を瞬かせる。何を考えているのか等皆目見当も付かない。
整った顔を歪めていた少女は振り上げた腕を下ろし満足気に息を吐く。
眉間に寄った皺は徐々に消えてゆき、少女は愛らしい笑顔を浮かべた。
青年は口元だけ緩く笑みを浮かべる。実際には笑みと云うよりは、口元を歪めただけに近いが、笑みに見えなくもないため笑みと表記する。
「私は愛されるために来たのよ、モブが出しゃばらないで。」
そう言ってその場を後にした少女に背中を見詰めながら、青年は意地悪く、冷めた表情で小さく呟いた。



「…あーあ、馬鹿な女。」


この時、過ちに気付いていれば、何か変わっていたのかもしれないが、今となれば後の祭りである。







「ねぇ留三郎、あの話どう思う?」

伊作は呟くように同室である食満へ問い掛けた。
食満は用具を修理する手を休めることなく口を開く。

「騙される奴なんていないだろ。もしあの女を信じたりする奴がいたら、小平太に殺されるぞ。」

当たり前だと言うように放たれた言葉に伊作はそっか、と納得したように頷いた。
二人が話しているのは冒頭に出た少年、みょうじなまえと一月程前に堕ちてきた自称天女と謂う少女のことである。
少女は誰から見ても愛らしく美しい容姿をしており不慣れな仕事を精一杯努める子であった。故に下級生からは慕われていたし、事務員の小松田からも好かれていた。
併し、慕われいたのは下級生だけであったし、好かれていたのは小松田だけだった。
最上級生である六年と教員は少女の違和感を逸早く察知し、五年生は鉢屋が酷く少女を嫌悪する剰り他も少女に良い印象を持たず、四年生は元より少女に興味が無く、上級生は挙って少女をぞんざいに扱っていた。
彼等には少女よりも大切な同輩や後輩たちがいたし、七松に至っては少女なんかよりも自身の恋人であるなまえの方が何倍も美しく、愛しい存在であったため少女なんて眼中に無かったのだが。

扠、話を戻すが伊作と食満の会話の意味とは何か?話は本日の昼食時の事。天女と自称する女が大きな瞳一杯に涙を浮かべなまえから罵詈雑言を浴びせられたと下級生に溢したのである。
その姿は美しく可憐ではあったが、瞳の奥は冷たく悪意に満ちておりました故、上級生は勿論純粋な下級生は違和感を感じた。
何故下級生が?其れは簡単な話しでありまして、幼子は純粋が故に嘘には敏感でありました。
そしてみょうじなまえと謂う少年は、七松の暴走を唯一止められる存在でもあり、優しい先輩でもあり、非常に慕われている者でした。


「ええー、なまえくんが悪口なんて有り得ないよ!」

どじな彼は断言しました。

「天女さまは好きだけど、嘘はよくないよね。」

眼鏡の少年は呟きました。

「…失望しました。」

天の邪鬼な少年は顔を顰めました。

「先輩がそんなことする訳ないじゃないか。」

蛇を巻いた少年が冷たく瞳を向けました。

「…興味はありませんが、先輩を悪役にするのは如何かと。」

鍬鋤を握る少年が首を傾げました。

「馬鹿な人だね。」
「ああ、馬鹿な女だ。」

二人の少年は談笑するように嘲笑しました。

「甚だ可笑しい話しだ。」

自慢の髪を靡かせた美しい少年が嗤いました。

「騙されるような奴は忍失格だ。」

厳格な少年が怒鳴りました。

「……有り得ない。」

無口な彼が失笑しました。

「うわぁ、凄い度胸だね。」

不運な彼が呆れました。

「…また面倒事を、」

優しい彼が溜め息を吐きました。


「なまえを悪く言う奴は許さん!よし、殺してしまおう!しかもあの女、私のなまえを傷付けたそうじゃないか。なまえは優しいから口を開かなかったが、優しい後輩が教えてくれたぞ。全く馬鹿な女だな!」

少年を愛して已まない少年は、憤怒しました。

にこにこと笑っている少年はにこにこと笑って憤怒しました。
誰よりも誰よりも、何よりも愛しい彼が汚されてしまったのです。あの女に触れられてしまったのです。傷付けられてしまったのです。名前を呼ばれてしまったのです。視界に映ってしまったのです。空気を共有してしまったのです。時間を割いてしまったのです。記憶に残してしまったのです。対面してしまったのです。
要約、不愉快なのです。
あの女の全てが不愉快なのです。今にも腸が煮えくりかえりそうなほど不愉快なのです。憤怒しているのです。
其ほどまでに七松はなまえを愛しているのです。盲目的に、無意識に。一分一秒でも長くなまえの側に寄り添い愛を囁きたいのです。
嗚呼、可哀想な天女さま。なまえをただのモブと勘違いしたばかりに。しかし、悪いのは天女さまでしょう。欲張りはいけません。二兎追うものは一兎得ず。
下級生だけで満足していればよかったものの。全くもった馬鹿な女です。

「なまえ!」
「小平太、どうたんだい?」

七松は真ん丸い大きな瞳は三日月型に緩やかに弧を描き幾分焼けた頬を淡く染め幸せと言わんばかりに恋人であるなまえに抱き着きます。その姿は何時ぞやの女よりも何倍も可愛らしく愛らしい。
なまえは表情を和らげ七松を抱き返します。身長こそ中在家より幾分低い七松でありましたが、毎日のマラソンや塹壕掘りにより着いた筋肉は七松を大きく見せ、細身ななまえをすっぽりと覆っていました。

「明日町に行かないか?」
「そうだね、新しい饂飩屋にでも行ってお揃いの髪紐を買おう。」
「ああ!」

幸せそうな二人を見て周りは口元を緩めます。なんと微笑ましい光景でしょうか。

「なまえなまえ、一等愛しているぞ!」
「私も小平太を一等愛しているよ。」
「嬉しいな!」
「そうだね。」

抱き締め合う二人に隙間なんてありません。入り込む隙間なんて生まれる筈がないのです。何たって、絆よりも愛よりも強いもので結ばれているのですから。

「なまえ、離れたりなんかしたら許さないぞ!」
「離してって言っても離してやるものか。」
「なはははは!」

嗚呼、ああ、吁、なんと可笑しな話でしょうか。
ある日突然やってきた天女さま。天女さまは小さな子から好かれておりましたが、小さな子じゃ足りないようで、少年たちにまで手を出そうといたしました。
しかし天女に靡く者は一人もおらず剰い嫌悪されてしまったのです。
天女な嘆きました。何故、何故、何故!全て上手くやったじゃないか!
そんな時、たまたま通りかかった少年が蛸壺に落ちている天女を助けました。天女は歓喜しました。やった、やった、やった!
しかし天女は見てしまったのです。少年が少年を抱き締め愛しげに語りかけるのを。
天女は憤怒しました。脇役のくせに!邪魔だわ!
計画は完璧のはずでしたが、天女は一つ見余ってしまったのです。少年が何れ程少年を愛しているのかと謂うことを。
天女の計画は失敗してしまいました。
そのあと天女がどうなってしまったのか?さあ?私はその場には居りませんでしたので、わかりません。




「小平太、お昼の鐘が鳴ったよ。食堂に行こうか。」
「ああ!いけいけどんどーん!」

今日も二人の少年は仲睦まじく日々を過ごしております。








馬鹿な女にお似合いな物語じゃあありませんか?少年の最愛に触れようなんて愚かな考えが間違っていたのです。
さて、お話はこれにて御仕舞いです。
申し遅れましたが、語り部を務めませていただきましたみょうじなまえです。どうぞ御贔屓に。









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リクエストありがとうございました!
飛沫さまの御期待に添えられたかはわかりませんが、楽しく書かせていただきました!
これからも謳歌共々よろしくお願いします(*^^*


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