「優しいことは、易しくないよ。」

何時だったか、そう言ってくしゃりと顔を歪め涙を溢す先輩が柄にもなく綺麗だと思った。
七松先輩と同じ緑色の制服を纏いぼくよりもずっと大きくてしっかりとした手なのにぼくよりも弱々しい手で、色素の薄い髪を小さく揺らして俯くその横顔だとか、震えている広いけど小さい肩幅だとか、後輩の前で涙を流すこととか、何時も曖昧に悲しそうに笑う姿とか、そんなのを全部含めて先輩は綺麗だと思った。









ちょっと前に空から落ちてきた凄く凄く綺麗な女の子は皆から天女サマって呼ばれてて、ふわふわとした可愛らしい笑顔は見ていて心がふわふわしちゃう。優しくて可愛らしい天女サマは大好きだけど、天女サマのせいで大好きななまえ先輩が涙を流しているのは嫌な気分。

なまえ先輩は委員会直属の先輩である平滝夜叉丸先輩の恋人で、誰から見ても仲の良い恋人同士だったけど、天女サマが学園に来てからは滝夜叉丸先輩が天女サマを好きになってしまって、先程とうとう二人はお別れしてしまった。
なまえ先輩は滝夜叉丸先輩の長い自慢話をにこにこと聞いてあげてて、ぼくたちにもお菓子をくれたりして、七松先輩の殺人メニューを少しだけ減らしてくれたりする凄く優しくて素敵な先輩なのに、滝夜叉丸先輩は優しくて可愛らしいふわふわとした天女サマを選んでしまわれた。

偶然お二人の会話を聞いていたのだけれど、なまえ先輩は何処までもお優しい方で、なかなか話を切り出せない滝夜叉丸先輩に淡く優しい笑みを浮かべこう言ったのだ。

「滝夜叉丸、私をフっておくれ。これが最後のお願いだ。」

その時、本当に悲しいのはなまえ先輩のはずなのに、痛いのはなまえ先輩のはずなのに、何故かぼくは涙が溢れてしまった。
滝夜叉丸先輩は苦笑いを浮かべたあと何処かスッキリした顔でなまえ先輩をフって、其れからお二人は仲の良い先輩と後輩と云う関係になられたのだけど、ぼくは納得がいかなかった。
何故なまえ先輩が悲しい思いをしなければならないのか、何故滝夜叉丸先輩はなまえ先輩をフったのに天女サマに求愛をするのか、何故周りはなまえ先輩がフラれたことを気にしないのか、何故、こんなになまえ先輩が傷付いておられるのに誰もなまえ先輩を慰めに来ないのか、只々不思議で仕様がなかった。

だからなまえ先輩を慰めようとなまえ先輩の自室に行けばなまえ先輩はその綺麗な瞳を赤くして、悲しげに笑っていた。
思わずぎゅう、となまえ先輩に抱き着けばなまえ先輩はくすくすとこれまた綺麗に笑ってぼくを抱き返してくださり、ゆっくりと優しく背中を撫でてくださった。
すると止まった筈の涙がまたぽろぽろと溢れ出て、止まれ止まれと思うほど手から溢れるビー玉のように涙は溢れるものだから堪らずなまえ先輩の胸に顔を押し当てる。

「…なまえ先輩は、優しすぎます。」
「そんなことはないよ。」
「あります。だってなまえ先輩は最後まで自分の感情を押し殺して滝夜叉丸先輩の無駄な矜持を傷付けないようにしておられました。なまえ先輩は悪くないのに、なまえ先輩は滝夜叉丸先輩を心底愛しておられたのに。なまえ先輩は何時でも滝夜叉丸先輩の幸せを優先してご自分の幸せは考えてません。今だって聞きたくもないぼくの話を聞いてくださっています。」
「可笑しなことを言う子だね。私は何時でも自分に素直だし、滝夜叉丸が幸せなら私も幸せなんだ。四郎兵衛の話だって無理して聞いているわけじゃなくて、私が聞きたいから聞いているんだ。」
「嘘です。なまえ先輩は誰よりも独占欲の強いお方ですから、滝夜叉丸先輩が自分から離れて行くなんて堪えられないはずです。」

ぼくは多分悪い子なんだと思います。
なまえ先輩の優しさを利用して言いたいことだけ言って、なまえ先輩がぼくの言葉一つ一つに悲しげな顔をするのをわかっているのに知らんぷりして、なまえ先輩を大好きなのになまえ先輩を傷付けているぼくは滝夜叉丸先輩よりも凄く凄く悪い子なんだと思います。

「…四郎兵衛、泣かないでおくれ。可愛い後輩が泣いているのは堪えられないよ。」

白くて少しざらざらとした指先でぼくの頬を伝う涙を優しく拭うなまえ先輩はやっぱり悲しげな顔をしていて、また涙が溢れた。

「先輩は、優しすぎますよ。」
「そんなことは無いよ。私は酷い奴だ。」
「酷いけど優しいです。そんな先輩が大好きなんです。ねぇなまえ先輩、ぼくはなまえ先輩を悲しませるようなことはしません。なまえ先輩が手足を切れと言うなら切ります。目を抉れと言うなら抉ります。なまえ先輩以外に触れるなと言うなら触れません。ねぇなまえ先輩、滝夜叉丸先輩なんか忘れてぼくを好きになってください。後生ですから…っ」
「…四郎兵衛、」
「ズルいのはわかってます。意地汚いのはわかってます。だけど、なまえ先輩が好きなんです。」

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ぼくは凄く悪い子です。なまえ先輩が涙に弱くて、人からの好意にも弱いのを知っていて利用するなんて、本当に意地の悪い子です。ですが、なまえ先輩に好いて欲しいのです。滝夜叉丸先輩に向けていた愛情を、ぼくにも向けて欲しいのです。

「…、私は、酷く弱い人間だよ。きっと君を好きになれば君無しでは生きていけなくなってしまう。忍にも、なれなくなってしまう。」
「っ、構いません!ぼくがなまえ先輩をまもります!」

ぎゅう、と強くなまえ先輩を抱き着けば、なまえ先輩は恐る恐るぼくの背中に手を回して、ぎゅう、と抱き締め返してくれた。とくりとくりと暖かい心臓の音がゆっくりと静かに伝わり、嬉しくてまた涙が溢れた。

「なまえ先輩には、ぼくがついています。」




彼はいつだって幸せに怯えてる



その日の委員会活動は、七松先輩と滝夜叉丸先輩の機嫌が無駄に良くて、委員会活動を終えて長屋に戻る頃には体力の底は尽きて寧ろ魂が抜けてしまいました。
それでも頑張ってなまえ先輩に会いに行こうとカスッカスの雑巾を搾るように体力を搾り出し重たい足を動かしていれば、前からなまえ先輩が見えました。
なまえ先輩は倒れかけるぼくを優しく受け止め困ったように笑って、大きくて小さな背中におぶってくれました。

「もう遅いし明日は休日だからゆっくり休みなさい。」
「は、い。」
「…頑張ったね、お疲れさま。小平太には私から加減するように言っておくから。」
「…あり、がと…、ざいます。」

ゆっくりと落ちていく意識のなか、うっすらと悲しげに此方を見つめる滝夜叉丸先輩が見えた気がした。

「(ありがとうございます、天女サマ)」

暗くて暖かい闇のなかでそう呟いたぼくは本当に意地の悪い子だ。




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