やきもち妬きのお姫様には



 その夜、七瀬陸の様子はかなりおかしかった。
 陸と一織は今日二人で仕事をしていたのだが、無事に収録を終えたあと、一織がスタッフと少し話をしてから楽屋に戻った。すると、先に帰っていた陸は前触れもない膨れっ面で一織を迎えたのだ。
 理由を尋ねても陸は頑として答えず、タクシーの中でも一言も口を利かず、寮に帰った途端陸は自室へ引っ込んで行った。
 訳が分かりません、と一織は寮のリビングで気炎を上げたが、たまたま居合わせていたナギと三月にどうにか宥められ、渋々陸のあとを追いかけた。だが何度ノックをしても返事がない。理不尽な仕打ちにいい加減業を煮やした一織は、陸の許可を得ずにドアを開け放った。
 その途端、すごい勢いで陸が抱き付いてきたのだ。

「っ、ななせさん…!?」
 声を上げると、抱きついた陸が顔を上げてきっと一織を睨みつけた。
「……」
 赤い瞳に何か光るものが浮いている――それが本当に見えているものなのかを確かめる間もなかった。
 次の瞬間、一織の唇に陸のそれが強く押し付けられたからだ。
「っな、なせさ、」
 訳がわからない。抗議しようと顔を離した一織を追いかけるように、陸がごつんと額を合わせた。
「一織は黙ってて」
 常にない強い調子に圧倒され一織が息を飲む。次の瞬間、また陸に唇を押し付けられた。
 かと思うと、ちゅっと音を立てて上唇を吸われた。その拍子に微かに開いた口の中目掛けて、陸の熱い舌が入り込む。
 一織の脳内で何かがぶつんと切れる音がした。背筋を甘美な震えが這い上がる。――もともと、陸に対しては大してない余裕が振り切れるのはすぐだった。
「ん、っ……!」
 舌を伸ばして陸の下唇をなぞるようにぞろりと舐める。びく、と体が震えたのを機に、一織は陸の後ろ髪に手を添え抱え込んだ。舌を陸の咥内奥深くに忍ばせ、蠢く舌と擦り付けるように合わせた。ぴちゃ、と唾液の混じり合う音が部屋に響く。
 やたらと一織の奥の方目指して伸びてくる陸の舌を絡めとり、弱いところを狙い打って舐め上げる。びく、とまた陸の体が震えた。
 初めこそ、普段からは考えられない勢いの陸に調子を崩されていたが、一度主導権を握ればこちらのものである。伊達に日頃から陸を気持ちよくさせようとささやかながらも努力を欠かしていないのだ。
「ふっ、ぁ……んんっ」
「ん……」
 陸はだんだん膝が立たなくなってきたのか、抱きついてくる腕の力がますます強くなる。それでも一織は止める気はさらさらなかった。陸の方だって、まともに立てなくなっても勢いが衰えない。一織のする行為に反撃するように、そっくりそのまま真似てくるところが可愛くて仕方なかった。
 ふたりは状況も忘れてキスに夢中になっていた。上唇を舐め、下唇を吸い、舌を絡め合う――その時、陸の喉の方から詰まったような息の音がした。

「――!」
 途端、一織は我に返った。陸に呼吸をさせることをすっかり忘れていた!

 慌てて口を離すと、すっかり呼吸のリズムが崩れてしまった陸が発作の前兆のように細かい咳をした。
「っ、すみませ、大丈夫ですか」
 だが、陸は目に涙を浮かべたまま、なお唇を近づけようとしてくるではないか。
「やだ……っいおり、やめないで、っけほ」
「んっ!……ちょっ、ななっ」
「まだ、へーきだも、っふ、ぅ……!」
「っ、どこがっ」
 もはや陸の呼吸に混じる喘鳴音は明白だった。どんなに陸が続けたくても、これ以上応えられるわけがない。
「けほっ、けほ……やだよ、一織ぃ」
「七瀬さん……落ち着いて、七瀬さん!」
 一織は陸の肩をぐいと掴み、無理矢理体を離した。そのまま崩れ落ちる体を抱え、部屋の隅に置かれた大きなクッションの上に寝かせてやる。
「ぜっ、ぜぇ……いお、り、けほっ」
「私はここにいますから、落ち着いてください。ね?」
 喘ぐ陸に優しく声をかけ、ベッドの足元に放り出されたままだった陸の鞄から吸入器を取り出す。
 手早く処置をしたあと落ち着くまで、一織は言葉の通りずっと陸を抱きしめて傍にいた。

   +

「……落ち着きましたか」
 ようやく陸の呼吸音が静かになった頃を見計らい、一織はそっと尋ねてみる。
「……ごめん」
 返ってきた声は薬の影響でがさついていたが、しっかりしたものになっていた。そこで一織はようやく胸をなで下ろす。陸は、一織にしがみついたまま離れようとしなかった。
「落ち着いたのならいいですけど。……今夜は一体どうしたんですか?」
 ずっと不機嫌なままでいるのなら、知らないうちに自分が何かやらかしたのだろうということでまだ説明がつく。けれど部屋に入った途端あんな熱烈な歓迎というのは、予想の斜め上を通り越して摩訶不思議である。説明がつくどころではない。
「……」
 だが、陸は答えない。一織の胸のあたりに埋まった口がへの形に曲がっているのが見えるようだ。そんな調子でだんまりを続ける陸に、一織はかすかにため息をついた。
「……これでも、少し傷ついたんですけど」
 訳もわからず恋人に冷たい態度を取られて、一織だってかなり心を掻き乱されたのだ。たとえ自分に原因があったとしても、何も言ってもらえなければ解決しようとすることすらできないではないか。
「せめて、理由を教えてもらえませんか」
 精一杯優しい声を出したつもりだった。これで答えてもらえなかったら正直な話一織にはどうしようもない。なぜなら心当たりがまったく思いつかないからだ。
 黙ったままの陸からの返事を辛抱強く待つこと、たっぷり1分。
「……だって」
 消え入りそうな声が、腕の中から聞こえた。
「一織が、どっか行っちゃうと思ったから」
「……は?」

「だって、……女の人と二人で楽しそうに話してたから」

 ――なんですって、と言いかけて、ようやく一織は思い出す。
「あ、あぁ……」
 思わず一織は頭を抱えた。確かに、陸の証言には心当たりがある。
(見られていたのか、あれを)
 それはついさっきの収録後のことだった。確かに、一織はあるひとりの女性と話をしていたのだ。
「一織、女の人と話してて、すっごい真っ赤になってたから。……好きなんだ、と思って」
 ――いやいやいや、ちょっと待て。
 確かに、見た目だけの話を言えばその通りだ。だが陸には大いなる誤解がある。
「あのですね、七瀬さん。あれは好き同士の語らいでもなんでもないですよ。彼女はただのADです、それも新人の」
「じゃあなんであんな照れたりするんだよっ」
 ぽこん、と肩を拳で叩かれる。陸は完全に拗ねっ子モードだった。――ああ、やっぱりちゃんと言わないと納得してもらえないか。
 一織は自分の迂闊さに改めて心の中でため息をついた。あんな場面をよりによって陸に見られるとは最悪の極みだった、二重の意味で。
 けれど今は陸の誤解を解くのが最優先だ。一織は深呼吸をひとつし、覚悟を決めた。

「あれは、七瀬さんと私が仲がいいと言ってからかわれていただけですよ」

「……へ?」
 初めて陸がぱ、と顔を上げた。語る事実に対するいたたまれなさに頬を染めながら、一織は言葉を続ける。
「以前、マネージャーが七瀬さんと私のコンビのファンサイトがあるって教えてくれたでしょう。……彼女はテレビ局に入る前からそのサイトを知っていたんだそうですよ」
 IDOLiSH7を初めとした男性アイドルに憧れてテレビ局にやってきた彼女は、ファンサイトで語られる以上に仲がいい(ように見えた)二人の姿にいたく感激したらしい。本当にふたりはお互いのことが大好きなんですね、とまで言われ、一織としては久しぶりに真面目に対応を困ったやりとりだったのだ。
「それで、一織はなんて言ったの?」
「……まあ、嫌いではないですと言いました」
「……好きって言えばよかったのに」
「言えるわけないでしょう……」
 ため息をついた一織の頬に、陸の手が触れた。
「へへっ、一織真っ赤だ」
 揶揄するようにそう言った陸の顔は、もう不機嫌ではなかった。どうやら無事に誤解を解けたようだ。
「よかった、一織が誰か他の人を好きになったらどうしようかと思ったよ」
「……そんなわけないでしょう」
 言いながら、一織は陸の体を抱き寄せた。
 手放せるわけがない。不機嫌だった理由も分かってしまえば可愛いものでしかなく、そんな風に自分を好きでいてくれる恋人を置いて別の人間を好きになるなんて、天地がひっくり返ってもありえない。
 抱き寄せられたのに答えてきゅっとしがみついてくる温もりに、愛しさは募るばかりだ。
「どれだけ、私があなたのこと想ってるか本当に分かりませんか」
「ううん。……ごめんな一織、変な誤解して」
「……いえ、私こそ」
 陸の態度は理不尽ではあったけど、原因が自分にあったのも確かな話で。
 体を少しだけ離して、一織は陸の潤んだままの瞳を覗き込む。
「誤解を与えてしまったのは私の方ですから。……だからお詫びに、今夜は優しくしますよ」
 トーンを落とした囁きに、陸の顔がさっと赤く染まった。
「……嘘」
「は?」
 この期に及んで何を言うか。思わず眉をしかめた一織に向かって、陸はふんわりと微笑んでこう言ったのだ。

「だって、一織はこういう時いつも優しいもん」

 ――やられた。一織は心の中で白旗を上げざるを得なかった。
(……本当に、あなたは私を煽る天才ですね)
 さっき喧嘩したばかりだというのに、真っ直ぐ自分にすべてを委ねようとしてくれる素直さ、純粋さ。何にも変え難い陸のそんな本質が、本当に愛しくてしかたない。
「そこまで言われたら――もう、今夜は離しませんからね」
「へへっ。……ずっと離さないでよ、一織」

 あとはもう、想いの向くまま。
 その夜はいつもよりずっと甘く優しく、長いものになったのだった。




end.


+ + + + +

不謹慎なのは重々承知なんですけど、発作が起きてもキスをやめたくない陸くんを書いてみたかったのでした。
もうちょっといいタイトルなかったかな…。

初出→'17/7/11
Up Date→’17/9/2

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