【同人誌サンプル】虹をみる人たち 1/2




<サンプル1> 
 1.「向楽心のかたまり二人」より

 うだるような暑さが、少しだけ和らいだある日のこと。
 鳴苑高校の校舎には、休日にもかかわらずあちこちで楽器の音が響いていた。
 その中でも特に耳を引くのは、トランペットとホルンのデュエットだ。同じ金管楽器、されどまったく音色の異なる二つの楽器だが、素人が聴いてもそれは気持ちよく調和していた。少し感性のある者が聴けば、高らかに鳴り渡るトランペットが、まろやかに、しかし澄んだ音を奏でるホルンをエスコートしているようにも聞こえるだろう。──しかし、本人たちはそんな悠長な気分で演奏をしているのではない。
 もし、音が「見える」かの指揮者がこの音を聴いたら、きっとこう言っただろう。
 猛獣に、剣を持った少女が必死に戦いを挑んでいる、と。

(……っ)
 ホルンを吹く少女、鳴苑高校吹奏楽部二年の久住智香はブレスと同時に唾を飲んだ。こめかみから汗が滴り、緑がかった艶やかな黒髪を濡らす。
 彼女は必死だった。なんといっても、今彼女とデュエットしている相手は「暴君」と謳われし鳴苑高校吹奏楽部の現トランペットパートリーダー、音羽悟偉なのだ。
 かつてはトラウマすら抱えていた相手。そんな音羽との二人きりの演奏は、セッション、ましてやデュエットなどといった生易しいものではない。
 まさしく、一対一の戦いだった。
 次のブレスポイントが来る。狙い定めて、久住は腹に力を込める。長い管から音を出すために必要な力強い腹式呼吸、この呼吸ひとつ取っても、一年前とは大きく違う。それは明らかな成長だったが、今の久住にそれを感じる余裕はない。
 ひたすら、音羽と対等な演奏をしようと、彼の強引ですらあるハイトーンに負けない音を出そうと、全身のあらゆる感覚を使って音羽の演奏に挑む。だのに、隣でトランペットを吹く音羽の表情は涼やかそのものだ。その切れ長な瞳、整った顔立ちには苦悶の影すら窺えない。久住はがむしゃらに吹くしかないというのに、この余裕は一体何だろう。
 これだけ頑張っても、音羽には勝てない。追いつく事すら難しい。
(……でも、だからってあたしは諦められない)
 一度心を折られた事があるからこそ、彼女は負けられない。ここで折れたら、今度こそあたしは自分にも負けてしまう。そう思って、もう一度腹に力を込めた瞬間だった。
 不意に、音羽が演奏をやめた。
「……え?」
 思わずぽかん、と久住が音羽を見る。と、音羽はなんとニヤリと笑みを浮かべている。そのいかにも意地の悪い笑顔に、久住が怯む間もなく。
「久住、それじゃ音が死ぬぞ。肩に力入れ過ぎだ」
 なんて言って、すぱんっと軽く久住の背中を小突いたのだ。
「ひゃあっ!!」
 思わぬ攻撃に彼女は飛び上がった。同時に心臓がどっきんと一段跳ねる。
 男子との接触は、控えめな性格の女の子ならたいていそうであるように、久住だって慣れていない。
「な、な、な」
 絶句したまま固まってしまう。顔が熱くなるのが、止められない。
「肩の力は抜けたか?」
 いけしゃあしゃあと音羽が問うてくる。明らかに「分かってて」言っている音羽に久住は心の中で絶叫した。
(あなたのせいで逆に緊張しましたけどぉおお!?)
 ──と、こんな風に、音羽との練習は心臓に悪い。よくこんな先輩のことを、神峰君はからかおうなんて言ったなぁ……と、トラウマの原因である音羽とのセッションに至ったきっかけを作った男の事を思い出す。まぁ、当の神峰もいざその時になったら、あっさり返り討ちにされていたのだけど。
 けれど、久住はこの時間が嫌いじゃなかった。理由はいくつかある。
 一つは、単純に上手い人と演奏するのは楽しいから、ということ。一年前は音羽の方が圧倒的過ぎてその事が分からなかったけれど、ギリギリついていけるようになった今は、音羽の演奏に追いつくことに快感すら覚えていた。それどころか、たまに違う楽器同士なのに完璧なハーモニーに「ハマる」瞬間があって、それがたまらなく気持ちいい。そんな感覚は、他の部員たちとの合奏ではなかなか感じたことがない。
 もう一つは、単純に音羽悟偉という人間が「カッコいい」ということ。音羽は吹奏楽部内のみならず、校内の女子生徒が時々噂するほどのイケメンである。そんな音羽が「楽しそう」に笑みを浮かべながらこっちを見てくる時などは、心臓に悪い以上になんとなくときめいてしまうのは、女の子なら当たり前──だと、久住は思っている。
「それじゃあ、さっき切ったところからもう一回いくぞ」
 音羽が楽譜を示し、久住はドギマギしながらも勢いよく頷いた。そしてリズムを取り、息を吸ったまさにその時。
 ──ガラリ、と教室の引き戸が開いた。


 + + +


<サンプル2>
2.「戦女神のスパイシータルト」より

 待ち合わせ場所に指定された、とあるターミナル駅の改札の前で、聖月は顔をしかめた。目を落とした先は手に握ったスマホ、その画面に表示されたメッセージである。
『ごめんね聖月、ちょっと遅れます』
 続いて送られてきたのは泣き顔のイラスト。メッセージの差出人は聖月の姉であり、今日の「おでかけ」に誘ってきた張本人、花澄である。
「……お姉ちゃん、自分から言っておいて……」
 呆れ半分、懐かしさ半分のひとりごとを零すと、聖月は簡単に「りょーかい」とメッセージを返す。
(相変わらず、ぽーっとしてるんだから)
 スマホをしまった聖月は、顔を上げてぼんやりと目の前を過ぎる人混みを眺めた。こうして姉妹で出かけるのは、ずいぶんと久しぶりだった。もしかしたら、聖月が中学に上がってからは初めてかもしれない。
 ──あの時期に、聖月は一方的に姉と袂を分かってしまったから。
 それがまさか、数年経った今、こうして出掛けられるようになるとは。
 花澄は数年前のあの時、聖月にとってどうしても許せない事をした。そのせいで、長い間ろくに口も利かなかったけれど、本質的に聖月はずっと姉が大好きだったのだ。それが、天籟ウィンドフェスで姉が奏でた、至高の音をきっかけにわだかまりが解け、今では少しずつ本来の姉妹としての仲を取り戻しつつある。
 だから、花澄から遊びに誘ってくれた時は柄にもなくうきうきしたものだ。どんな服着て行こうとか、どこに行きたいかとか考えたり、万一の事を考えて、寮の門限を超えた外出の手続きをしたりしながら、ずっとそわそわしていた。一瞬、デートをするならこんな気分になるのかなぁ、なんてアホな事を考えてしまったくらいだ。
 先輩のキョクリスには「聖月はずいぶんご機嫌ですねー!」なんて指摘されたので、お返しに足を踏んでやった──というのは、また別の話である。

 ──それなのに、これだ。
 待ち合わせの十五分前には来ていた聖月だが、もう既に三十分待っている。無駄に早く来ていた自分が、ちょっとバカみたいだ。
せめて、何時に来るか目安だけでも教えてもらえれば安心して待てるのだが、花澄からはあれから何の反応もない。既読の表示すら付かない。
「……いっそ、電話でもした方がいいのかな」
 さすがに不安になってきた聖月が、もう一度アプリを立ち上げようとすると。
「ごめん聖月ー!」
 改札から、ぱたぱたと駆けてくる見慣れた姿があった。三つ編みを揺らした少女は、紛れもなく花澄だった。
「もー、お姉ちゃん遅いー! 今電話かけようとしたとこだったんだけど!」
「うん、ホントにごめんね〜」
 相当焦っていたのか、走り寄ってきた花澄の息はせわしない。聞けば、忘れ物を取りに戻ったら電車を一本逃してしまったのだとか。
「何忘れたの?」
「えっとね……お財布。かばん変えたから」
「そりゃ確かに帰んないとダメだね」
 聖月は思わず苦笑した。ほんとに、相変わらずぽやっとしてるんだから──。
 フルートに関してはすごい才能を持つ姉だが、言動も行動も独特で、どこか抜けているところがある。だから、必然聖月がしっかりせざるを得なかった。そんな風に育ってきた昔を、少し懐かしく思ったのだ。
「ま、もういいけど。それより早くいこうよ、とりあえずごはんだよね」
「うん!」
 頷くと、花澄はにっこりと笑った。

 そして、二人は昼食をとった。
 二人が訪れたお店は、普通の料理よりもスイーツに力を入れているようなカフェで、メニューに並んだデザートに聖月は目を輝かせた。聴覚と味覚の共感覚持ちなだけあってか、おいしいもの──特に甘いものには目がないのである。ぱらぱらとメニューを眺めて、一瞬大好物のミルクレープにしようか迷った聖月だったが。
「え、それでいいの?」
 聖月が指したものを見て、花澄は首を傾げた。聖月の好きなものを知っているのだ。しかし、聖月は首を振った。
「今日はこれでいいの。お姉ちゃんは?」
「え、えーと……わたしは、これかな」
 花澄が指したのは彼女の大好物、それもとびきり甘そうなやつだ。やっぱり今もそうなんだ、と聖月は頷いて、すぐにウェイターを呼ぶ。
 じきに運ばれてきた二つのお皿に、聖月はこっそり笑った。花澄はいちごを載せたカスタードクリームのタルト、聖月はシナモンを効かせたりんごのスパイシータルト。なんとも自分たちらしいではないか──なんて、自分で仕掛けた比喩にちょっぴり照れくさくなる。姉が気づいているかどうかは、分からないけれど。
「わー、可愛い。美味しそうだね〜」
 花澄が、さっそくフォークで自分のタルトをひとかけ取って、口の中にそっと入れる。
「──うん、美味しいっ! ねぇ、聖月のは?」
「……美味しいよ」
 聖月はゆっくりと、噛みしめるように頷いた。香辛料の効いたそれは、甘くてぴりっとして、ほんとうに美味しい。一緒に頼んだコーヒーと合わせればほろ苦く、まるであの時奏でられた、姉のフルートの音のようだった。


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