金木犀が連れてきた




 ある朝のこと。夏が過ぎ去った事をを告げるように、誠凛高校にほど近い路地に涼しい風が吹きつける。
 すっと体を通り抜ける冷たさに、朝練へ足早に向かっていた火神は体を震わせた。
(大分涼しくなったなー、まぁバスケする分には涼しい方がいーけど)
 でも寒いのはイヤだな、と思ったその時、横を歩いていた黒子がこぼすように呟いた。
「だいぶ涼しくなりましたね」
「お!?…おう」
 黒子がこんな風にぼそりと発言すると、未だに火神は驚いてしまう。なぜなら黙っている時の黒子は隣にいることを本当に忘れそうになるほど影が薄いからだ、というか足音がめちゃくちゃ静かで黙っているとマジで存在感がない。忍者かこの野郎。
 ――という火神の心の罵声を感じたか感じないでか、黒子が微妙に声を低めた。

「……毎度驚かなくったっていいでしょう」
「うっせーよマジでびっくりすんだよ、いきなりしゃべんなコラ」
「理不尽な事言わないでください」

 と言ったと同時にどす、と黒子から肘鉄を貰う。黒子は力はないがいちいち狙いが的確で、今回も思わずバランスを崩すくらいには痛かった。
 そんなご無体なことをしておきながら、やっぱり黒子の顔が無表情なのがムカついて――こういう時の黒子の無表情はすごくバカにしてくるように思う――火神はお返しとばかりにかなり低い位置にある黒子の頭をぐっしゃぐしゃと掻き混ぜた。
「ちょっ、痛っ、なにすんですかっ」
「うっせーこっちのが余計痛いわ!」
「だから痛いですっ、…ああもう、寝癖ひどくなったじゃないですか」
「お前髪やわらけーんだからすぐ戻るだろ」
 いけしゃあしゃあと言ってやれば、理不尽、と呟いた黒子がくしゃくしゃに乱れた髪を手櫛で元に戻す。火神の言う通り色素の薄い黒子の髪はすぐに普段通りになった。
 そんな素直な前髪の下の表情がむくれていたのを見て、火神は少しだけ溜飲を下げる。

「寒くなったよなー確かに」
 何食わぬ顔をして話題を元に戻すと、黒子はむくれてとがった口のまま答えた。
「バスケするのにはいいですけどね。熱さで倒れずに済みそうでホッとします」
「やっぱそうだよなぁ? でもカントクの事だから、その分練習量増えたりしてな」
「…ありそうです」
 今度は、黒子はややげんなりしたように眉を下げる。…こんな風にいちいち黒子の表情を観察するようになったのはいつの頃からだろうか、火神が自覚したのは最近のことではあるが、それより前からずっと黒子のことを見ていたような気がする。

(なんでこんな気になるんだろーなー)
 バスケの相棒だから、だろうか? 黒子の考えていることが分からないと、プレイにも支障が出てしまうからだろうか。
 だが、考えてみればバスケしている時にそんな事を気にしたことはなかった。分かろうとするまでもなく、黒子の考えはボールから伝わってくるからだ。

 じゃあ、なんでだろう。
 首を傾げたその時、ふと甘い香りを感じた。
(……? コレどこかで)
 その香りは普段馴染みがないのに、どこか懐かしい――それも郷愁を煽るようなものでなく、ひどく俗物的なそれは、

「金木犀ですね」
「へ?」

 思わぬ呟きに、隣の黒子を見下ろす。
「キンモク…?」
「金木犀、ですよ。この匂いがすると秋が来たって気持ちになりますね」
 そう言った黒子は、口の端にうっすらと微笑みを浮かべていて。

(うわ、笑ってる…!)
 黒子の言ったことより香りより、その柔らかな表情に火神は心を奪われていた。
(ってか今笑うのかよ!? こいつの笑いのツボなんなの!?)
「火神君?」
「のぅわッ!?」
 ぽけっと見入っていたところに話しかけられ、火神は気持ち的に90センチくらい飛び上がってしまう。
「ボクの顔なんかついてます?」
「べべべ別に何でもねーよっ!?」
「なんか挙動不審ですね…」
 不思議そうに黒子が目をぱちくりさせる。火神はいつにないほど動揺しつつも、そんな姿にも目がいってしまうのだった。
 その…なんとなく、可愛くて。
(んん、かわいい…?)
 自分の思考を唐突に遮った巨大な違和感に、今度は顔をしかめる。が、それを深く考えるより、火神は不審そうにする黒子を誤魔化すことを選んだ。

「き、キンモクセイ、好きなのかよ」
「発音ぎこちないですね。…わりと好きですよ、いい香りですし、秋が来たって感じですし」
「秋ねえ…その感覚はよく分かんねぇな、オレもうちょっと年がら年中嗅いでた気がする」
 そう、火神にとって金木犀の香りは秋の香りではない、それよりもう少し日常に近い何かを刺激するものだった。
 なんだっけかもう少しで思い出せるのに、と火神が首を捻っていると。
 
「…確かに、金木犀の香りはトイレでは定番ですからね」
「んお?」
 黒子の呟きに、脳内でパッと電球が閃いた。
 ――そうだ、トイレだ!
「うおお、黒子それだ!」
 合点がいった喜びに思わず歓声を上げる。
 そうだ、金木犀の香りはまだアメリカに渡る前の幼い頃、トイレに漂っていた芳香剤の香りとそっくりだったのだ。
「どーりで懐かしいわけだぜ! サンキュー黒子!」
 喉に引っかかった骨が取れたようで、思いがけずテンションが上がる。
 あースッキリした、なんてちょっとシャレにならないことを火神が言うと、隣からぶっ、と変な音がした。
「ん? 何だ今の音――って」
 音の方を向くと、そこには、

「ホント、キミは風情ないですねバカガミ君」
 心底おかしそうに、頬を緩めた黒子の姿があって。

「――!?」
 火神は言葉を失った。それはあまりにも珍しい黒子の笑顔だった。
 言葉は明らかにこちらをバカにしているにもかかわらず、浮かべられた表情はそんな事を忘れてしまうほど――可愛くて。
(うわわ、何だコレ何だコレ!?)
 カッと頭に血が上る。こんな感覚試合でもめったに起こらないのに。
 黒子の失礼な一言に言い返すこともできずドギマギとしていると、黒子が再びきょとんと瞳を瞬かせる。
「火神君、今朝なんかおかしいですよ?」
「…な、なんでもねえ…!」
 自分で俯瞰してみても実に説得力がない返事だが、火神にはそう言うのが精一杯だった。

(言えるか、こんなこと)
 黒子のめったにない笑顔を見ることができて、ものすごく嬉しいと思ってしまった、なんて。
 いちいち黒子の表情を観察するようになったのは、黒子の笑ったところが見たいからだと気づいてしまったなんて。
 
 言える訳がない、けれどそんな自分の気持ちにウソをつくこともできない。
 代わりに、金木犀が連れてきた小さな奇跡を柄にもなく火神は感謝するのだった。
 
 
(なんか、今日はすげぇイイ日な気がするぞ)
 そんな風に心が浮き立つ理由に彼が気づくのは、もう少し先のお話。






end.


+ + + + +

火黒の日2016おめでとうございます!
すっごい久々に火黒書きましたがやっぱりこの二人のやりとり想像するの楽しいですw
金木犀と言えば中の人も実にけしからんでしたね…(←

Up Date→'16/10/11

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