独りじゃないバースデー
部屋に差し込む日差しの明るさで、ふと目が覚めた。
まだアラームは鳴っていないよな、と、枕元のデジタル時計を何気なく見やる。
『8月2日、午前5時48分』
表示した無機質なデジタル数字が、あるひとつの事実を教えてくれていた。
それは、今日から彼は16歳になるということ。
「あ…」
早起きの蝉の鳴き声が、静かな雨のように響く広い居室の中。
火神大我は生まれて初めて、たった一人の誕生日の朝を迎えていた。
- 独りじゃないバースデー -
高校入学を機に、今の場所で一人暮らしを始めて数か月。
意外と家事も苦にならないし、家に誰もいないことも、もう慣れていたはずだった。
けれど、今までの賑やかな誕生日祝いを思うと、何か大きなものが抜けている、そんな気がしてならなかった。
アメリカに住んでいた時はホームパーティーは必ずやっていたし、そのたびご近所さんや師匠のアレックス、兄と慕った氷室辰也もやってきてお祝いをしてくれた。
そして朝起きた時には、両親が声を揃えて「おめでとう!」と声をかけてくれていた、でも。
―――両親も、アレックスも、氷室も。ここには居ない。
「…もうガキじゃねんだしよ」
火神はベッドの上で頭を振って、俄かに沸き起こった思いを消そうとした。
今更こんなことで寂しい、と思ってしまう自分が、おかしかった。
8月2日といえば、高校生は夏休み真っ盛りだ。
しかし、誠凛高校バスケ部は夏休みだろうとお構いなしに練習があった。たとえ夏の全国大会に出られないとしても、1日たりとも無駄には出来ないのだ。
そして、行く場所があることは、今の火神には有り難いことだった。
「あ、火神君。おはようございます」
「おわぁ!?だからいきなり出てくんな!!」
「…ここ校門ですし、いたっていいじゃないですか」
ぼーっとしたまま校門をくぐりかけたところで、心臓に悪い思いをした。
怒鳴っても憎ったらしくしれっと返す黒子テツヤ。恐ろしいほどにいつも通りだ。
(いや、でも今のはぼーっとしてたオレが悪かったな)
と、火神は自分に言い聞かせた。何か言い返そうとしても黒子相手では絶対に勝てないから、これでいい。
代わりに、押し付けるようにガシガシと黒子の頭を撫でることにした。
「ちょ、いきなり何すんですかっ」
「お返しだよバカヤロー」
「意味が分からないです!」
―――うん、これでいつも通りだ
ジト目で睨んでくる黒子をよそに、火神はなんだかすっきりしたのだった。
誰かと喋るということは、つくづく有り難いことだ。
そして練習が始まり、火神は夢中でバスケをした。
「ナイスパスですね、火神君」
「うっせーよ!」
大敗を乗り越え、ケガもなんとか治って、そしてすれ違っていた相棒とのわだかまりも解けて。
ひたすらにバスケに夢中になれる今が、ものすごく楽しかった。
「おい火神、ボール取りに行くのはいいがそれじゃファウルだ!」
「げ、すっません! …水戸部センパイすんません、ケガねっすか」
「(フルフル)」
「まあ、火神のそういうトコは良いトコだと思うけどね…ハッ」
「おい伊月、集中切らすんじゃねー!」
そんなこんなで、火神の頭の中からは誕生日のことなどすっかり吹っ飛んでいたわけだが。
『お疲れっしたー!!』
日が沈むころ、ようやく練習が終わって部員たちがドヤドヤと片づけを始める。
火神もモップをかけ始めたところで、唐突に黒子に声をかけられた。
「火神君」
「おわぁ!? だからいきなりはヤメロ!」
「そういえば誕生日でしたよね、おめでとうございます」
「はっ!?」
火神は一瞬何を言われたのかわからなかった。無理もない、すっかり忘れていたのだから。
「え、火神今日そうなの!?」
「あっ、そういえばそうだったわよね、おめでとう火神君」
近くで片づけにかかろうとしていた小金井が顔を輝かせ、部員の情報は全部把握しているリコがお祝いの言葉を投げる。
「えーなんだよ、早く言えよ火神ィ!」
「ほーめでたいなあ、こりゃ何か買ってくればよかったかな?」
「…木吉、お前のセンスじゃなんか不安だからやめろ…」
「バースデーだけに今日は一段とぶっとばーすでーしてたか!」
「伊月は黙れ!」
「みんな…」
口々におめでとう、と言ってくれる部員たちに、火神はうれしくなった。
ふと隣を見やると、話のタネをまいた黒子がどうですか、と言わんばかりに微笑んでいる。
(ったく、コイツはよ)
火神は苦笑した。この場面展開は黒子の人間観察力ありきだろうか。
朝のやり取りで、誕生日のことが気にかかっていたのがバレたのかどうか。
でも、今はそんなことよりも。
「サンキュー!です!」
16歳になっても相変わらずの奇妙な敬語とともに、火神は深々と頭を下げたのだった。
片づけも終えて、いつも通り火神と黒子はマジバーガーに寄る。
いつも通りに火神が大量のチーズバーガーを買っていると、黒子が呆れ顔で突っ込んできた。
「誕生日くらいもっと違うもの頼んだらどうですか」
「いーだろ別に、好きなんだからよ」
そしていつも通り店員に驚かれる黒子をよそに、火神はどんどん山盛りになるチーズバーガーを眺めていた。
ようやく注文が終わって、火神は先に行って席を取ってくれているはずの黒子を探す。
最初はものすごく難しかったが、今では慣れたものだ。
「…あれ、珍しいな。オマエもチーズバーガー食うのかよ」
呑気にも本を読んで待っていた黒子の前に、いつものバニラシェイクのほかにチーズバーガーの包みがひとつだけあるのに、火神は気づいた。
「あ、これですか?」
そして、おもむろに黒子はチーズバーガーの包みを持ち上げると、火神に向かって差し出した。
「…へ?」
「火神君の分です、これ」
「…??」
脈絡のない黒子の行動に、火神は目を白黒させる。
鈍い火神のそんな様子に、黒子は苦笑して言った。
「あの、ボク、この間まで勝手に悩んだりして、随分火神君を困らせてしまったと思います」
言われて何のことか、と一瞬さらに戸惑った火神だが、こっちのことはすぐに思い出す。
決勝リーグでの敗北のあと、二人ですれ違っていたあの時のことだ。
「…別に、困ったってことはねーけど…」
「それに、すごく勝手なこと言いました。でも…」
「でも?」
「火神君は、今も一緒にいてくれるし、一緒にプレイもできる。それが、ボクにはすごく嬉しいんですよ」
黒子が柔らかく微笑む。なんのてらいもなく、ストレートに自身の気持ちを表現して。
「…オマエなあ」
いろんな場面で思うことだが、よくそんなことを言えるものだと毎度火神は感心してしまう。呆れも多分にあるのだが。
「だから、これはボクの気持ちです」
言って、ぽんと火神の手の上に黒子は包みを載せた。
「……これ1個分だけかよ?」
「はい。あとはプレイで返します」
そして、今度は挑戦的に火神に向かって微笑んで見せる。
「ヘっ、言ったな?」
「男に二言はないってやつですよ」
おどけながら、黒子はバニラシェイクの入った紙カップを掲げてきた。
「―――上等」
火神もニヤリと笑って、コーラの紙カップを差し出す。
鈍い音を立てて、ふたつの紙カップがぶつかった。
『誕生日、おめでとうございます』
改めて黒子から言われた言葉は、今日投げかけられたどの言葉よりも火神の胸に火を灯す。
―――火神大我、16歳。今年は一段と熱い年になりそうだ。
end.
(→おまけのプチ火黒)
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