I miss you!



「どうも、お邪魔しました」
「おう、気をつけて帰れよ」

 午後6時。黒子は火神の家の玄関で律儀に頭を下げた。
 火神としてはもう少し帰らないでいて欲しいところだが、明日も早いし、黒子には一緒に住む家族もいるから致し方ない。
 それに黒子の方も寂しそうにしている(ように見える)し、これ以上ワガママを言っても黒子を困らせるだけだろう。

 ―――と、火神は必死に自分に言い聞かせてなんとか引き止めたい気持ちを捩じ伏せた。
 しかしやっぱり名残惜しいものは惜しいので、ポンポンと黒子の頭を撫でる。
 すると黒子は恥ずかしそうに、だがはっきりと笑うと「また明日」と言って出ていったのだった。




 無機質に、扉の閉まる音がして。
 火神は、奇妙なほどがらんとした一人の部屋をぼうっと見つめた。
「…あー…」
 溜め息のような声を上げて、居間にごろりと大の字になる。

 そろそろ、夕飯を作らなければ。
 そう思うのだけど、体はいっこうに動こうとしない。

(こんなに、広かったっけな)

 黒子が帰った後は、いつもそんな思いに囚われる。
(黒子ひとりぐらい、どってことねーのにな)
 家に来ても黒子は静かなもので、本を読んだり、でなければ火神がちょっと目を離した隙に練習の疲れが出て居眠りをしたりするぐらいだ。
 それなのに、今は黒子がいないというだけで、いつもの空間が妙に広くて、虚しい。


 何の気なしに、火神は横目で空っぽの腕を見た。
 ふたりだったら、いつも黒子が枕にして寄り添っているその腕を。
 しかし見た途端、火神はぎょっとした。


 ―――黒子が、丸くなって眠っている。

 小さく寝息を立てながら、それは気持ち良さそうに。


(……は?)
 いやちょっと待った、黒子は確かについ10分前に玄関を出ていったはずだ。

 火神は瞬きしてみたが、黒子はまだ『いる』。
 まさか本当に隣で寝ているのか。
 そう思って手を伸ばしたその瞬間、黒子の姿は嘘のように消え去った。


(―――幻覚?)


 彼がそれを悟るまで、たっぷり1分かかった。


「………」
 眉をしかめると、火神はがばっと飛び起きた。
「……飯作るか」
 気が抜けたように呟く。
 なんだか、いきなり目が覚めてしまった。




 フライパンを熱して、適当に野菜と細切れの肉とを放り込む。
(味付けは…ケチャップ入れときゃなんとかなるか)
 一人納得すると、今度は鍋に水を張ってパスタを茹でる準備だ。
 パスタのソースは今作っている野菜炒めの転用である(学生の一人暮らしは食材のやりくりも大変なのだ)。

「……あっ」
 パスタを鍋に放り込んだ瞬間、火神は気付いた。

 今入れたパスタの量は二人分、だった。

(………)
 火神は己の行動に愕然とした。
 作りすぎたこと自体は、大したことではない。多くたって食べられるし、そもそも黒子が食べる量はそんなに多くない。
 問題なのは、無意識のうちに黒子の分まで作ろうとしていたことそのものである。

(確かに、いるときはいつも黒子のも作ってたけどよ)
 ここまでかよ、と火神はがっくりと肩を落とす。が。


『火神君、またそんな食べるんですか?』


 呆れたような、少し笑った声がした。
 ばっと振り向くと、そこには誰もいない。

「ったく、幻覚の次は幻聴かよ…」
 我ながらどんだけだ、と溜め息をついた瞬間、鍋が吹き零れた。

(全く、マジで調子が狂う!)


 一人で暮らすことに、なんの疑問も感慨も持っていなかった。それが当たり前だった。
 けれど、黒子が家に来るようになって、その当たり前が崩れてしまったのだ。
 もう火神は分かっていた。自分がどれだけ黒子という存在を欲しているか。
 さっさと片付けて、寝てしまおう。そう思った。


 ―――早く、またお前に会いたいから。





「おはようございます」
「はよ」
 翌朝、いつものように改札から出てくる黒子を出迎えた。
 ほとんどそれと分からないような笑顔で挨拶をする彼を見て、火神はようやく人心地がついた気がした。

(ホントに、家にいるより落ち着くってどうなんだ?)

 そんな自分に呆れつつ、火神は昨日から思っていたことをストレートに言ってみた。


「っつーかさ、お前もううち来いよ」


 言われた黒子は、思いっきり不審な目で火神を見た。
「……何言ってんですか?」
「いや、そのまんま。一緒に住もうぜって」
「嫌です」
「即答かよ!?」

 あっさり一蹴されて、火神は項垂れた。
 そんな彼をよそに、黒子は淡々と理由を述べていく。
「火神君は日本にひとりかもしれませんけど、ボクには家族がいるんですよ? 今の定期だって勿体無いですし毎日同じとこに帰るなんて不審がられるに決まってます。大体一緒に住んだりしたらキミに何されるか分かったもんじゃありません」
「…こーゆー時だけ饒舌になんなよ…へこむだろうが…」

 その言葉通り、火神は後ろに何か背負っているぐらいの勢いで落ち込んでいた。
「そんな事言われても、事実ですから」
 だが、黒子の返事はにべもない。


 そんな彼は、少し前をやはり淡々と歩いていた。
 その姿を、火神は切ない思いを抱えながら見つめる。
 頭ひとつ分以上も低い場所にある柔らかい髪とか、細い背中、小さな体も、全部がいとおしくてしょうがないのだ。
 ―――一生、傍に置いておきたいくらいに。

「だってよ、」
 どこまで伝えられるか分からないけれど、火神は精一杯気持ちを言葉に乗せる。


「お前帰ってからうちん中すげー静かだし、広いし、つまんねーんだよ…夕飯だってお前の分も作っちまうし、挙げ句の果てに幻聴も幻覚も出てくるし…もう、訳わかんねーぐれー寂しくてしょーがねぇんだよ」


「………」
 返事は、ない。
 だが、ほんの一時の後、黒子の足が止まった。
「…く、が」
「は?」
 聞きとれずに訊き返す。すると黒子はたっぷり間を置いて。
 

「火神君の進路が、ちゃんと決まったら…考えてあげます」


 ―――そう言った黒子の耳がしっかり赤くなっていたのを、火神は見逃さなかった。
「ったく、素直じゃねーの」
 口より雄弁な返事を見て気をよくした火神は、黒子の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜたのだった。






end.


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