プロローグ


ピピ ピ〜♪
キッチンの方でオーブンの電子音が鳴り響く。
ミトンをして熱々のオーブンの中身を確認する。するとふわりとチョコの甘い香り。

「んーまだ焼きが足りないなあ…あとちょっと焼こ」

母の誕生日に送るガト―ショコラの試作2号。今度田舎の家まで行ってお誕生日をお祝いするのだ。
私は焼き直すために再びスタートボタンを押した。

「何処まで読んだっけ…え〜と…」
私は古臭く分厚い、それっぽい本をぱらぱとめくっていく。
2号の試作の傍ら、魔女としてのお勉強をしていたのだが、どうも頭に入らない。

そういう時こそ実践だとばかりに準備は着々と進み、魔法陣を描いた紙を敷き、いかにもな蝋燭の代わりにアロマキャンドルを焚いた。ママ曰くぶっちゃけ代用品でもOKなんだって。

本を持ち直し、杖を握り、呼び寄せの呪文を唱えた。
思えばこの軽率な行動がいけなかった。
後先考えず、簡単な気持ちで悪魔を呼び出したのだ。
まさかあんな悪魔が出てくるとは…―





それはあっという間の出来事だった。

呪文を唱え終えた後、瞬く間に暗い闇の歪みが見えた途端、派手に現れた黒い物体。
形がはっきりとし、そこに現れたのは人だった。

「チッ…人界にまだワタクシを呼べる輩がいたのですか……」
…。
なんか私の予備知識とは全然違うんですけど…コロモリちゃんは?デスマスちゃんは?

唖然とした。
見たところ黒い服装をした普通の男性に見える(一般的なしっぽや羽がない)が、たぶん悪魔だろうと思われる。というか呼んで、来たんだから悪魔だ。
そんな彼はすごく不機嫌そうですごく私を睨み付けている気がする。

「まあ数百年ぶりです、さっさと済ませましょう。そこの人間、ワタクシを呼んだ阿呆は何処ですか。人界は煩く鬱陶しいですからね。手短に済ませたいのです」
「あの…呼んだの私です」
「餓鬼の戯言に構うほどワタクシ暇ではないのですが」

するとペラペラの魔方陣とアロマキャンドルに気付いて、悪魔は眉間に皺を寄せた。
「お前は何ですか…魔女ですか」
「はい一応」
「ハッ、ありえません」
「っでも本当に」
「ありえません」
ハッキリ断言する悪魔。

小娘ごときが、ワタクシを呼んだと?
そんな顔を悪魔はしていた。あ、ちなみに私は魔法もまともに使えない見習い魔女です。

認めたくないのはわかるけど、ペラペラの魔方陣とアロマキャンドルに囲まれた眉間に皺を寄せる悪魔の前に居るのは、杖と本を持った私だけなのだ。

「ハァ…」

悪魔は溜め息をついた。

「……お前の望みは?金ですか、地位ですか、誰かを呪い殺したいのですか?」

「そんなの…別に無いですけど?」
「ハァ?」
「???」
「どうやらお前はワタクシに魂ごと喰われたいようですね…」
どすを利かせて睨み付けられ、背筋が凍る。
流石悪魔、こわい。

「望みも理由も無く悪魔を呼んだ…お前はこれがどういうことかおわかりで?」
悪魔は容赦なくこちらに迫ってくる。

何かを成すために悪魔を召喚し契約を結ぶ。
私は根本的なことを忘れていた。
用も無いのに呼んだら誰だって怒るに決まってる。

「ワタクシ、」
一歩
「暇では無いと、」
また一歩近づいて
「言った筈ですよね」怖い。本当に怖い。
興味本位で悪魔なんて呼び出すんじゃなかった。
悪魔が近づくたび私の動きが鈍くなり。目の前にいる頃にはもうぴくりとも動けなかった。
悪魔の禍々しい黒い爪が私の喉にあてられる。
痛みを覚悟した瞬間、
「…、…お前…」
ピピ ピ〜♪
緊迫した空気の中、再びオーブンの電子音が鳴り響いた。


「先ほどからこの香り…まさか!」

悪魔は顔を上げ、と思ったら凄い勢いでキッチンのほうへ。
え、なになになんなの

「何だかよくわからないけど…助かった…のかもしれな」
「おいそこの死に損ない、」
「え!は、はい…!」
「来なさい」
「……」

全っ然助かってないわ。

変に反抗してまた殺さかけたくないので(あの悪魔やばそうだし逃げるよりはましだと思った)恐る恐る後を追いキッチンへ。

要はあのガト―ショコラが気になるんでしょう?
生きるチャンスにかけて、私は悪魔に言われるがまま側にあったミトンをつけて、型つきガトーショコラをオーブンから取り出した。

「あの〜…何故これを?」
とりだすまでの間、悪魔さんは無愛想な顔で私(ガトショコ)を見ていたんだけど、なんだか目が嬉々としていた…気がする。今でも。

「ああ、ワタクシこう見えて甘いものには目がないので」
「へ?」

悪魔はあっさりそう言った。


するといきなり、
ごうごうと悪魔の辺りを闇が渦巻いた。
闇の中心で羽も無いのにふわりと浮いた悪魔。
私の手元にあったガトーショコラは悪魔の片手の上で浮いていた。
型は勝手に外れていて辺りにふわふわと浮かぶ。

私は一歩退いて、悪魔を見上げた。

「阿呆で間抜けな小娘ごときがワタクシを呼べたのは正直あり得ません。お前を喰い殺してやろうかとも思いましたが…今回はこれに免じて許して差上げましょう」

悪魔は満足そうに片手のガトーショコラを見つめた。

「これに懲りたら滅多に悪魔を呼ぶなどしないことですね。足りない頭に刻んでおきなさい。では、これは頂いていきます」
「ちょっと悪魔さんっ!!」

悪魔はあっという間に消え去り、残った型だけがカランと落ちた。

next