novel | ナノ


そこでの生活は、退屈、という言葉以外当てはまらないものだった。

思うがままに惰眠を貪り、用意された食料を口にする。
狭苦しい室内のドアは、決して自分を逃がそうとはしない。

怠惰な牢獄。
そんな中に放り込まれて、もうどのくらいの時間が経っただろうか。


眠り過ぎて頭が回らない。
人目を気にせず欠伸をすれば、男連れの女が間延びした黄色い声をあげて携帯を構えた。ああ、なんてうるさい生き物だろう。自分の写真を撮って、一体どうすると言うのだろう。部屋に飾る?まさか。せいぜい友達に見せて、話題になる程度。それだけの、存在。ただそれだけの、くだらない時間。


撫でてこようとする手からすり抜けて、本棚の上まで一気に飛び乗る。
残念そうな声が聞こえたが、どうでも良かった。


毎日たくさんの人間が此処を訪れる。
それらの好きにされていては、こちらの神経がまず持たない。

元々触られるのは好きではない。人だってそうだろう。見ず知らずの他人に触られて喜ぶものなど何処に居る?


不機嫌に尻尾を数度振り、真っ黒な猫は静かに目を伏せた。
退屈な牢獄から逃れる一番簡単な方法は、睡眠だ。先程まで眠っていたというのに、簡単に訪れた眠気に逆らう事なく闇に落ちる。





***


一つだけ、彼の不幸を挙げるなら
それは、彼が頭が良過ぎたという事だろう。

彼は、自分を取り巻く環境を正確に理解していた。
人から金銭を受け取り、飼育している猫に触れさせる場所。そんな不可思議な商売に巻き込まれている事も。そして、産まれた時から此処しか知らない自分が外の世界では恐らく生き延びられないという事も、同じ飼育されている立場の猫たちが自分程物事を考えていない事も。すべて、理解してしまっていた。


***



退屈から逃れる為の睡眠で、
黒猫は人になる夢を見る。



「よぉ」

今日もまた、この声だ。

「やぁ、シズちゃん。相変わらず人生を無駄にしているね。俺の後ばっかり追いかけて、他にする事ないの?」

すらすらと口が動く。
ああ、なんて楽しいのだろう。

金色の髪、色がついた眼鏡、それから黒いかっちりした服。
そのどれもが、あの退屈な場所では見た事がない物だった。黒色ではない髪は見た事があるが、こんな金色はなかった。初めてだ。

「池袋には来るなって、何度言えばわかんだテメェは!!」

「いやだなぁ。別に池袋はシズちゃんの所有物じゃないだろ?」

ギロリ、と色付き眼鏡の奥の瞳が細まった。
初めてだ。自分をこんな目で見る人間も、一緒にいるだけでこんなに楽しい存在も。



俺が知っているのは二つだけ。
この男の名前と、ここの場所。

それ以外は何も知らない。


ただ、この男をからかうのが楽しい事だけは何度も繰り返す夢の中で学んでいった。からかうネタを言葉の端々から拾って覚えていけば、こうやって対等のフリをした会話だって出来る。

「おっと…!」

道に埋まっていた赤い大きな物体を投げてくるので、咄嗟に躱す。

「避けてんじゃねぇよ。テメェ、ポストが一体いくらすると思ってんだ?!」

「知らないよ。興味もないしね」

なるほど、この赤いのは”ポスト”
中に、ひらひらとした紙が沢山入っている。

舞い上がったそれを一つ掴み、まじまじと読んでみる。残念、夢の中でも人間の字は分からないみたいだ。

「……おい、人の手紙勝手に拾うな」

「ずいぶんな言い草だね。誰がばら撒いたんだっけ?」

そんな事を言いながらも、読めない物に興味はない。
素直に返せば、例の”ポスト”を、もう一度地面に埋め込んだシズちゃんが、その紙を音を立てて中に落とした。

なんの役に立つのだろう。
よく見ると街中にある”ポスト”。そこに文字を書いた紙を入れると、何かいい事があるのだろうか。

「……それ、なんの為にあるの?」

ああ、ダメだ。つい聞いてしまった。
この展開はダメなのに。

「あ?……何言ってんだ、テメェは?」

この言葉を聞いたら、おしまいなのに。






この夢がはじまるきっかけは分からない。
でも、終わりの言葉はいつも同じ。

俺が変な事を言って、シズちゃんが怪訝な顔をする。

すると夢は終わってしまう。

それがつまらないから、俺は毎回取り繕う。
まるで、彼の世界の事を知り尽くしているように。



なんにも知らないのは、俺なのに



***


ガクン、と高い所から落ちるような錯覚。
錯覚などではなく、寝ていた棚の上から落ちたのだと着地してから思いついた。

「おー。すげぇな、猫って」

聞き慣れた、声だった。
俺にとっては忘れられない、唯一の声。

(しず…ちゃん?)

そこには、夢の中の彼が立っていた。
色付き眼鏡も、黒い服でもなかったが、金色の髪だけはそのままで。

「今日からここのバイトだ。よろしくな…えっと、イザヤ?」

ファイルを見ながら名前を呼ぶ声、それから柔らかく撫でる手のひら。


夕日に照らされた金色の髪が、きらきらと光って見える。

きらきら、きらきらと、
その髪が、俺にはいつまでだって眩しく見えた。






「おいイザヤ、飯だぞ。降りて来い」

「…にゃーあ」

「イザヤの奴、静雄の言う事だけはよく聞くなぁ」

「いや、絶対いまコイツ、仕方ないなぁとか可愛くない返事しましたよ」

「そぉかぁ?おっ…独占するなって怒られたな」

「こらイザヤ!トムさん引っ掻いてんじゃねぇよ!」

「ニャー」

「こんな時ばっか可愛く鳴いてんじゃねぇ!」

「ニャッ」

「…っ、ほら…、早くメシ食え」

「静雄、メロメロだなー」

「と、トムさん…?!」


きらきら、きらきら。
出会った時から、ずっと今も。





end



猫カフェ店員シズちゃんと、黒猫臨也さん。



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