「この音・・・そろそろ胞子嚢が破裂するのかも・・・」
「急がないと・・・。大丈夫?蒼井」
「ん。大丈夫」

達磨さんは出血の激しさから今は気を失うように眠りに落ちた。
残された私たちはなんとかこの不浄王の飛沫をかいくぐって山に降りなければならない。
けど、胸騒ぎがする。
心臓がざわついて、気持ちが悪い。

「・・・行かなきゃ」
「そうね。早くなんと下るわよ」
「そうじゃなくて、私、行かなきゃ」
「はぁ!?」

立ち上がる膝は若干震えてはいるけど使い物にならないわけじゃない。
深呼吸を繰り返して装備を確かめる。
散弾銃も、弾も、聖書も、指輪も。みんなある。大丈夫。だから、行ける。

「何言ってんのよあんた!!ついさっきまで死んでたのよ!?」
「そうだね、実感ないけど」
「はなちゃん行くって、どこに行くの?逃げなきゃ!」
「うん。しえみちゃんと神木さんは先に逃げて。達磨さんを、みんなのところまで運んであげて。この人は、明陀にとって大切な人だから」
「はなちゃんだって大切だよ!!!」

しえみちゃんが両目に涙をいっぱい貯めてそう叫んでくれた。
胸の中が燃えるように熱くなる。膨れ上がって指先にまで熱が染み渡る。
喜びが、私を立ち上がらせてくれる。

「ありがとうしえみちゃん。でも私、やっぱり行かなきゃ」

心臓が引き寄せられるような感覚に、もう居ても立ってもいられない。
だから。
そう一歩踏み出した私の腕を神木さんが柔く掴んだ。振りほどくにはあまりにも容易い力で、私はゆっくりと振り返る。

「・・・死ぬんじゃないわよ」
「・・・うん、死なない。ありがとう、神木さん」

神木さん!と叫ぶしえみちゃんを置いて私は走り出した。
神木さんは強い子だ。彼女もきっと私と同じで、命の使いどころを心得ている。だから冷静に、利害や状況の判断ができる。
あとはもう振り返らない。ただ、心の中で行ってきますと伝える。
それと、帰ってきてからのしえみちゃんの説教を覚悟して。

***

胞子嚢にめがけて走っていたものの、途中で草木に足を取られて盛大に転んでしまった。
運良く菌に触れることはなかったが、闇雲に動いても駄目だ。とにかく深呼吸して呼吸を落ち着けると、頭の奥がすっきりしてくる。
直感だ。
あの胸騒ぎに似た虫の知らせは燐ではない。

「雪男・・・?」

別働隊として動いていた雪男もまたこの惨状に参加していたとしてもおかしくない。
心臓は暴れまわり、正解だと伝えるように指輪の熱がこもる。

「どうしたらいいっ・・・どうしたらっ・・・!」

一刻の猶予もない。悩んでいる暇に不浄王の進行はますます勢いを増している。
腐属性の悪魔に対抗できるのは火属性の悪魔。けど私は手騎士としての訓練は受けていない。
どうすれば、どうすれば。

「悪魔・・・アマイモン!!」

胸元に下げていたトパーズのネックレスを引っ張り出す。
メフィストさんのおかげで一流の宝石店よろしく加工されたトパーズは、金の鎖に吊るされていた。
私はそれを強く握りしめて祈るように叫ぶ。

「お願いアマイモン!!来て!!助けて!!」

神に祈る心地だったかもしれない。悪魔を呼び出す最中だというのに。
周囲を埋め尽くす腐った匂い。胞子嚢の破裂する音がいくつも聞こえ、木がなぎ倒され逃げ惑う鳥たちの声が聞こえる。
恐怖なのか、疲労なのか。膝が震えて涙が出そうになる。

「アマイモン・・・早く来てよぉ・・・!!」
「来ましたよ」

不安に、膝をつきかけた瞬間私の体は抱きとめられていた。
アマイモンが差し出していた両腕が私を抱えている。

「アマ、イモン・・・?」
「呼んだでしょう?だから来ましたよ」

相変わらずにこりともしないアマイモンの表情に、漏れた心情は安堵のそれだった。

「来てくれたの・・・?」
「約束でしょ。それよりここなんですか?すごく臭いです」

不浄王の瘴気は八候王にも害を及ぼすのだろうか。
ぐずぐずと鼻を鳴らすアマイモンはあたりに蔓延る不浄王の菌糸に苛立っているみたいだった。

「お願いアマイモン。私を雪男のところに連れて行って欲しいの」
「雪男?ああ、奥村燐の弟ですね」
「できる?」
「できますけど、少し離れた場所みたいですね。ここまで地面を腐らせてるので僕でも走るのはちょっと疲れます」
「それでもいいよ。お願い、急いで!」

わかりました。
そう言った瞬間アマイモンは私の体を横抱きにして地面を滑るようにして走っていた。
風の音が耳元で唸る。吹き飛びそうになる体に悲鳴が上がってしまう。

「アマッ・・・!」
「黙っててください。舌噛みますよ」

これが八候王地属性の王アマイモンの力か。
地脈の流れを読み、ソナーのように索敵しながらアマイモンは進む。
ただ走っているのではない。胞子に覆われいない土が盛り上がり、アマイモンを押し上げるようにして加速をつけさせているのか。
ぐん、と全身にぶつかってくる風圧に歯を食いしばる。
私は振り落とされないようにただ必死にアマイモンの首に抱きすがりながら、増え続ける不浄王の体積に息を呑んだ。
燐と勝呂くんは無事だろうか。
矢のように過ぎ去る景色の向こうに、二人が向かう巨大に膨れ上がった胞子嚢が視界に映っていた。


星を抱く君に触れて、

20140104 tittle by まほら