湯ノ花先生に案内で連れられた大部屋にはいくつもの布団に寝かせられた魔障者たちと、うだるような湿気と重苦しい雰囲気に満ちていた。 「こっちは比較的軽度の魔障者だ」 先生の言葉はつまりもっと重症の魔障者たちもいるという事が含まれていた。 ここまで一度に多くの魔障者を出すとは。 不浄王の右目とは、聞きしに勝る害悪と実感する。 「じゃあ君らはとりあえず調理場で解毒用の薬草茶作ってるからそれ給仕したり、点滴が切れそうな所にそこの箱から点滴の減菌パックの替えを持ってってあげて」 「「「はい!」」」 「おっと奥村君は別!」 すぐに調理場に向かおうとする私たちの後ろで湯ノ花先生が燐を引き留めていた。 何か言付けだろうと、私たちは燐を置いて先に行っておくことにした。 「ほなよろしくなぁ」 「はい、わかりました」 調理室で薬草茶が入れられたやかんを受け取り、空のやかんを持ってまた戻り。 何往復もしたり部屋をあちこち動いて点滴のチェックをしたりする中、神木さんは表情一つ変えない。 もしかしたらこういう状況に馴れているのかな。 逆にしえみちゃんはどこか心ここに非ずというか、どこか上の空だ。真剣にやっていても、一瞬気が抜けている表情が見えた。 「きゃ!!!!」 「あーーーっ何やってんだ!!」 ふとした拍子に神木さんの背中にしえみちゃんが持っていたやかんがぶつかる。 薬草茶が当たりに零れ、私は急いでタオルを借りて二人の間に入る。 「大丈夫!?しえみちゃん、神木さん!」 「だ、だいじょ、ごめんなさい神木さん!!」 「もう!なにやってんのよあんた!」 多少は濡れてしまっているが問題ないだろう神木さんの背中にタオルを押し当て、もう一枚は畳を拭く。 「ここはええから、畑行って鹿の子草十本抜いてきてくれへんか?」 「はい!すみませんでした・・・」 しょぼくれるしえみちゃんが肩を落として外に出ていく。神木さんも不機嫌そうな顔でそれに続いた。 「神木さん、着替えてくる?服濡れちゃったし」 「そうするわ」 ツンとすました横顔で、不機嫌あらわに出ていく神木さんには苦笑がこぼれる。 「お騒がせしました。薬草茶です。飲めますか?体起こしますね」 「おおきに・・・」 腐食の胞子を肺に含んでいるせいで、魔障者たちの咳は止まらない。 とにかく薬草茶で体の内部を洗浄していくしかないのだった。 「なんやとコラァ!!!」 おそらく襖一枚位隔てた奥からだろう。唐突に聞こえた怒鳴り声に思わず肩が跳ねる。次から次へと一体なんなのだ。 「な、なに?」 「今の声・・・柔造さんや」 「じゅうぞう?」 こほこほと咳混じりにそう言う魔障患者の苦笑いに、おそらく日常茶飯事なのだろうと嗅ぎ取った。 だが時と場合を弁えるべきだろう。 騒音轟音罵声に怒声の罵詈雑言が続く奥の部屋。誰もがどうしたものかと動きあぐねいている何故だか額縁が襖を突き破り飛び出してきた。 今度は悲鳴と愕然とした声が混ざる。 布団の上で立ち上がる男二人と座ったままの女が三人。投げ出されたキリクと蛇が広い空間を求める様に暴れまわっていた。 「おい!!君たちやめろ!!魔障者じゃないのか!」 「きゃ!!」 「わっ」 「蛇を誰か止めろ!!ひっ」 ここに居るのは医工騎士ばかりだ。 私は思わず右手のやかんをひっつかんだまま隣の部屋に向かって駆け出していた。 「いい加減にしなさい!!!!!」 振り上げたやかんの中身を思いっきりぶちまける。 殆どいっぱいのままだったやかんの中身は、ものの見事に彼ら全員の顔をぐっしょりと濡らした。我ながら素晴らしい手腕だとふふん鼻を鳴らせば、金髪の青年がわなわなと肩を震わせながらいきり立つ。 「何さらすんじゃこのボケェ!!!」 「それはこっちのセリフです。ここにいるのは魔障患者たちですよ?これだけ元気に暴れまわれるなら外に行ってください!!」 「なんやて!あてらを誰やと思てるんや!!」 「明陀の一員だとは理解していますが、負傷者に負担をかけるようならば誰だろうと関係ありません。ここにいるのはあなたたちの大切な明陀を守って負傷した人たちですよ」 一瞬しんと静まり返った部屋。 だが召喚されたままの蛇はまだ暴れまわっている。 後方から上がる悲鳴にはっと振り返るが、それよりも先に朗々とした真言が響いた。 「オン・バサラ・ギニ・ハラ・ネンハタナ・ソワカ」 守護印が輝き蛇を打ち消す。 印を構えていた勝呂くん、三輪くん、志摩くん。 勝呂くんは眉間にしわを寄せたまま大声で叫んだ。 「やめぇ!!!!味方どうして何やっとるんや!!」 「うぉっ坊!!」 「竜士さま!」 「戻らはったんですか・・・!」 「敵に狙われとるって時に、内輪もめ起こしとる場合か!!」 吠える勝呂くんに金髪の青年が言い訳を並べる。やり玉にあてられた釣り目の女性は刺々しい態度で、反省の色など全くない様子だった。 「・・・いくら座主血統とはいえ、竜士さまにそう頭の上から言われても・・・そういう事は、竜士さまのお父上に直接言うていただかんとなぁ」 「蝮テメェ坊になんやその口のきき方ァ!!!」 「・・・いや。蝮の言う通りや」 「坊!?」 「とにかくもうやめ。病人に障る」 「すぐ、ろくん・・・」 背を向け荒々しい足音で去っていく勝呂くんの後を三輪くんと志摩くんが追う。 彼らを見ていて一見強固に見えていた明陀の結束は、存外酷く危うく脆いものになっているのだろうかと思えた。その例が、不浄王の右目への襲撃を表すのだろう。 「・・・ところで燐。そのスイカなに?」 「あ?えっ、そのいや、勝呂の父ちゃんにもらった。・・・食う?」 「ん、じゃあー魔障患者で食べられそうな人に配ろうね」 「・・・おう!」 ぱっと晴れた笑顔を見れたのは数週間振りだろう。 少し泣きそうになる涙腺を落ちつけながら、私はちゃんと笑えていることに安心した。 もう大丈夫。何の問題もないもの。 私は燐が大好き、それで、いいのだ。 果実と冷水 20130329 tittle by is |