結局その後もしばらく私のだらしない涙は止まることがなく、メフィストさんは私が落ちつくまで何も言わないで傍にいてくれた。
涙が落ちつき始めると、今度は近すぎる距離が恥ずかしくなって離れようと思ったけど、優しく抱きとめられる肩にかけられて手の力が抗いがたい。

「あ、あの、メフィストさん・・・」
「どうかしましたか?」

にっこり、その形容詞が相応しいほどのきれいで楽しそうな笑みに、なんて言えばいいかわからず曖昧な愛想笑いが浮かんでこない。
涙で真っ赤な目が恥ずかしい。
身動きもできずメフィストさんの隣でもぞもぞしていると、突然正面の扉が勢いよく蹴破られた。

「兄上ーいい匂いがします」
「!?」
「・・・アマイモン、扉は足であけるなといつも言っているだろう」

そうでしたっけ?と半眼で小首をかしげるとんがり頭に隈のある悪魔。
あれは、見たことがある。知っている。

「わーい、ここのお菓子食べ放題ですね!ありがとうございます兄上」
「ちょっと待て!」
「待ちません。兄上甘いもの好きじゃないですか」

兄上、とメフィストさんを呼ぶアマイモンはあー、と効果音をつけながら大口でケーキやマフィンを片っ端からほうり込んでいく。
聞きたいことは山ほどあるのだが、それよりも巨大な菓子の山が消えていく方が衝撃的だった。

「はなさん、えー、これはですね、じつはとっても深い事情がありまして・・・」

すぐ隣で慌てるメフィストさんの声と、豪快な食いっぷりでお菓子の山を消化していくアマイモンに、思考停止していた私の頭がゆるゆると現状を理解する。
それと同時に、引っ込んでいた涙がまた出てきてしまった。だって、おかしいではないか。

「なんであなたかここにいるのぉ・・・!!」
「? なんで泣いてるんですか?その人間」
「お前のせいだお前の・・・」
「燐やしえみちゃんにひどいことしなのにっ・・・!!なんでふつうにいるんですかぁ・・・!!勝呂君たちもっ、ケガっ、したのにぃ・・・!!」

涙と一緒に喉が引きつって声がうまく出ない。
酷く情けなくてバカっぽい。恥ずかしいと思う反面、世の中の理不尽さに嫌気がさした。

「ああはなさん、どうか怒らないで聞いてください。今回の件は確かにアマイモンがやりすぎでした。ですがこれも奥村君の為なんです」
「・・・?」
「奥村君は人間としてその命を形成してきました。ですが封印が解かれたからには悪魔としての命もまた許容すべきなのです」
「駄目です!そんなっ」
「いいえ、今しかないのです。もしも彼をこのまま放っておけば確実に悪魔に身をやつすでしょう。今回のように。野放しにすればもう戻れなくなります」

獣のように吠え立て、狂気のままに青い焔をまき散らした燐の姿が脳裏を埋め尽くす。
言葉に詰まる私に追い討ちをかけるように、メフィストさんの深い色をした瞳が私を見つめる。

「だから彼は己を知らなくてはならない。悪魔としての己の側面を。そしてその悪魔としての能力を引き出すには、それなりの悪魔を使わねばならなかったんです」
「・・・」
「わかってくださいますね?」

はい、と言うしかないじゃないか。
私も、雪男も。そしておそらく獅郎さんも、燐の悪魔としての能力を扱いあぐねいていた。
協力者が必要だった。
悪魔を知り、人間を知り、その力の扱いに長けたものの助けが必要だった。
適任者は一人しかいない。だから、頷くという選択肢しか私には残されていなかった。

「・・・ここのお菓子、その人間が作ったんですか?」
「ええそうですよ。はなさんと呼びなさい」
「ふぅん。はなは人間のくせになかなかおいしいお菓子を作りますね」

テーブルの向こうからジャンプして目の前に到着したアマイモンは口の周りに生クリームをべっとりつけたまま相変わらず無表情に近い半眼で見つめてくる。
しばらくの無言が続いた後、派手な水玉のズボンのポケットに手を突っ込み、ごそごそとなにか探す動作をし私の目の前に握り拳を差し出した。

「あげます」
「え?」

開かれた手の中には、武骨な黄褐色の石がひとつ。

「ほう、これはずいぶん上質なトパーズじゃないか」
「お菓子のお礼です」

無理やり掌に転がされた宝石は、詳しいことはわからないが大きさからしても相当な額な気がする。
お菓子の材料費も全部メフィストさんもちだからとてもじゃないが受け取れない。

「駄目!こんな高価なもの・・・!」
「高価なんですか?ゲヘナにはいっぱいありましたが」
「ええー・・・」
「とにかく僕はあなたのお菓子が気に入りました。これは前料金だと思ってください。それでまた僕の為にお菓子を作ってください」
「え?え?」

狼狽える私にことんと小首をかしげるアマイモンは、駄目ですか?と聞いてくる。
悪魔だけど、燐に敵対したひどい悪魔だけど、子供のような仕草が可愛い気がしてきてしまう。
これが悪魔の力なのか。私は思わず頭を振って思考を取り戻そうとする。

「また僕の為にお菓子作ってくださいね、はな」

別に、あなたの為に作ったわけじゃないんだけど。
そう言いたかった。
でも、彼なりの満面なのだろうか、半眼で釣り上げられた口元。生クリームやらスポンジのかすをつけて笑うアマイモンに「いいよ」と笑って頷いてしまったあたり、培われた母性本能というか庇護欲というやつが、結構厄介なものだと気づいてしまったのだった。


この世は 慈愛でもあり 愚鈍でもあり 無限でもある

20121217 tittle by 星が水没