(シュラとメフィストのはなについての話)


「上への報告は保留にする」

シュラの声にメフィストは興味深そうに顔を上げた。

「だが奥村燐の監視は続行する。・・・つーワケで日本支部内にあたしの居場所用意してくれ」
「・・・判りました。ネイガウス先生の穴を埋めてもらいましょう。それと剣技あたりですかね」

悠然と足を組み替えたメフィストは、優雅に紅茶をすすりながら方眉をあげてシュラを見やる。

「しかし意外でしたね。藤本を師事する貴女は奥村燐を殺すと思ったんですけど」
「面白そうだからやめた。お前もそうだろう?」
「おやおや。なんのことやら。貴女も紅茶はいかがですか?」
「茶より酒出せよ酒ぇー」

しょうがないですねぇ、と指を振るう。
テーブルには可愛らしいピンクの煙幕が上がると、ブランデーが注がれたグラスが現れた。
ブランデーに溶かされた氷がからんと音を立てる。酒豪にたはまらない芳醇な香に、シュラは生唾を飲み込み手を伸ばした。

「交換条件なんてどうです?」
「は?」

グラスに口をつけようとした瞬間、メフィストの怪しげな言葉にシュラは動きを止める。

「貴女に学園での居場所を作って差し上げる相応のお礼を、ね」
「はぁああ〜?そんなもんあたしが燐の事を上に報告しないのでちゃらだろ」
「ではそのブランデー」
「う」
「いい香りでしょう?最高級のコニャック。ペルフェクションデキャンタ!しかも百年物です」
「ううう」
「飲みたいでしょう?いいんですよ飲んでいただいても。それは私が貴女の為に用意したものですから!」
「この悪魔めっ・・・!!」

歯ぎしりするシュラだが欲望には勝てない。
くっ、と勢いよく一口煽る。
体中に染み渡る様なアルコールの心地よさに、シュラはもう後悔なんてないと蕩ける脳で結論付けた。

「いいだろう。条件を飲んでやる」
「嬉しい限りです。では、教えていただけますか?彼女、蒼井はなの事を。貴女が知る限りの全てを」
「・・・わかった。代わりにお前も教えてくれるか?今後、燐をどうするのか」
「今宵は良い夜になりそうです」

再び指を鳴らせばテーブルにはドライフルーツ、チーズ数種類、チョコレートまで並ぶ。
シュラの口を軽くするために並べられたつまみが、なんだか面白くてシュラは肩を揺らして笑った。

「必死だな!メフィスト」
「ええ。さすがに私も本腰を入れようかと思いましてね。彼女のことは一切わからないと言ってもいい。調べたところ。ごく普通の一般家庭に生まれた彼女は低級悪魔の傷によって魔障を受けた。それがもとで家族とは別離、籍は抜けないままですが藤本に預けられる。分かったのはそれくらいです」

ふぅ、と疲れた様子でメフィストが息をつく。
シュラはまるで聞いていないかのようにドライフルーツに手を出しブランデーに舌鼓を打っていた。

「藤本が彼女に与えた三つの聖遺物。聖ベネディクトがかつて祝福した鉱物より作りだされた聖なる散弾銃。大天使であるラジエルがその豊富な知識で宇宙創世に関わる全ての秘密を書き記したとされる、ラジエルの書。そして、かの黄金の指輪」
「よく調べてるじゃねぇか」
「まったくどうやって手に入れたのかわからない代物ばかりですよ」

しかもそれを騎士団に情報が漏れないように画策して行われていたことだ。
ここまで調べ上げるのに随分かかってしまった。

「あの黄金の指輪も護符の様なものでしょう?一度手を触れてこの身を焼かれましてね。彼女はいったい何者なんです?」

人ではない。
それくらいはわかる。
メフィストの問いに、シュラはゆっくりと背もたれに身を沈めながら笑った。

「はなはな、獅郎の光さ」
「は?」
「あいつは獅郎を救った。そういう女だ」
「私が聞きたいのはそういうことじゃないんですけどねぇ」
「フルーツおかわり〜」
「ふっ・・・このクソアマァ・・・」

再び皿の上にドライフルーツは盛られる。
シュラは嬉々としてそれを口に放り込みながら言った。

「はなは人間だ。まだ、な」
「まだ。とはまた興味深い答だ」
「あいつはラジエルの書を使ってる。それだけで十分検討はついてるんだろ?」
「・・・」

ラジエルの書は名の如く大天使が自ら書き記した書物だ。
悪魔ならまだしも、人間には未知の知識。天啓を受けた聖人たちならばある程度理解することもあるだろうが、ほとんど未解明の知識だ。
はなには聖痕は見られない。ごく一般的な少女だ。

「彼女は天使なのですか?」
「まだ、だ。獅郎の建てた仮説じゃあ、あいつはいずれ天使に進化するのかもしれない。実際、あたしも目の当たりにした」
「なるほど。ならば何故彼女が私たちにとってとても美味しそうに見えるのかが理解できました。脆く脆弱な器に天使という清く美しい魂。絶好の獲物です。とても。・・・そんな怖い顔しないでくださいよ」

睨みつけてくるシュラに手を振って誤魔化す。
自分は欲望に忠実な癖に、人の欲望にケチをつけるとは度量の狭い女だと内心舌を打ったのはメフィストだけの秘密だ。

「それで、あの黄金の指輪は?」
「お前ぜってー信じねーぞ?」
「そんな事はわからないじゃないですか。さぁ答えてください?」
「・・・ニーベルングの指輪だ」
「ニーベルング?楽劇のあれですか?」
「そうだろうな。あたしも獅郎から全部聞いた訳じゃない。ただ、あの指輪の効能は本物だ。お前みたいな悪魔にも効くらしいしな」

にやりと意地悪い笑みに米神あたりが引きつる。
メフィストは紅茶で舌を湿らせ記憶の引き出しを引く。

「ニーベルングの指輪は呪われたものだったはず。彼女にその兆しはない」
「んな細けーことは知らねーよ、獅郎が言ってたのはあの指輪がはなの天使に進化する力の流れを封じてるとか言ってたぜ」

投げやりすぎる。
しかしある程度の情報が集まったのだから、これ以上は自分で調べたほうが早いかもしれない。

「しかしまったく。藤本も底が知れない。そんなものをどこ絡みつけて来たのやら」
「にゃはははは、それが愛の力ってやつさ」

ブランデーの酔いにシュラは上機嫌に笑った。
完全に酔ったかと思ったが、瞳の奥の知性は鈍ってはいない。

「次はお前の番だぜメフィスト。今後燐をどうするつもりだ?今回のことだって。お前はあいつを武器にするとか言ってるくせに危うく殺しかけたじゃないか」

アマイモンめ、と今度は口元が引きつった。
今の燐と同等に戦えるのはアマイモンが丁度いいだろうと思っての計算だったが、どちらもまだ未熟なのだ。
危険ではあるが、これが最短での道でもある。

「私は幾度か実験を重ねてきました。奥村燐、サタンの落胤。魔王の炎は人魔どちらにも有効だ。その検証です。今の所、低級、中級には有効。上級のアマイモンにもそれなりに通じます」
「それで?」
「次は悪魔の血を強化させる必要があります。悪魔としての己を学び、そしてそれを抑制し、人として、祓魔師として、武器となってもらわなければならないのです」
「もう一度アマイモンと戦らせるのか?」
「はい☆」

シュラは沈黙の中でブランデーを煽った。
芳醇な香りが部屋に満ちて行く。
それからしばらくどちらも言葉を発することなく、空間の隙間を埋めるように秒針が忙しなく働く。

「話は終わりだな」
「おや、もうお帰りですか」

ひそやかに密議が交わされた。
だがどちらも腹の底を見せる様なことはしない。
上辺だけの仲間。上辺だけの協力。そして一欠けらの信頼。

「お前、いったい何を企んでいるんだ?」
「・・・私は・・・人間と物質界の平和を企む者です」

その物言いにシュラは剣呑に視線に鋭さを滲ませる。
しかしそれ以上追求する気はないのか、その場に留まろうとはしなかった。

「メフィスト、お前が悪魔である以上。上はお前を信用してないってことを忘れるなよ」

そう言い捨て部屋を出るシュラに、メフィストは何も言わず見送った。

「ああ、まったく。これだからこの世界は面白い」


東の銀河にて漂流中


20120904 tittle by まほら