ルシフェルはメフィストさんをサマエルと呼び、手を伸ばす。
しかしメフィストさんはその勧誘を断り、袂を分けたらしい。
ぐらぐらと揺れる頭でなんとかそれだけは理解できた。正直、ネジが飛んでるとかそういう次元のお話ではない。はっきり言って、敵の頭はおかしい。

「…そうだ、あの少女だけは頂戴しますよ。私達の計画に必要なんです」
「けい、かく…?ふざけん、な。出雲ちゃんを返せ…!」

情けなくも燐に支えられながら、それだけを絞り出して中指を突き立てる。
手も足も出ない。立ってもられない。威圧一つでここまでされて、負け犬具合が滲み出てひどく哀れでしょうがないだろう。それでも、だからといって出雲ちゃんが連れて行かれるのを見逃せられるわけがない。
友達なのだから。

「…」

こちらをじっと見るルシフェル。
仮面の奥の瞳の感情は読めない。ただ、目をそらさぬように、必死に睨み返す。

「…では失礼」

それ以上何も言わず、踵を返すルシフェル。出雲ちゃんを抱いた志摩くんたちはヘリに向かって歩き始めた。だがルシフェルはぐらりと上体を揺らして片膝をつく。女が高い悲鳴のよな声でルシフェルを支えヘリへと乗り込む。

「待て!出雲と志摩をどうする気だ!おいメフィスト!!黙ってみてるつもりかよ!」
「光の王が側にいてはどうしようもありません。弱ってますがあの方は実質虚無界の最高権力者なのです」
「けどっ…!」

燐はちらりとこちらを見て、それから意を決したように降魔剣を抜きながら走り出す。
飛ばした青い炎の斬撃は、応戦する志摩くんをすり抜ける。燐の炎は人を傷つけない。
青い炎の降魔剣と、黒い炎の錫杖がぶつかり高い音を立ててせめぎ合う。しかし志摩くんが先に燐を振り切り、炎を散らした。
勝呂くんが戻ってこいと叫ぶ。
志摩くんは、いつもと変わらない笑顔と声で、さよならを告げてヘリコプターに乗り込んでいった。
振り向かない志摩くんに向かって勝呂くんが吠える。
出雲ちゃんが連れて行かれる。追わなくちゃ、そう思っているのに、体はどこもかしこも力が入らない。伸ばした腕は、そのまま重力に負けて体ごと押しつぶされるように崩れた。

「衝撃に備えてください」

私の体を覆うようにしてメフィストさんが囁く。そして爆音。ひとつふたつではない。地震にも似た揺れ。爆炎と悲鳴、そして壊れた結界から群がる悪魔たち。

「…この感じだと世界中の支部が動揺の状態で混乱していることでしょう。私も日本支部の事態を収拾せねばなりません」
「メフィスト、さん。出雲ちゃん、は」
「ええ、わかっていますとも。奥村雪男中一級祓魔師」
「はっ!」
「貴方はここにいる候補生を率い今すぐ神木出雲くんの救出へ向かってもらいます」
「で、ですが…」

雪男もちらりとこちらを見る。
なんとか膝に力を入れて立ち上がる。

「はなさんは除外で構いません」
「私も行きますっ…!!」
「何を馬鹿なことを」
「今ここにいる、候補生といいました!」
「聞き分けてください」
「聞き分けられません!!」

叫ぶだけで目眩がする。声が震える。今だってメフィストさんに掴みかかって支えがないと立ってさえいられない。明らかな戦力外だ。それでも、それでもだ。
ひとつため息をついてメフィストさんはしっかりと私を支え直す。それから雪男に向かって援軍を送ること、宝先輩が外部から雇用した祓魔師だと明かした。

「志摩くんについては私の調査不足です。申し開きも出来ません。しかし現時点では、残念ながら彼がイルミナティの鼠である事実は認めねばなら…」
「うるせぇ…!黙れピエロ」

メフィストさんの言葉を遮って燐がメフィストさんの襟首を掴み上げる。
腹の底から燃え上がるような怒りと焦燥を抱いて、瞳の奥に青い炎を揺らして燐が唸るように告げる。
出雲ちゃんも志摩くんも、両方取り戻してみせると。

「わかりました。では出発は明日の明朝。それまでに各位準備をよろしくおねがいします。はなさんはこちらへ。すこし話し合いましょう」
「…望むところです」
「ああ、勇ましい限りです。本当に」

苦笑を浮かべ、メフィストさんが私の腰に腕を回して軽く一回転する。
視界が切り替わる前に、燐と雪男に唇だけで「またあとで」と伝えれば、そこはもういつものメフィストさんの部屋だった。

祈りと呪いは紙一重

20171009 tittle by 不在証明