「こんばんは、はなさん。今宵は私とデートなんて如何ですか?」
「あ、メフィストさんこんばんわぁ」

夏の盛りも過ぎたので冬まで持ち越す訳にはいかない素麺を大鍋で湯がいている最中に、正十字学園理事長であり、正十字騎士團日本支部長「名誉騎士」の称号を持つメフィスト・フェレス氏が呼び鈴も鳴らさず唐突に男子寮のキッチンに現れた。
正装して今日も紳士ぶりに磨きがかかっているメフィストさんに対して私はよれよれのTシャツとショートパンツ。髪は適当に一つにまとめただけの乱雑ぶりだ。

「どうしたんですか?」
「いえ、あなたが晩餐に誘ってもらえなかったから拗ねていると聞きまして」
「う〜ん、誤解がひどい」

晩餐を知らせなかった燐に怒って、帰ってこない雪男に拗ねていただけなのだが訂正するのも恥ずかしいのであえてそのままにしておく。

「では行きますよ!」
「はい?」
「さぁアマイモンも待っていますから」
「えっ、えっ、メフィストさん!」

パチン、と指を弾いた音がしたと思うと肉体はすでにメフィスト邸に到着していた。

「メフィストさん私、素麺が・・・」
「はなさん、私と素麺どっちが大事なんですか!?」
「いや火事の心配してるだけなんで」
「ウコバクを変わりにおいておいたので大丈夫ですよ。さあこちらへ」

恭しく手を引かれるがこのマヌケな格好が気後れしてしまう。それを察したようにメフィストさんが深く微笑みいつもの呪文を唱えれば軽やかに広がるAラインとストラップレス、湖面のように揺らめく青いイブニングドレスに早変わりしていた。

「こ、これ」
「では行きしょう?」

メフィストさんの笑みは追求を許さず、そこにかすかな焦りを感じ取ってしまった。
なにかまずい事態でもあったのだろうかときれいなドレスにはしゃぐ暇もなく私はメフィスト邸の奥へと招かれた。

「あの、メフィストさんっ」
「私も初めての事態に少々心が踊っているのかもしれません。いや、恐れている?」
「メフィストさん!?」
「この扉の奥にアマイモンが居ます。会ってきてください」
「え?」
「さあ」

拒否は認めない空気に息を呑む。
別に頭ごなしに否定や文句を言うつもりはないが、せめて説明くらいしてほしい。
豪奢で荘厳な金の扉。樹と蛇のレリーフが生きているような艶やかさを醸し出し、臆病な気持ちを押し殺してドアノブを引く。

「アマイモン・・・?」

部屋に明かりはないが、ピンクやレモンイエロー、眩しくなる蛍光色があちこちに散らばっている。ドールハウスのような家具と長テーブル。高い天上にはクリスタルか、透き通るシャンデリアが吊るされていた。

「アマイモン!いるの?」

一歩踏み込めば背後でドアがしまった。恐怖心が這い上がってくるのを振り払う。心臓の上に十字を切り、神の代わりに獅郎さんの名前を呟く。

「はな」

かすれた声だった。地の底から響くような声だった。微かな声だったはずのそれは反響して、広い筈の部屋を何周もして脳をかき乱す。波状の音に耐え切れずに膝から崩れれば、なんてことはない。アマイモンはすぐ足元に倒れていた。

「ア、マ」
「いいにおいがします。はな、あまい、おかしをもってきてくれたんですか?」
「血、血が。メフィ、メフィスト、さ、アマ、血、う、あ・・・」

血だらけのアマイモンの爬虫類のような緑の鱗に包まれた腕が私の腕を握る。
爪が食い込み、皮膚が切れるのがわかった。痛みと混乱に舌がもつれる。裂けた薄皮から流れる血は、肌を直接舐めるアマイモンの舌が攫っていった。

「甘い」

そこで意識は途切れた。


カーテンの隙間から夜を纏う

20160505 tittle by まほら