A


 頭から服を脱がせ、あの可愛い下着も今日はさっさと外して念の為遠くまで飛ばしておいた。

 乱れた髪が顔にかかる彼女を見下ろす。・・・・うわー・・・やばい。エロイし可愛い・・・。

 大人の余裕なんか欠片もなく、性急に求めてしまった。なんせ昨日のお預けが効いている。

 相手の気持ちも自分に向いていると判った上でのお預けは、思ったよりきつかった。

 神野は反応が良かった。どこを触っても我慢出来ないらしい声が漏れる。

 俺は喜んでガツガツと貪った。

 実際の所、余裕がなさ過ぎて、もしかしたら久しぶりだったかもしれない彼女の体を気遣ってやれなかった。

 暴力的にならないように自分を制御するのに必死で、どうやったって止められない状態だった。

 膝を押して入っていくと、そのきつさに驚く。

「・・・大丈夫か?」

 何とか聞くと、汗だくの顔を綻ばせて彼女は小さく頷いてくれた。

 好き勝手に彼女をあちこち転がして全部を味わおうと必死だった。

 好きな女が腕の中にいて、瞳があうと笑ってくれる。

 腕も足も開いて俺を受け入れてくれている。

 何だ、ここは天国か?

「・・・神野」

 キスの合間に俺は言う。

「・・・そんなに締め付けたら、もたない」

 もっと感じて欲しいけど。相当限界が近い。すると何と、彼女はにっこりと笑った。

「・・・いいの。何度でも――――――抱いて下さい・・・」

 そして俺に手をのばす。

 ガツンと頭に衝撃があった。彼女の放ったハート型の矢に漫画みたいに打ち抜かれたのは、胸でなく頭。もう完全に理性が吹っ飛んだ。


 実は、その後のことはあんまり覚えてない。


 死にそうに気持ちよかったとか、どうしようもなく愛情が溢れたとか、微かに記憶に残るだけ――――――――


 荒い息をついて隣を見ると、神野は寝てしまったようだった。

 満ち足りたような微笑を浮かべている。それを見て心底から安心した。

「・・・はあー・・・」

 腕で額の汗をぬぐう。

 ・・・・ああー・・・どうしよう。もう幸せすぎて、今死にたい。彼女の香りに包まれてなら、きっと最高の死に方だ。

 しばらくぼんやりと余韻に浸っていて、気が済むまで寝顔を見てから、よいしょ、と立ち上がった。

 そして風呂場に直行して、全身の大量の汗を流す。

 あまりにも久しぶりに女性を抱いて、充実感に満ち溢れていた。動物としての役割を達成した気分だ。口元のにやけが止まらない。こんなんだったかな、と遠い昔の恋愛を思い出したりしてみた。

 だけどやっぱり違うと思う。

 こんなに激しく、うわああ!って叫びながらジタバタしたいような、それを懸命に抑えるような気持ちで誰かを好きになったことなんて、ない。

 まあそれを言えば、こんなに我慢したことだってなかった。

 彼女に強烈な渇望を感じたんだった。

 今までで身につけてきたもの全部が剥ぎ取られて、とてもシンプルな自分になったような感じがしていた。

 営業スマイルも嘘も霧みたいに消えて、ただ単に、あの子が欲しかった。

 そして手にいれた。

 間違いなく、これが、人生最高の時だ。

 頭からお湯に打たれながら笑った。

 一人で、壊れたみたいに笑っていた。


 シャワーから戻ると暫くして、神野が目を覚ましたみたいだった。

 俺を見て目を細めて笑う。化粧が取れかけていて目はパンダ目になっていたけど、見たことない綺麗な笑顔だと思った。

 化粧が崩れるほどのことを、俺としたんだ、って。

「起きたのか」

 彼女は口元に笑みを浮かべたまま俺をじっと見ている。

「どうした?大丈夫か?」

 手を伸ばして頭撫でると、うっとりしたみたいに目を閉じて、呟いた。

「・・・格好いいなあ、と思って・・・」

「なんだ。良かった、欲求が激しすぎて無茶したからどっか痛いのかと思った」

 安心した。この外見が好きならば、もういくらでも見詰めてくれ。

 神野が毛布の下でううーんと伸びをした。顔だけだして目を細める。

「大丈夫です。・・・気持ち良かった〜」

「それはよかった。でも気遣ってやれなくて悪かった。もう本当に、俺ギリギリで・・・」

 悔しいけど告白する。余裕ありげに見せたかった。だけど、あんなことした後じゃ無理だよな、すぐにバレる。

 頭を拭いたタオルを投げて、彼女の横に滑り込む。ぎゅうっと抱いたら頭をこすり付けてきた。

「・・・どうしよう、幸せ」

 ・・・その台詞は素晴らしいが、どうしてそこで両手で頬を叩くんだ?それも結構な勢いで。

 手で、それを止めた。

「これこれ。・・・神野って自虐趣味があるのか?苛められるのが好きとか?」

 Mか、この子?

 からかうといつも真っ赤になって怒るけど、実は楽しんでたりした?

 俺が聞くと、 振り返って目を見開いた。

 驚いているらしい。

「いえ、そんなことないですよ。苛められるのも詰められるのも嫌いです。締め切りの朝の稲葉さんとの対話は泣きそうになりますし」

 ・・・・思い出させるなよ。ひどく日常的な話題だ。

「・・・仕事から離れてくれ。イケナイことしてる気分になる」

 憮然として言うと、神野はあはははと笑った。・・・ま、仕事をどっちかが辞めない限り、あくまでも上司と部下だもんな。俺もつられて笑ってしまう。

 腕の中で猫みたいに丸まる彼女に額をこすりつける。

「・・・ずっと、こうしかったんだ。やっと手に入れた」

 つい漏れた呟きに、彼女は一粒涙を零す。

 指をのばしてその滴を受け止めた。

「泣くな」

「・・・はい」

「笑って」

「・・・はい」

 夜が遅くなるまで、その部屋で一緒にいた。

 ご飯も食べて、楠本さんの話で盛り上がったりした。楽しかった。誰かと一緒に長い時間を居て笑いあうなんて久しぶりだ。

 ふと、思った。

 目の前で笑うこの子の、全てがちゃんと欲しい。

 手に入れたい。

 全部貰えたとさっきは思ったけど、今はまだ、やっとスタート地点なんだな、俺は。

 気持ちが通じ合って、体も重ねたけど。

 まだこれからなんだ。


 車で送っていく。

 夜で、車内は暗くて、街の明りが通り過ぎていった。

 隣で嬉しそうに神野が話す。俺はそれを聞いて、頷いたり笑ったりしている。

 ついでにと思って親御さんに挨拶をと言ったら彼女に必死で止められた。

 それが可笑しかった。その必死さ加減が。きっと俺のことを研修中から鬼教官だとか言いまくってきたに違いない。

「また、明日」

 俺が言うと、神野も微笑んだ。

「おやすみなさい」

 じゃあな――――――また、明日、ともう一度繰り返して車を出す。

 バックミラーにいつまでも神野がうつっていた。


 自分の家に戻ると、物凄く一人を感じた。

 ・・・・おお、なんてこった。今まで一人暮らしを寂しいなんて思ったことないのにな。

 電気もつけずに部屋へ入り、鞄を放りだして、よく考えたら完全にその存在を忘れていた携帯電話を取り出した。

 ・・・すっかり忘れてた。もしかして、宮田さんや職員さんから電話が入ってたらどうするんだ、俺は。

 ――――――責任者、失格。

 ちょっと焦って音をたてて開くと、着信とメールが来ていたけどそのどれもが楠本さんだった。

「・・・なんなんだ、あの人は」

 苦笑する。

 光って浮かび上がるメールにはこうあった。

『19時半でお前が電話に出ないってことは、彼女をちゃんと手に入れたんだな。邪魔だろうから返信はいいぞー』

 他の用事だったかもしれない、とは思わないんだな。

 運転中だとか。食事中だとか。・・・いや、それなら俺は出るもんな。

「・・・まったく、敵わないよなあ〜・・・」

 ぶつぶつと口の中で言う。

 でもその内可笑しくなってきて、くっくっくと小さく笑う。

 返信ボタンを押した。

 ――――――――今帰ってきました、携帯に全く気付かずすみません。唾付けもモノにするのも完達です。ご声援感謝します―――――――――

 読み直してにやりと笑う。

「・・・送信」

 呟いて、ボタンを押した。

 明日には、また電話が掛かってくるかもな、と思った。

 床に座り込んで電気もつけてない薄暗い部屋で、深夜。

 俺は柔らかい幸福感に包まれてベッドにもたれている。


 勝手に緩んでしまう口元を押さえていた。

 もう冬も終わりだな。

 今、この新しい町で。


 俺にも春がやってきたんだ――――――――――


 一人で、俺はいつまでも笑う。


 そして淡い色の幸福感に、浸りきっていた。





「嘘も方便〜稲葉忍の取り扱い説明書〜」終わり。

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